第11話 魔女の劇場

1/1

68人が本棚に入れています
本棚に追加
/33ページ

第11話 魔女の劇場

「――というわけで、次にここへ来たんだよ。君は僕の個人的な友人の中でも一、二を争う実力者だ。僕を助けるために協力してもらえないかな、カルラ」 「やだ」  神速の応答が終わると、舞台上には、しん、と静寂が満ちた。  その数秒後、辺り中から「うう」とか「ああ」とか、「もうひと思いに殺して……」とか言う情けない声があがる。  ミランとルドヴィークを仲間にして喪の街区を去ったアレシュは、現在、新市街のとある劇場にいる。  ここは二十年ほど前、ちょっとした喧嘩に端を発した大騒動の舞台となり、派手な呪術合戦の果てに廃墟と化した場所だ。  外観は古代風の円柱と彫像に飾られた重厚な建物だが、入り口はとっくに封鎖。  三階席までずらりと並ぶ真紅の客席は闇に沈み、端っこには埃かぶった緞帳や布に描かれた背景がわかだまる。舞台装置のシャンデリアの蝋燭だけがかろうじて燃え続け、半円形の舞台でうずくまる彼女を照らしていた。 「カルラ。僕の顔を見て言って。今日は何があったの?」  埃っぽい舞台の真ん中でアレシュが声を優しくすると、カルラはしがみついていた棺からようやく顔を上げる。  長い黒髪に、丸みを帯びた金の瞳。  女性的な身体の輪郭を強調する派手な衣装。  そこまではいわゆる『魔女』の印象から遠くない。  ただし肝心の顔はどこまでも優しげで、二十代半ばで刺繍やピアノが趣味のお嬢さんにしか見えなかった。  百塔街一の魔女、カルラ・クロム=ガラスは、くしゃりと顔をゆがめて言う。 「死んじゃったの……!」 「また猫でも拾ったの? それともウサギ? 君は生き物の世話なんかできないんだから、可愛いからって気軽に拾っちゃ駄目だ。そもそも君の使い魔は肉食なんだから、愛玩動物とは相性最悪なんだよ」  アレシュは苦笑し、横目でカルラの使い魔を探した。  ガスなんかとうに止まったこの場所はひどく暗く、アレシュの目でも舞台の下を見通すのは難しい。そもそもカルラが本気になれば、使い魔を隠すのなんか簡単だ。  舞台上は今日は『お嬢さんの部屋』という設定らしく、赤や薄紅、はたまた淡い花柄などをちりばめた家具や絨毯がごちゃごちゃと置いてあった。  そんな中で一番人目を引くのは、白い薔薇をいっぱいにつめた派手な棺だ。  カルラは棺を抱えこむようにして、派手にしゃくりあげながら言う。 「違うわ。今回は人間だったの。愛しのランドルフ。綺麗だったの、しなやかで、髪とかさらさらで、笑うとなんだか悲しそうで、すごい可愛かったの! でも、殺されちゃったぁ……!」 「殺された? ひょっとして、この周りにいる男どもに?」  訊くのが礼儀かな、と思ってアレシュは訊ねた。  さっきから気になって吐いたのだが、アレシュとカルラの周りにはかわいらしい家具以外にも転がっているものがある。  草木を彫刻した化粧台の下で、南国の花園を織りこんだ絨毯の上で、革表紙の本が並んだ本棚の前で、ひとめで小物とわかる呪術師やらちんぴらやららしき男どもが、脂汗を垂らしてのたうっているのだ。 「……見るからにろくでもない奴ばっかりだけど、カルラ、ひょっとして具合でも悪いの? こんな奴らに愛玩動物……もとい、愛人を殺されるほど?」  アレシュが不思議そうに言うと、カルラは大きく首を首を横に振った。 「違うの。このひとたちは、ランドルフが死んで、私の気が立ってたときに目についたから、ついやっちゃっただけ。ランドルフはね、気づいたら、寝台の中で綺麗な顔のまま動かなくなってた……」 「おい……! それではここにいる奴らは、完璧な巻き添えではないですか! さすがにそれはまずいでしょう!」  アレシュの背後でミランが叫ぶと、カルラは指で涙を抑えながらちらと彼を見やる。 「別にまずくない。殺してないし。っていうかあなた、誰だっけ?」 「覚えていないのですか!? ほら、五年前にアレシュの館に来た、アレシュの――」 「あ、アレシュの下僕かー。歳とったからわからなかった。ただの人間って、歳とるのほんとに早いわね」 「っ、違います、兄貴分です!」  ミランが不毛なことを主張するのを聞き、その隣に控えていたルドヴィークは甲高い声で笑った。 「ははははは。いやあ、先ほどから聞いておると、カルラ様は美しいだけでなく、実に愉快な方なのですな。紹介なしではけして会えない、会えたとしても十年待ちだの百年待ちだのという噂でしたが、まさかこんな形でお会いできることになろうとは。このルドヴィーク・ザトペック、光栄の極みです」 「別に光栄も何もないわ。紹介制にしてるのは効率の問題。会いたいってひとと誰とでも会っていたら、私の大好きな可愛いものと過ごす時間がなくなっちゃうじゃない? 人生は永遠じゃないのよ」  カルラがすんすんと鼻を鳴らして言うのを聞いて、アレシュは自分のハンカチを彼女に渡した。彼女は飾り編みのハンカチを受け取りながら、恨めしげな瞳を周囲に向ける。 「大体おかしいのよ。ランドルフは悪いことなんかなーんにもしない子なのに無残に殺されちゃって、こいつら悪い奴は街をふらふらしてるなんて。――ありがとね、アレシュ」  カルラは鼻にかかった口調で礼を言い、ハンカチから漂う清冽な香りに、ほう、と息を吐いた。  今日、アレシュがハンカチに吹いておいた香水は、パルファン・ヴェツェラ五番、『樹海の底にて』。  海の青を思い起こさせる爽やかさの後、ひとを穏やかにさせる緑の香りが漂う。  普通の状態の人間が嗅げばアレシュに漠然とした好意を抱くだけだが、混乱した人間には鎮静剤と同等の作用をもたらす香りだ。 (今日はこれで正解だったな。何せカルラ、大体いつも混乱してるし)  しみじみ思うアレシュの眼前で、カルラはようやく泣くのをやめる。  そのままアレシュを上目遣いで見上げると、彼女は甘ったれた声を出した。 「ねえ、アレシュ。やっぱりあなた、ランドルフの代わりに若返る気、ない? 若返りの術は私が責任もってやってあげるから。また、私の愛人になろうよ」  考えなしの誘惑は、まるで五歳や六歳の少女のよう。  その頼りない雰囲気に、アレシュの心はふらっと吸いこまれそうになる。  アレシュは知っているのだ。このひとは放っておいたら、魔法以外の何もできない。花を一輪育てることも、パイを焼くこともできない、迷子のお姫様。  いつだってさみしくて、いつだって不自由で、いつだって王子様を探してる。 (……でもまあ、これで千歳近いひとだし、ね)  同情しすぎると割りを食うのは自分のほうだ。  そのことはとうに知っている。  アレシュは傾きかけた心をそっと立て直し、白い指でカルラの喉に触れた。  薄紅色の唇から、ほ、と蕩けた息が漏れるのを感じながら、彼女の顔をあおのけさせる。口づけしそうな角度で彼女の顔をのぞきこみ、アレシュは優しく囁いた。 「玩具が壊れたら、すぐに取り替える? それじゃランドルフが可哀想じゃないか。玩具だろうと愛玩動物だろうと、そこには愛があったんだろう? だったら使徒級の魔女として、死因や犯人を調べてあげるたらどうなんだい」 「……調べて彼が生き返るなら、そうする。でも、もう、彼はいないんだもの。誰も私におかえりって言ってくれないし、魔法を褒めてもくれないし、おねだりもしてくれないし、こんなないないづくしの人生なんて、もう、全然我慢できないわ……!」 「そこで泣かない。悲しみすぎない。カルラ、君はもう少し自分を大事にする練習をして? ここじゃか弱い可愛いものはすぐ死ぬさだめだ。わざわざ弱いものを愛しては亡くして泣いてるんじゃ身体に悪い。君は愛玩中毒だ。……知ってるね?」  言い終えたのち、アレシュはカルラの唇に一度だけ軽く口づけた。  ほんの一瞬なのに、花びらみたいに儚い甘さが染みてくる。  明け方の夢みたいな、しあわせな甘さ。  そのままもう一度口づけたい気持ちが湧いてくるのをそっと抑えて、アレシュは微笑んだ。  カルラはほんのりと頬を赤らめてアレシュを見ていたが、すぐに視線を落とし、絨毯をかりかりと引っ掻き始める。 「……また、そういうことするし。私がこうなっちゃったのって、多分アレシュがいけないんだと思うわ。私が初めてお父様の香油を買いに行ったときのあなた、衝撃の可愛さだったもの。元から綺麗な男の子は好きだったけど、完璧すぎちゃって……あれが永遠だったら、一生側において苦労なんかさせなかったのに。なんでそんなに育っちゃったかな……」 「育ったのは、生きてるからさ。それとも、死んで剥製になったほうがよかった?」  アレシュが言うと、カルラは食いつくように即答した。 「それは、やだ!! 喋って動いてくれないと、かわいさ半減だもん!」 「だったら是非とも協力してくれないか? さっき言ったとおりの事情なんだ。葬儀屋からごっそり死体を盗んでいった奴を見つけたい。そうしないと、代わりに僕の命が持って行かれちゃうからね」  アレシュは言いながら、優しくカルラの細い黒髪を撫でてやる。  カルラにはいい思い出がたくさんある。  彼女の恋人、『小さな紳士』になって一緒にこの劇場で過ごした、ほんの二年弱の思い出。今となっては遠い話だけれど、当時は本当に楽しかった。  毎夜舞台上の寝台の中で、いろんな夢について語り合った。  アレシュ、あなたはどんなものになりたいの?  カルラ、君は今までどんなものを見てきたの?  私たち、僕ら、これからどんなことをする?  未来を見通せない街での二人語りは楽しく、むなしく、語り合って、黙りこくって、うとついて。  甘ったるいバラ色の夢から目覚めると、寝台の周囲が見渡す限りの大海原の真ん中に浮いた無人島になっていることもあった。  もしくは果てしなく続く草原の真ん中にしつらえられた、最高級の寝台。  暗い中にぽつぽつとかがり火の燃える、いにしえの王が化け物を封じた迷宮だったこともある。  少年だったアレシュは目をまん丸にして大喜び。  凝りに凝った幻影を生み出した本人であるカルラはそんなアレシュを見て、子供みたいに目をきらめかせて笑った。  ――さあ、冒険を始めましょう!  あのわくわくを思うと、今だって心が躍る。  自分とカルラだけの、宝石みたいな時間。  カルラも昔のことを思い出したのだろう、満足な猫のように何度か瞬いて撫でられたのち、小さくため息を吐いて答えた。 「……わかった。協力するわ。死体を消す方法ならいくらでもある。溶かすのでもいいし、魔界や世界の狭間に放りこむのでもいいもの。でも、そのくらいの技が使える人間はちゃんと葬儀屋から死体を買うものよ。技を持ってる人間は技のぶんだけ稼げる。特に、この街ではね」 「ふむ、正論ですな」  ルドヴィークが笑んだままうなずき、ミランはがしがしと頭を掻く。 「すると、やはり葬儀屋への嫌がらせと思うのが妥当なわけか?」 「そうやもしれませんが、葬儀屋が憎まれることは年中でして。それだけでは手がかりにはならんのです。悲しいことだね、アマリエ? それとアレシュ。ちょっと床に伏せたほうがよさそうですよ」 「伏せる?」  なぜです、とアレシュ聞き返す前に、耳がきん、という高い音をとらえた。  怪訝に思った後に怖いほどの静寂がやってきて、ミランがいきなりアレシュの襟首をつかんで伏せさせる。  次いで、薄紅の壁紙を貼った壁が一気に吹き飛び、轟音と砂と壁の欠片が室内を襲った。
/33ページ

最初のコメントを投稿しよう!

68人が本棚に入れています
本棚に追加