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執事完敗
「コウモリ触れないし、どうしよう」
「触れない?」
「汚いもの」
「…………」
汚い……
きたない……
キ タ ナ イ……
動から静へと気持ちは変わり、私は茫然と立ち尽くして主人を見つめた。
そんな風に思われていたなんて、ショックが大きくて絶句だ。
拒絶行為が寂しくて悲しくて胸が痛い。
けれどよくよく考えたら否定もできない。
コウモリに素手で触れる人間は稀だろう。男だって抵抗を感じるはずだ。
葵を責められない。でも私は仮にも彼女の執事。キツい性格は承知だが、あのセリフはあんまりだ。
「執事、コウモリになって!」
頭の中が真っ白で、佇むだけで精一杯の私の耳に届いた威勢のいい声。ハッと我に返り改めて主人を見直す。
顔を向けてはいたが意識はどこか遠くに行っていて、なんだか久しぶりに見る彼女は不機嫌そう。
それもそのはずで、言うことをきかない反抗的な私に今度こそ手厳しく声を張り上げた。
「命令よ!急ぐ!」
急かされて慌ててコウモリの姿に。衣服がバサッと床に落ち、その影から器用に翼を駆使して宙を羽ばたく。
室内を旋回しカーテンレールに逆さ吊りに止まった。
サイズもミニになり全身黒一色。この姿で言葉を発することは不可能なのでただ黒い瞳を主人に向けた。
「おいで、執事」
うって変わった優しい声でそう告げて、葵は手のひらを差し出した。
バタバタと羽音を響かせ飛び立つと、言われた通りそこに着地。ぺタリと彼女の手のひらに貼りついた。
コウモリ時の私のサイズはちょうど葵の手と同じくらい。丸みを帯びた長方形で顔はネズミに近い。
愛嬌のある可愛い顔と自負するが、個人差はあるだろう。
我が主人は人間時の容姿は誉めてくれたが今はどうなのだろう。「汚い」と言われたんだ。期待薄であることは確実か。
グシャリと握り潰されゴミ箱行きも覚悟していた。けれど降り注いだ声は魔女の化身とは思えぬ女神の囁き。
「危険や休憩したくなったらここや肩に止まるの。いいわね?」
あ、そういえばベッタリ触ってる。両手を使ったサンドイッチ状態で優しく撫でられ心地良い。
このまま眠ってしまいたい。再び届いた声はまるで子守歌のようで。
「私はあなたのご主人様。見捨てないわ。きちんと守るから今の言いつけを忘れないように。返事は?」
歯の浮くようなクサいセリフも葵が話すとカッコいい。男ならさぞかしモテたはず。
いや、今も男女問わず十分に慕われていると聞く。納得だ。
内心で惚れ惚れしながら返事の代わりに爪でカリッと彼女の手のひらを引っ掻いた。もちろん優しく。
「くすぐったい」
笑みを含んだ声。表情を見ることは叶わなかったがきっと綺麗な笑顔であろう。
そこから私に対する嫌悪感は感じられず、思えば「汚い」のセリフもちと悪質すぎるが葵流のジョークなのだ、と思考を改めた。
素の彼女は正義感が強くて茶目っ気の塊。本気で人を中傷するはずがないのだ。
……多分。
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