第四話 わたし、裏切り者になる

1/1
前へ
/8ページ
次へ

第四話 わたし、裏切り者になる

「ちょっと! 山を崩すってどういうことなの!?」  智子は通話口に向かい、激しい剣幕で問うた。 「いや、そんなこと俺に聞かれても……」  受話器の向こうからは、中年男性の声がしどろもどろに応じる。 「だって池尻のおっちゃん、お役人でしょ」 「俺なんか、ただの村の木っ端役人だし、そもそも部署も違うし」  もういい、と叫ぶと智子は受話器を叩きつけた。  結局、県庁に問い合わせをしてみたところ、高田の話が本当だったことが判明した。  観光スポットとして村が人気を集めるにつれ、県側も村を再開発の余地ありとにらんだのだった。県は、村を観光地化することを目的にしており、そのために国道を拡張して村へのアクセスを良くし、さらに村の中心に観光施設を作ることで他県からの集客をさらに向上させようと図っていたのだ。  その日、智子は公民館で頭を抱えていた。山を切り崩すとなれば、当然祠も壊されてしまう。だが、智子一人が異を唱えても県の対応はにべもないだろう。それでも山を崩すことだけはなんとしても止めさせたい。一体どうすれば良いものか。  ふと、智子は違和感を覚えた。いつもなら気さくに話しかけてきてくれるはずの村人たちが妙によそよそしい。中には公民館に入ろうとしたものの、智子の姿を見た途端、顔をしかめて出ていってしまう者までいた。 「ねえ、ちょっと。智子、まずいよ」裕美が智子の耳元でささやく。 「なにがさ?」智子は狐につままれたような顔で応じた。  企業が買い上げている村の農産物の価格が大幅に下落したのだと言う。JAよりも安く買い叩かれているため、村民の中には、もう農家をやっていけないと嘆いているものも出てきているそうだ。  もちろん村の農家としてはJAとの取引を戻すこともできないわけではない。しかし、企業が高値で買い上げる契約をした際、村人たちは、安い卸値で買われ続けてきたこれまでのうっぷんを晴らさんとばかりに、JAのバイヤーにきつい言葉を投げた者も少なからずいたのだ。 「それ、わたしが悪いのかなぁ……」困惑した顔で智子がつぶやく。 「でも、企業に作物買うように交渉したの、智子じゃん」  うぅん……と智子は唸った。  村人たちの態度は智子への八つ当たりに過ぎない。しかし村人たちにとって農産物の卸値が下落することは生活に直結する問題でもある。実家が農家である智子からしても、村人たちの気持ちがわからないではない。  いいことしたと思ったんだけど、まさかこんなことになっちゃうなんて……。  智子はますます暗澹たる気持ちになった。 「それは農家側の努力が足りないからです」  農産物の仕入れ価格について、智子は携帯電話で高田に連絡を入れたのだった。  しかし、智子が話を持ち出した途端、高田は冷淡に言い放つ。 「努力と言ったって神さまが降らしてくれたんだし……」 「だから、そういうものに頼っているからダメなんですよ」高田はきっぱりと言う。 「最初に契約したはずです。会社は品質に応じてきちんと買い上げています」 智子はこれまでのつきあいで知っていた。高田は仕事の話で嘘をついたりはしない。 「でも、別に野菜とか、味が落ちてる気はしないけど……」 「だから、努力が足りないんですよ」  智子が何を言おうと、もうらちが明かなかった。                   *  高田の口を通じて僥倖が舞い降りたのはそれから数日後のことだった。生放送の番組で雨を降らせてみせて欲しいと、大手のテレビ局からオファーが来たのだった。  高田は気乗りしない様子だったが、智子はその提案に飛びついた。 「やる! やるったらやる!」  智子が提案に乗った理由。それは智子の自己顕示欲からきたものではなかった。  もし生放送で雨を降らす様子が全国放送で流れたら、それに合わせて祠の知名度も一気に跳ね上がることになる。県の目的は観光地化なのだから、祠がもっと有名になるのであれば、当然、県側も山を崩すことを考え直すはずだという智子なりの目論見だった。  放送当日、村に集まったテレビ局のスタッフたちと打ち合わせを終え、智子は高田と並んで畑へと向かっていた。  その日、日本は全国的に快晴だった。降水確率はゼロ。雲ひとつない晴れ間が山の向こうまで続いている。 「本当にだいじょうぶですか?」疑わしそうに高田が尋ねる。 「だいじょうぶ!」智子が即答する。  これまで智子が祈って雨が降らなかったことは一度もなかった。すべて成功してきたのだ。絶対に失敗するはずがない。あまつさえ、これは祠の窮地を救うための唯一のチャンス。神さまが雨を降らせないわけがない。  智子は長靴に黄色い雨ガッパ、そして白い雨がさの祈りの装束で畑の真ん中へと歩んでゆく。  スタート直前のオリンピック選手のような神妙な面持ちだった。  テレビカメラが回り始める。  ――神さま、お願い!  智子は雨がさを広げると、天に向けてゆっくりと左右に突き上げ始めた。  十分が経ち、二十分が経ち、三十分が過ぎた。 乾き切った空気の中、日本晴れの空の下で智子は一人、滑稽な踊りを続けている。  結局、雨は降らなかった。                   *  結果的に智子の番組は成功した。雨降らしに失敗した後、声も出せないほどに気落ちしていた智子は、にわかに投げられた高田の言葉に訝しげに顔を上げた。 「どうして?」 「わたしはそもそも、こういうものが成功するとは思っていませんでした。だから失敗したときにはお笑い番組になるようにあらかじめ話は通してあったんですよ。うちのCMも流しますし」  高田の言葉に智子は大きく目を見開いた。  彼女はようやく自分の置かれた立場に気づいたのだ。 自分は企業の客寄せパンダなのだ。神通力なんて、そんなオカルト的なものは必ずどこかでボロが出る。 ――最初から期待されていなかったのだ。  それと、と高田は淡々と言葉を続ける。 「村の農産物の仕入れ値の件、わたしの方でも調べておきました。結果から言えば、村の農産物の品質が落ちているというわけではなく、品質の基準そのものが上がっているとのことでした。これは村の土壌や、智子さんが降らせたという雨、日照条件などの分析が終わって他の地域でも、同じような品質のものが作れるようになってきたためです」  智子は愕然とした顔で高田を見る。  企業に雨を分析され、巻き取られた。企業は最初からこれが目的だったのだ。  やられた。完全に足元をさらわれた。 ――利用されたんだ。わたしも、神さまも。 「最初から裏切るつもりだったの……?」智子は蒼白な顔で高田に問う。 「何を言ってるんですか?」不本意そうな表情で高田が返す。 「わたしは言いましたよ。努力が足りないって。たとえばテレビで考えてみてください。発明当時であれば、みんなが同じブラウン管のものを買うでしょう。でも、いつまでも白黒のブラウン管テレビが売れると思いますか? 売れるわけがないでしょう。努力をしなければ置いてきぼりにされるんですよ。そんなことは当たり前じゃないですか」  ぐうの音も出ないほどの正論だった。  でも、と食い下がろうとした智子の言葉を高田が遮る。 「それにこれはとてもすばらしいことです。我が社が分析したデータによって、今度は国内だけではなく、世界中で良い品質の農産物が作れるようになります。世界で苦しんでいる貧しい人たちの助けになります。人間が人間として働くということの本当の価値はここにある」  いつしか高田は陶酔した面持ちを浮かべ、歌うように言葉を続けた。 「わたしは人間です。だからわたしは人間が好きです。人間はすばらしい。なぜなら人間は希望を持ち、這い上がることができるからです。困難の底から這い上がる。どんなどん底からでも這い上がる。いかに絶望しても這い上がることができる。希望の光を自分の裡(うち)に見出し、たった一人、いかに孤独であったとしても、希望を信じて歩んでゆくことができる。世界のどんな人間でも、人間すべて、一人ひとりに無限の可能性がある。血を流すような思いをしながら、みんながそれぞれ一歩一歩、懸命に努力してゆく。尊い!  それによってみんなが、お互いに幸せになってゆく。なんと尊い! 人間とは、限りなく尊いものだ!」  智子は口をつぐんでいた。  なぜなら、智子は高田の姿に祈りの片鱗を観たからだ。  ――人の祈りを否定してはならない。  それは智子にとって絶対かつ最低限のモラルだった。  智子にとって祈るとは、その対象が「何か」ではない。  イワシの頭だろうが、小さなお米つぶだろうが、マチュピチュのピラミッドだろうが、アフリカ原産のおいしいコーヒー豆だろうが、そんなことは問題ではない。  人は祈る。  祈るのだ。  そして大切なことは「それ」に対して、自分が「どう」であるかなのだ。  人が、人の祈りを邪魔する権利など、この世のどこにもない。  でも、とそこにきて智子は打ちひしがれた面持ちでうつむく。  ――わたしの神さまは……一体、なんなのだろう……。 「だいじょうぶですよ、智子さん」高田が励ますように言う。「我が社が協賛するかたちで村の中心に観光の目玉となる美術館を作ります。県知事の協力も得ているため、体制は万全です。これが成功すれば、村は農業よりも観光地として栄えるかたちになるでしょう。そして智子さんには、イメージガールはもう終わりとして、以降はその美術館のスタッフとして働いていただこうかと思っています」                   * 「なに……これ……」  村の再開発の計画書を目の当たりにして智子は言葉を喪った。  その日、村の体育館では村人を対象に、道路の拡張を含めた村の再開発と、そして村の中央に建設予定の美術館についての説明会が行われていた。  壇上には説明者として協賛企業の広報担当である高田のほか、県の職員と県知事、美術館の関係者がそれぞれ席に着いていた。  一方の智子はイメージガールを終え、次の雇用に備えたフリーランスという名の無職に戻ったため、住民側として席の最前列に座っていた。 「なんだこりゃ」智子の背後に座った村人が思わずつぶやく。  計画書には美術館で展示されると思しき作品の写真がいくつか載っていた。  伊勢神宮の本殿の写真に炎の映像を重ねたもの 「日本の墓」  手足を損壊され、首に縄をつけられた仏像 「糾弾」  床に敷かれて靴跡のついた日本国旗 「日没」  無数の位牌をドミノのように並べて倒してゆく 「歴史:敗北の連鎖」  ――あらゆるものが、ひどく暗澹とした作品ばかりだった。  村内のことにしかほとんど関心を示さない村民たちでも、その作品群の掲げているテーマの異質さに思わずざわついた。 「税金でこんなものやるのか? これはいくらなんでも……」  村人たちが口々につぶやき出すと、壇上に座っている大沢と言う名の大柄な男が不意に立ち上がった。彼は美術館建設における責任者の一人であり、かつ岐阜県の県知事でもある。 「これからはダイバーシティ、多様性の時代です。世界中の人々が日本にやってきて、さまざまな価値観が入り交じる社会になってゆきます。だからこそ芸術の真意を理解し、たとえば過去の歴史において反省するべき点はしっかり反省する。そういうことが平和を築くためには大事なのです。そしてそれを起点に村も大いに潤うことでしょう。ましてやその中心が芸術であるなんて、実にすばらしいことではありませんか」  大沢の言葉を受けて智子が立ち上がって叫ぶ。 「こんなの芸術でもなんでもない! お国と神さまへの冒涜じゃないか!」智子はさらに言葉を続ける。 「仏さまでも! ご先祖さまでも! 大切にしている人、いっぱいいるんだよ!」  違います、と大沢は、まさに想定内とばかりの自然な笑顔で応じた。 「これは仏像ではないし、位牌でもない。ましてや日本国旗でもない。そういうかたちの作品です。そして芸術というものは、何も美しいものばかりではない」大沢は言い切る。 「醜悪なものや衝撃的なものもある。顔を背けたくなるものもあるでしょう。しかしそこに果敢かつ深く切り込んでゆくことこそが芸術の役割なのです」  演説に慣らした手練の政治家と、ろくに世の中を知らない智子とでは、その言葉が生み出す説得力の差は圧倒的だった。 「ねえ、みんなこれでいいの!?」  劣勢からのプレッシャーに思わず助けを仰ぐように智子は背後を振り返り、住民たちに向かって尋ねた。  村人たちが一斉にうつむく。彼らは葛藤していた。このような作品を認めたいとは思わない。だが、美術館が建設され、村全体が観光地化すれば、身動きが取れず、先細りの現状を救ってくれる唯一のチャンスになるかもしれない。 喉の奥で唸りながら、眉間に皺を寄せて煩悶する村人たちの姿を目の当たりにして大沢はかすかに勝利の笑みを浮かべた。  智子は正面に向き直り、今度は県職員に向かって縋るように問うた。 「こんなのを一度建てたら永久に残っちゃうんだよ!? ねえ、あなたそれでいいの?」  智子の真剣な声を浴びて、県の担当者はとっさに目を逸らす。  たたみ掛けるように智子は言った。 「いい!? ゲージュツ家でも! 土星人でも! おすもうさんでも! 人間は人間なんだよ! 人が人を侮辱するとか! 悲しませたりするとか! そういうことはね! 絶対、絶対、やっちゃいけないんだよ!」  智子の素っ頓狂な言葉が飛んだその途端、うなだれる村人たちとは裏腹に、壇上の高田だけが打たれたように目を見開いた。  彼はわずかの間、何かを言いたそうな表情で智子を凝視した。ややもすると彼は気ぜわしげに中指でメガネを抑えたり、きょときょとと落ち着かげに左右に瞳を走らせたりした後、やがて、おもむろに口を開いた。 「そういえば智子さん」 「あ、うん」 「道路の拡張が計画されている山には確か神社……祠? がある、とおっしゃっておられましたね」 「……うん」 「ずいぶんな人気スポットだそうですね。観光に大きな影響を与えるかもしれません。一度調査が必要では?」 「ああ、そうだそうだ」  村人たちはほっとしたように口々に言い合った。  そんな村人たちの様子を目の当たりにし、大沢は即座に頭を巡らせる。  住民を味方につけずに事業を強行してしまうと、後に大きな支障をきたす可能性がある。それに観光スポットとして収益化できる場所があるのであれば、それは抑えておきたい。 「わかりました。近日中にそこを視察してみましょう」  丁寧に大沢が肯(うべな)った。  説明会終了の挨拶の最中、智子は怪訝な面持ちで高田を見つめていた。ほんのわずかだが生まれた好機。でも、なぜ彼は突然そんなことを言ったのだろう。  高田はいつもの淡々とした表情に戻っていた。その胸中は智子には図れなかった。                   * 「なんだこれは」祠を目の当たりにするや、大沢は心底嫌そうな声を上げる。 「こんなもの、社(やしろ)と呼べるか。百葉箱の方がまだマシだ」  宣言通り、大沢は祠の視察に訪れていた。同行したのは県の職員のほか、智子、高田、そして数人の村人たちだった。  祠は以前よりも一層、鬱々たる気配を湛えていた。智子一人がなるべく清掃を心がけてはいるものの、繁茂する自然の力には抗えない。中途半端に茂みが祠を囲み出し、途中には蜘蛛の巣や赤い毛虫の湧いた樹木やらが目に見えて散在している。  智子の雨降らしの力で参拝者が増え、確かに祠は一時賑わった。しかし、テレビで智子が雨降らしに失敗してからと言うもの、参拝者の足はぱたりと途絶え、祠はまた再び荒涼たる姿に戻ろうとしていたのだ。 「まったく、忙しい中、わざわざ足を運んでやったと言うのに」  説明会で見せた丁寧な態度とは打って変わった横柄な口調で大沢が言う。こちらが彼の本来の姿なのだろう。 「観光スポットになるわけがないだろう。こんな辛気臭いボロ小屋が」 「何がボロ小屋だッ!」  反射的に怒鳴り返した智子を、しかし、大沢はまるっきり無視する。 「そもそもこれは登記しているんだろうな」  大沢の問いに県職員が事務的な口調で応じる。 「神社であれば神地として登記されているはずですが、法務省に問い合わせても記録がありませんし。多分、昔、村の誰かが建てたのではないかと」 「ただの違法建築じゃないか」  次いで大沢は切り口を変え、今度は村人に問う。 「村の連中はこれをそんなに奉っているのか?」 「いや、村の連中はほとんど誰も来てない……」村民はしどろもどろに応じる。 「智子ちゃんが有名になったから、県外からお参りに来る人たちはいたけれど……今はそれもあんまり……」 話にならん、と一層苛立った声で大沢はぼやき、今度は智子に向かって問う。 「大体、これは何を祀っているんだ」 「……それは」智子は思わず口ごもる。  大沢は舌打ちした後、侮蔑の笑みを智子に投げた。 「おまえのこと知ってるぞ。テレビで笑い者になったインチキ霊能者だろ」 「インチキじゃない!」 「……もういい、視察は終わりだ」  大沢は踵を返しかけ、ついでのように鳥居を靴の裏で思い切り蹴り飛ばした。 「やめろッ!」  反射的に智子が跳躍し、平手で思い切り大沢の頬を張った。 「何をする!」炸裂する怒号とともに、大沢は脊髄反射もさながらに腰の入った拳で智子の頬を殴りつける。  大沢の胸ほどしかない智子の軽躯が吹き飛ばされ、藪の中へと転がってゆく。 「知事、いけません!」県の職員が大沢の腕を掴む。 「正当防衛だッ!」職員の手を振り払いつつ、大沢が叫んだ。  藪がガサッと動いた。悔し涙と鼻血を流しながらも、なおも智子が立ち上がる。 「おまえのことは、許さない!」  葉っぱと泥と蜘蛛の巣と毛虫に塗れた智子の姿は、もはや惨憺たる有様だった。 「ダメだ、智子ちゃん!」  なおも飛びかかろうとする智子を村人が羽交い締めにした。  村人に押さえつけられ、涙と鼻血と鼻水で顔中をぐちゃぐちゃにしながら智子はますます激高した。 「神さまを侮辱したら! 罰が当たるんだからねッ!」  ハッ、と大沢は鼻で嗤う。そうして小声で吐き捨てた。「やってみろよ」  大沢は立ち去ろうと智子たちに背を向けた。その後ろ姿に智子の叫びが投げられる。 「絶対だッ! 絶対だぞッ!」  大沢が去った後、その場に残ったのは地面に座り込んで涙を流している智子と高田だけだった。 「智子さん、知事にあれはいけません。もう美術館でも雇用はできませんよ」 「……そんなもの……こっちから願い下げ……」片手で顔を覆いながら、とぎれとぎれの鼻声で智子が言った。 「少ないかもしれませんが、せめて退職金の代わりは用意しますので……」  残念です。高田の声はもはや智子には届いていなかった。
/8ページ

最初のコメントを投稿しよう!

20人が本棚に入れています
本棚に追加