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やがて唇を離すとギュッと抱き締めてから体も離し、青柳は私をキッチンの椅子に座らせた。
コーヒーの香り。
会社勤めを始めてからは勧められたら飲んではいたが、選べる時にはコーヒーは避け続けていた。その香りを、久しぶりに胸一杯に吸い込んだ。
――ああ、いい匂い。
コーヒーを入れる青柳を見ていたら泣きそうになって、私は慌てて視線を外し部屋を見渡した。
彼が昔住んでいた部屋より少し広く見えたが、それは部屋が広いわけではなく家具が少ないせいだった。ソファは無く、本やレコードも大分少なくなっていた。引っ越しで整理したのかなと思いながら、私は尋ねた。
「青柳さんが片桐先輩と同じアパートに住んでるなんて知りませんでした。片桐先輩、自分がここの長老だって言ってましたよ。青柳さんの方が年上ですよね?」
「ああ、知ってるはずだけど忘れてるんだろ。俺がずっと後輩面してるから。実際医者としてのキャリアも片桐さんの方が上だしな。それに片桐さんは学生時代からここに住んでる。俺はまだ半年も経ってないよ」
「それまで、あの部屋に住んでいたんですか?」
「いや、あそこは留学する時に出た。帰国してからは実家に戻ったけど、家に帰らないで知人の家を転々としてたよ」
そう言われてもイメージ出来ずに黙っていると、青柳にコーヒーカップを差し出された。
「話さないでくれって俺が頼んだんだけど、片桐さん、本当に何も話さなかったんだな」
青柳は立ったままコーヒーを飲みながら語り始めた。
「西野には、すぐ振られたよ」
私と付き合うのは罰なのかと問われて、返す言葉が見つからなかったと青柳は苦笑いした。
「その後は来る者拒まずって感じで付き合ってたら人間関係が大分面倒なことになって逃げるように留学して、帰って来てからはまだ俺を待ってた女の所に入り浸ってたんだけど、とうとう彼女にも愛想を尽かされて――」
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