第三話 わたし、イメージガールになる

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第三話 わたし、イメージガールになる

 人が歩むと、その跡こそが道となる。  参拝者が増えるほどに、寂れた獣道は次第に踏みしめられた参道となっていった。いつしか祠に至るまでの藪は失せ、引き換えに、ときおり参拝に訪れる村人たち姿がちらほらと垣間見えるようになってきた。  その日、智子は有頂天だった。 「はい、智子さん、こっち向いてくださーい」  カメラを向けた広報の言葉に、雨ガッパを来た智子は雨がさをおもむろに傾げ、とびきりの笑顔で応じる。  不思議な力で雨を降らす謎のてるてる坊主は、今や村はもちろん、近隣でも評判となっていた。  智子の降らせた雨で育った作物は、近年にないほどの出来栄えに育った。  そのため、最近ではすっかり寂れきっていたこの村に、直接、作物を購入に訪れる他県の人の姿が時折見られるようにすらなってきた。中には村の特産として買い付けにきた業者もあり、JAを介さずに卸ができる分、村人たちの懐も次第にうるおっていった。 「丹精込めて作った青菜がJAを通せばトラック一杯で八百円、それで生きていけると思うか?」 「いやぁ、智子ちゃんさまさまだ」  村人たちは口々に言い合った。  そして数日前、智子は農産物の研究をしていると言う企業の広報と会った。高田と名乗る広報担当者は、神経質そうな顔立ちで眼鏡をかけた痩躯の男性だった。 『地球とくらしの架け橋を作る』  そんなキャッチコピーで飾ったその企業は、農産物の高品質化の研究とそれによって収穫されたものの流通を事業としていた。 「弊社では、村で収穫された作物を特産ブランドとして流通させようと考えています。そこでもしよろしければ智子さんには、広報の一貫としてブランドのイメージガールになっていただけませんでしょうか? 弊社の雇用というかたちで」 「うわぁお!」智子は目を輝かせた。  一も二もない話だった。そもそも智子は就職活動の名目の下、日照りのときに村人から雨降りを頼まれたり、たまに農作業を手伝ったりしているだけのひま人なのだ。  作物の特産化に向け、品質に応じて村の各農家から農作物を買い上げることを条件に、智子は飛びつくように企業と雇用契約を結んだ。もちろん、さらなる僥倖に、村人たちは諸手を挙げてこれを歓迎した。 「やったぁ! 神さま! やったぁ!」  契約締結と同時に智子は叫ぶ。 「……神さま……ねぇ……」  しかし、無邪気に喜ぶ智子を尻目に、中指で眼鏡を直しながら、高田は嘆息とも侮蔑ともつかぬ口調でつぶやいた。  その声音には彼がこれまで歩んできた苦難の道のりがしらじらと滲んでいた。                   *  その日、智子は数人の村人たちと祠の再建に訪れていた。 「さあ、がんばっていこうー!」  智子は張り切っていた。これまで祠の清掃や維持は智子一人が行っていた。 しかし彼女一人でできる祠の整備などたかが知れている。それが今では、祠は村公認と言っても過言ではなく、加えて村の大工をはじめ、多くの男手を用いて管理できるようになったのだ。 「危ない!」付近の藪を刈っていた壮年の男性がいきなり叫んだ。  祠の真向かいの鬱蒼とした茂み。そこは枝葉だけが張り出しているものの、地面のかわりにぽっかりと中空が口を開いていた。 「崖じゃないか……」深い断崖を見下ろしながら男が言う。  藪の続きと思い込んで、もしそこに足を踏み入れていたらひとたまりもなかった。  一人勢いづいている智子とは裏腹に、智子の祠の再興に取り掛かかるうち、村人たちはこぞって気づきはじめていた。 「なんか変なんだよなぁ……」  誰ともなしに村人たちはつぶやき、薄気味悪そうに辺りを見渡す。  なにかがおかしい。  この祠――山は奇妙だった。  祠に至るまでの道を間違えると、同じ道を堂々巡りになったり、いかにも足をひっかけんばかりに木の根が妙にもたげていたり、さらには転びかけたところに尖った枝が突き出していたりと、動けば動くほど何かがおかしい。  まるで祠が意思をもって人を拒んでいるような―― 「そんなことないよ」脳天気な声で智子が言う。「山登りしてからの作業だから、みんなちょっと疲れてるんだよ」 「完全な建て直しは難しそうだ」祠の傍らの地面を足で確かめながら大工が言う。 「ここは地盤がゆるい。祠の土台ももろくなっているが、土台ごと変えるとなると今度は地すべりとか起きそうだ。突貫工事になっちまうが、直せる部分だけ直す程度にすべきだな」  智子は渋ったものの、最終的にはその提言を受け入れざるを得なかった。  結局、村人たちで丸太を組んで鳥居を作り直し、祠の方は観音扉を据え付けて、切妻屋根の大穴を直すに留めることにした。  それでも――  祠はようやく祠のかたちを取り戻した。  修繕を終え、智子の背後に並んだ村人たちが揃って柏手を打つ。 「ここはおかしな気配を感じる……」  参拝後、祠を見据えつつ村の老人の一人が真剣な目でつぶやく。 「なにか昔あったのかもしれない。そりゃあ、これだけみんなを助けてくれたんだからお祀りはすべきだろうが、普段、ここには近づかない方がいいかもしれん……」 ――世の中には鬼や厄災を鎮めるために、祀った神社だってあるんだ。 智子は老人のその言葉が妙に心に引っかかった。                   *  数ヶ月が経った。  今や村は大いに発展していた。企業のPRが相乗効果を生んだのだろう。地元の住民がほとんど寄りつかないにも関わらず、雨を呼ぶ巫女が祀るという祠は、新しい観光スポットとして、すでに遠くの地方にまで噂が広がりつつあった。  噂を聞きつけた旅行業者も村の発展に一役買った。日に一度かニ度、ツアーと思しき大型の観光バスが村を訪れるようになったのだ。  個人や家族の観光客も増えた。しかし村の往来に車を停めたため、農家の軽トラックが通れなくなり、まれに小さないざこざを起こすこともあった。  祠には多くの参拝者が訪れるようになった。ときに祠の前で参拝者がちょっとした列をなすほどの人気だった。  祠に至る山の小道は多くの人の足に踏み固められ、いつの間にか参道と呼べるようなものができあがっていた。山の麓には商魂たくましい誰かが、村の特産とはまったく関係のない味噌田楽の屋台を出したり、バラックでできた土産物屋を出したりしていた。  参拝者は、農業関係者はもちろん、河川の工事関係者や漁業関係者など、水にまつわる生業の者も多かった。のみならず、「雨降って地固まる」のゴロ合わせから、カップルたちにも人気のスポットとなっていた。  謎のてるてる坊主――智子も今や企業のイメージガールはもちろんのこと、雨降らしの巫女として、連日雑誌や県の観光宣伝にまで引っ張りだことなっていた。  その日、智子は仕事をさぼり、裕美と一緒に公民館と言う名の、実質、村の寄り合い所にいた。一人暮らしの老人が多い過疎化したこの村にあって、ここには来れば必ず誰かがいるからだ。 「村は潤ったけどねえ」近所の老婆が言う。「あたしみたいに終わりが見えてくるとさ、儲けてどんちゃん騒ぎするよりも、神さま仏さまがお迎えに来る日まで、なるべく静かにそっとしておいてもらった方がありがたいんだよ」  日焼けに黄ばんだ畳敷きの広間に寝転んで、みかんを口に運びながら、智子は老婆の話に耳を傾けていた。  ――余計なことをしない、かぁ……。  不意に智子の脳裏に昔の出来事が蘇った。  それは幼い頃、智子が山登りを止めた理由だった。  崖から落ちかけた智子を、見えない誰かが助けてくれたあの日。泥だらけで家に帰った智子はその日起きた出来事を祖父に報告した。しかし、いつも優しかった祖父がそのときだけは信じられない剣幕だった。 「おめぇ……あんな山、近寄る人間なんて誰もいないぞ。もう金輪際、絶対に行ってはいけない!! おかしなところ行くもんじゃない! わかったか!!」  幼い智子は見たこともない剣幕でこっぴどく怒られておしっこを漏らしそうになった。そうして山登りを止めるようきつく厳命された。そんな祖父も既に逝去して久しい。 「そういえば雑誌みたよ、智子すごいじゃん」智子の傍らでお茶をすすっていた裕美がふと口を開く。 「神さまのおかげさまだよ」智子が笑う。「でも、わたしのことだから、そろそろアイドルデビューとかしちゃうかも!」 「その前にその中学生みたいな体型をなんとかしないとね」 「なんでさ!」 「でもさぁ」と裕美がつぶやく。「智子って巫女さんなんだよね」 「うん!」智子は胸を張る。 「あたし、知らないんだけど」と前置きして裕美が問うた。「雨を降らせる神さまってどんな神さまなの?」 「うーん……」  裕美の質問に智子はやおら考え込む。  祠は今や水の神さまのように世間には思われている。  水の神さまとすれば、たとえば龍神さまかもしれない。確かにここは農村だし、水を司る龍神さまが祀られているということはあり得る。  ふむ、と智子は一人ごちた。そうすると、わたしは龍の巫女か。龍に乗るわたし……なんか、かっこいいかも!  それでも智子が脳裏に描けたものは「まんが日本昔ばなし」のオープニングの龍にまたがり、でんでん太鼓を掲げている自分の姿だった。 ……なんかしっくりこないなぁ……。 「ここにいたんですね!」  玄関の引き戸が音を立てて開き、広報の高田が顔をのぞかせた。 「またこんなところでさぼって!」 「ひっ……!」智子はとっさに裕美の背中に隠れる。  高田は智子の手を引いて無理やり自動車に押し込めつつ、本日の智子のスケジュールをまくしたてた。  高田はいつの間にか広報兼、智子のマネージャーのような役割を負わされていた。 「やだよ。もう疲れちゃったよ。働きたくないよぉ」  高田の運転する自動車の助手席で智子はごねる。呆れた声で高田が言う。 「こんな良い会社に就職できたのに、あなたは一体、何を言ってるんですか」 「神さまのおかげさまだよ」 「わたしはそういうものには興味ありません」きっぱりと高田は言い切る。 「それよりいいですか、智子さん」噛んで含めるように高田が言葉を続けた。 「智子さんは働くということについてどうもよくわかっていないようです。働いてお金が稼げるというのは大事なこと、とても尊い、ありがたいことなんですよ」 「……そうなんだ」これまでアルバイト程度しか労働の経験のない智子にはいまいちピンと来ない。  高田はほんのかすかに頷いた。そうして真剣な声音で言葉を継ぐ。 「世の中にはどれほど願っても、就きたい仕事に就けない人がいるんです。理不尽な理由で働くことも自由にできず、うなだれて人生を送らざるを得ない人がいるんですよ。日本だけじゃない。世界中にいるんですよ。わかりますか?」 「うん……」智子は自分が神社で奉仕したかったことをふと思い出した。 「……希望した仕事に就くのに、わたしはとても苦労しました……」  まるで自分に言い聞かせるかのように高田はぽつりとつぶやいた。しかし、はっと我に返ると、おもむろに話題を変えた。 「そういえば智子さんが言っていた神の山。県の再開発で崩すようですよ」
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