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第13話 光と闇が出会うとき
「こんにちは、初めまして。最初に謝罪をしていいですか？」
相手が不意に切ない調子で言ったので、アレシュは反射的にうなずく。
なんとなく、そうしなくてはならないような気にさせる男だ。
「ええ、まあ、どうぞ。それであなたの気が済むのなら」
「本当に申し訳ありませんでした。あっ、そう、この街では謝るときは金品を差し出すのが常識なんでしたっけ？ ごめんなさい、自由にできる金品は持っていないんです」
「はあ。幸い金には困っていないんだけど、そもそも君、どうして謝ってるんだい？」
「それです！ 実はわたし、さっきあなたが『サーシャ』と呼んだとき、『はい』と答えてしまいました。あれは、嘘です……わたし、サーシャではないんです」
「……うん、見ればわかるよ」
アレシュは言い、あらためて至近距離にある男の顔を見上げた。
年齢不詳のつるりとした肌に、金糸そのもののような光沢を持った長い髪。妙に純粋な表情を浮かべた少女みたいにみずみずしい美貌と、アレシュを抱っこしても微動だにしない立派な体格。
この男はサーシャとは何もかもが違う。むしろ真逆だ。
どこにも隙が無いのに、どうにも不自然な感じが拭えない。
一体なにが不自然なのだろう。
そこまで考えて、アレシュはぞくりと寒気を感じた。
（そうか。こいつ、嘘の匂いが全然しない。完全に、本心で喋っている）
嘘を吐いている人間は常にそこはかとなく緊張している。緊張した人間というのは、独特の匂いを発するものだ。それは多かれ少なかれ、百塔街に生きる人間が共通して持っているものであった。
なのにこいつからは、その匂いがしない。
この歳になって、この街で、本音で生きていける人間とは、一体何者だ。
男は、アレシュの気持ちなど知りもせずに表情を輝かせて続ける。
「わかりますか？ あなたは頭がいいな。さっきのあなたは、この小路に仕掛けられた魔法に巻きこまれていました。かかってしまった魔法を解くには、わたしとあなたの間に応答が必要だった。あなたは『サーシャ』さん以外のお声は聞く気がなさそうでしたので、ひとまずわたしが彼のふりをさせていただいたのです。本当にすみません」
「いや、それはもう構わないよ。今さら魔法小路の魔法に引っかかるなんて、僕が油断したんだ。それはともかく、下ろしてもらえるか？」
アレシュが曖昧に微笑んで告げると、相手はやけに神妙な顔でうなずいた。
「はい。ちゃんと立てますか？ よろめくようなら、ちゃんとすがってくださいね」
……こいつは、アレシュを足腰立たない老人だとでも思っているのだろうか。
確かにここには見た目以上に歳を取っている人間は山ほどいるけど、と思いつつ、アレシュは相手を注意深く観察する。
見た目は優しげな美形なのに、思った通り筋力がすごい。
優美と言ってもいい所作でアレシュのことを地面に降ろしたこの男、殴り合いをしたら簡単にアレシュをのしてしまうだろう。
他の仲間ならどうだろう、と思ったところで、後ろからルドヴィークの声が響く。
「アレシュ。ご無事で何よりですが、早めにこちらへいらしたほうがよいですよ」
「ああ、ありがとう、ルドヴィーク。大丈夫、このひとが魔法を解いてくれた。だけど、まだサーシャを……」
まだサーシャを探しているんだ、と言おうとして振り返ると、小路の入り口に立ったミランとルドヴィークの姿が見えた。
続いてすぐそばの、小路に面した民家の扉が開く。
また何かの魔法が発動したのか、とアレシュが身構えると、扉からはふらふらとひとりの男が出てきた。
「あれ、まだ生きていましたか」
さも意外そうに、アレシュを助けてくれた白服の男が言う。
扉から出てきた男は、古風な長衣をまとっていた。その形相はひどくゆがみ、震える両手は己の喉をつかんでいる。
彼はそのまま数歩進んで、アレシュのほうへ必死に手を伸べ――いきなり、どさっと地面に崩れ落ちた。
「これは……」
アレシュはゆるゆると目を瞠る。
どれだけ目をこらしても、見えているものは変わらない。
地面に崩れ落ちた男は、一山の砂金に姿を変えていた。
これも魔法小路が見せる幻覚か、と思いそうになるが、違う。これは現実だ。なぜならはっきりと金の匂いがしているからだ。無職無能のアレシュといえど、親から受け継いだ能力はある。
それはすぐれた五感。特に、嗅覚には自信があるのだ。
ひとの感情すら嗅ぎ分けるハナが、目の前の金の砂は本物の砂金だと告げている。アレシュは赤い瞳を細め、白服の男をじっと見あげた。
「これは、君の仕業か？」
アレシュの問いに、男はなんの邪気もなく笑う。
「なぜそう思ったのですか？」
「こんなことがあったのに、君がそうやって、平然と笑っているからさ。君からは悪気の匂いも、恐怖の匂いも、驚きの匂いもしない。……異常だよ」
アレシュの問いに、男の少女のような薄紅の唇がにっこり笑みを深める。
彼は楽団を指揮しようとでもいうように、堂々と片手を挙げた。
ぱちん、とその指が鳴らされた瞬間、妙なる音楽が耳元をかすめた気がして、アレシュはぐっと歯を食いしばった。あまりにも美しい音楽。だが、どこから聞こえているのかがわからない。
怖い。
怖い。
怖い……!!
こんな恐怖は、初めてだ。
恐怖のただ中で、ばたばたと扉が開く音が連続する。
魔法小路にずらりと並んだ家々の扉が、窓が、残らず全部開いていく。
その全てからさらさらと砂金がこぼれだしてくる。
「アレシュ……!! そいつは、誰だ!?」
吠えるようなミランの声が聞こえた。
そんなこと、アレシュだって訊きたい。
――白昼堂々、こんなに静かに、たったひとりの男が魔法小路に攻めこむなんて。一体、誰だ？
アレシュたちがそろって緊張に視線を鋭くする中、白服の男はひとり穏やかに笑って言った。
「異常というのはよく言われます。それはそうと、この小路は先ほどわたしがまるごと浄化しました。……その、正確に言うと、単にわたしが皆さんに改心をお願いして祈って回っただけなのですが――ちょっとやりすぎてしまったようで。皆、改心を通り越して黄金に転化してしまわれました。よくあるんです、やりすぎ」
最後にはちょっと恥ずかしそうになり、男は頬を赤らめる。
アレシュは彼の言葉がうまく理解できずに、脳内でもう一度繰り返した。
人間が、祈りで、黄金に転化？
それは魔法ではあり得ない。祈りで何かが起こるとしたら神の力だ。
「君は、七門教の関係者か？」
しかし、あの宗教に本当にこんな力があるのか？
半分以上疑いながらも、アレシュは一応訊いてみる。
すると、相手は笑みを深めてはっきり答えた。
「はい。わたしは七門教第六の門、ゼクスト・ヴェルト神に仕える者。エーアール派司教、クレメンテ・デ・ラウレンティウスと言います。一応、この街の新しい司祭です。前の司祭が殺されてしまいましたので、代わりに立候補いたしました。頼りないかもしれませんが、ここはひとつ、どうぞお見知りおきを」
丁寧に胸に手をあて、頭を下げるクレメンテには罪悪感も悪意も一切無い。
ルドヴィークとミランが、小路に足を踏み入れてくるのがわかる。住人たちがすべて砂金に変わってしまった小路は、もう侵入者に魔法をかけることはない。
「……これはまた、ずいぶんと舐めた司祭さんがいらしたもんだなあ？ この街に教会はいらん。そのことがまだわからないとは」
ミランが低く威嚇し、ルドヴィークは表面的には楽しげに言った。
「しかし、祈りだけで人間が砂金になるとは。本当ならば歴史に残る奇跡ではありませんか？ 実に興味深い」
「そうだね。実に興味深い。そして、謎が解けた」
アレシュはつぶやき、夜のように甘い笑みをそうっと白い顔に載せる。
「七門教の敵討ち、ということなんだね、これは。きっと、あの死体も。聖ミクラーシュ教会で殺されたエーアール派信徒の死体を葬儀屋のもとから連れ去ったのは、君の仕業だろう？ ラウレンティウス司教」
密やかなアレシュの問いに、クレメンテはすっと表情を陰らせた。まるで青天に雲でも出たかのようだ。
間違いないな、とアレシュは思う。
七門教の聖職者にとって死体は聖なるものである。彼らは人間の魂と体を『同一物質の状態の違い』と考える。人間は常に中が空洞になった氷に水が入りこんでいるような状態で、氷の部分が肉体、水の部分が魂だ。
死体はきちんとした処理をして、すべてを魂の状態に戻してやらなければ神の国へたどり着くだけの力がなくなると思っているのだ。
だからこそ、彼らは死体の悪用を恐れ、死体を売り買いする百塔街を忌む。
「君たちなら、どんな手段を講じてでも仲間の死体を取り返したいと望むだろう。そして、その、君の力だ。ひとを砂金にするほどの力なら、百近い死体をぱっと消すことだって出来るんじゃないのか？ 奇跡は僕らの世界の法則を無視すると聞くからね」
不必要なほど甘くなるアレシュの声に、クレメンテは悲しく瞬いて言った。
「――ご存じなんですね、そのことを。あなたも色々と、よくない気配がする。さっきあなたが追っていたものも、実によくない」
当たり、だ。
アレシュの濡れ衣を晴らすための捜査は、案外あっさり決着がついてしまった。
（あとは、こいつをこの街から排除できればそれで万事解決、だけれど）
果たして、そちらは簡単にいくだろうか？
クレメンテは長身の背を正すと、背後に歩み寄ってきたミランとルドヴィークにも視線をやり、悲しげに瞬いた。
「そちらの、白い髪のひと。あなたにもひどい呪いがかかっている。それに、そちらの方は――ご遺体を売買する職業とお見受けしましたが、あっていますか？」
声を投げられたミランとルドヴィークは、それぞれにかすかな笑みを漂わせる。
「俺が呪われているとしたら、どうだというのだ？ 祈ってくれるとでもいうわけか」
「どちらにせよ、エーアール派に向かって脱ぐ帽子は持ち合わせておりませんな」
立場も実力も段違いのふたりだが、反応は同じだ。
街の人間を殺した聖職者に、容赦はない。。
その気持ちは、アレシュも同じ。
こいつはアレシュに容疑がかかる原因を作ったうえ、サーシャを『よくない』と言ったのだ。
ゆるさない。
サーシャを、この街に住まう悪霊みたいに言う男は、もっとも無様に死ね。
アレシュは小首をかしげて言う。
「司祭さん。あなた何やら奇妙な力を持っているようだけれど、それは僕らも一緒なんだ。そして全員邪悪ときている。もしも街全体を敵に回す気がないのなら、早めに帰ったほうが身のためだよ」
優しい声を出してやりながら、そっと上着のポケットに手を伸ばす。
背後でミランの冷気がうっすらと高まる。
そしてルドヴィークの殺気が。
対するクレメンテはぎゅっと顔をしかめ、拳を作った。
「それでは、仕方ありません。お話はここまでです。あなたを、正義の鉄拳で粉砕します!!」
「やれるものなら、やって――」
「はい、頑張ります！」
アレシュが言い切る前に、クレメンテが大きく振りかぶって拳を振るう。
途端に目の前で、カッと凄まじい白光が爆発した。
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