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初めての靴磨き
ヒロシが来ると一番近いところに陣を張っている長髪の男が言った。
「お兄さん、10分ぐらいだよ。すぐ終わる。あー、その靴はしばらく磨いてないね。ピカピカにしてあげるよ。はい、座って座って。」
ヒロシは言われるままに小さい椅子に腰かけた。そして目の前にある木の小台に靴を履いたまま左足を乗せた。
「あのー、靴を磨いてもらうのは初めてなんだけど。」
長髪の男は靴をまじまじと眺めて言った。
「お兄さん、任せておいて・・。あー、この靴、随分と色落ちしているなぁ。染めも一緒にどうだい。プラス500円で新品みたいになるからね。」
ヒロシはIT会社で営業をしていることもあって、ついつい人物観察をしてしまう。この職人、意外としっかりと話すし、営業トークも上手い。露天の靴磨き屋って浮浪者のような世の中を捨てた者が生活費稼ぎにしかたなくやっているイメージをもっていたが・・この職人は違うらしいと思った。
それにしても、いきなりプラス500円、締めて1000円か。ぼったくり?、まぁ、昼の東京駅前でぼったくられてもたいしたことないだろう。ヒロシは、話の種だと腹をくくって、長髪の男に従ってみることにした。
「確かに白けてみっとないと思っていたところなんで。おじさんの言う通り染めもお願いね。」
「毎度ありぃ~。」
長髪の男は靴を磨き始めた。ヒロシにとって初めての経験だが、その入念さ、手際の良さに感心した。最初に染めの材料と思われる塗料を塗り、様々な布を使って何度も何度も磨く。途中で靴墨を付けて、さらに何度も何度も。布を変える度に、終わりかな? と思うがまだ終わりじゃない。既に靴は良く磨かれていると思うが、さらに続けるともっともっと黒光りしてくる。ヒロシにとってそれが面白く感心しぱっなしだった。
磨きに感心しているばかりではなかった。職人との会話が面白いのだ。実に良く喋る。
「なんかアメリカの政治がおかしいねぇ・・」
「あそこの商社、これから儲かるよ・・」
「来年の野球は楽天が来ると思うよ・・」
こんな具合だ。話題は多岐に渡り飽きない。押しつけがましくなく、心地良い会話だ。靴磨き屋といいつつ、それまでの心豊かなこの職人の人生を感じるようだった。
靴磨きの仕上げが面白かった。水をビッビッと掛ける。そして最後の磨きをする。すると十分に黒光りしていた靴が、さらにビッカピカになった。新品以上と言ってよいだろう。スーツのズボンがみずぼらしく見えるぐらいだ。
「ハイ、片方、一丁上がり!。足を変えてくれるかな。」
ヒロシは木の小台から左の足をおろして、各段の差がついてしまったみずぼらしい右足の靴をのせた。その後も、驚きの磨きと心地良い会話が続いた。そしてトータル15分ほどで靴磨きが終わりとなった。
「ほーら、どうだ。これで女の子にモテモテだぜぇ! 女はなぁ、結局足元みてるからね、ははは。」
「ほんとうにピカピカだね! びっくりした。」
「ははは、俺たちはプロだからね。ありがとね!」
「また来るよ。」
千円札を一枚渡してヒロシは立ち上がり、オフィスへと歩き出しながら思った。
「1000円は安かったな。何よりも面白い15分だった。それにしても、あの靴磨き屋・・」
これがヒロシの彼らとの出会いだった。靴磨き屋を見下していたヒロシだが、この靴磨き屋達は格好とは正反対に人生に長けているように見えた靴磨き屋は仮の姿じゃないか? 人生レベルの高さを感じた。以降、ヒロシはこの露店の靴磨き屋に良く寄るようなる。
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