第14話 聖なる最終無差別破壊兵器

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第14話 聖なる最終無差別破壊兵器

 閃光弾、もしくは誰かが明かりを当てたのか。  一瞬視界がゼロになり、アレシュはとっさに大きく飛び退いた。  アレシュはとっさに大きく飛び退き、ミランとルドヴィークは、ぐん、と前に出る。 「凍りつけ、神とやらの狗めが!」  ミランが叫んで懐から数枚の護符を取り出す。  氷結の護符だ。  勢いよく投げつけられる護符は、常人ならば即氷柱と化す強度。  いかな技か、札はクレメンテが発した光に一直線に吸いこまれて行く。  と、薄れゆく光の中心から、クレメンテの拳が現れた。  護符はクレメンテの拳に触れた途端、じゅっ、というような音を立てて砂に変わる。 「何っ」  ミランが目を瞠る。  いつの間にやらクレメンテの腕がきらめく金色の籠手で覆われているのを見て、アレシュも軽い混乱を覚えた。 (籠手? 一体どこから出した、そんなもの)  嫌な予感を覚えながらも、アレシュはポケットから小型の香水瓶を取り出す。  それの中身を予備の飾り編みに吹きかけ、クレメンテに向かって放った。  辺りをふわりと湿った匂いが包む。  深い夜の空気。森の奥から、梟の鳴く声でも聞こえてきそうな気配が辺りに漂う。  同時に、辺りにはじわり、と闇がにじんた。  この香水はアレシュが以前聖ミクラーシュ教会で使ったもの。闇の幻覚を見せる効能がある。人間の嗅覚から入りこんで五感を支配する魔香水の威力で、クレメンテを包んでいた光がすうっと打ち消された。 「これは……」  クレメンテは驚いたように囁くが、その白ずくめの姿は闇の中でも薄ぼんやりと浮き上がって見えた。  ルドヴィークが黒眼鏡の奥で瞳を酷薄に光らせ、音もなく斬りかかる。  殺気の塊のような剣風。  踊るように飛び下がるクレメンテ。  ルドヴィークの刃は蛇のように彼を追う。食いつくまで逸れない、死の牙。  しかしクレメンテは、その刃に自ら手をかざした。  り、りりん、と、やけに美しい音を立て、クレメンテの籠手がルドヴィークの剣をはじく。わずかに刃が滑れば腕ごと切り落とされるだろうに、なんたる無謀。  ルドヴィークはわずかに眉根を寄せ、いきなり手数を増やした。 「うわっ、すごいな!」  クレメンテが変にのんびりした悲鳴をあげてよろめく。  ほとんど見えない速さで繰り出される刃。  しかし、なぜか当たらない。  わざわざ避けているようには見えないのに、かすりさえしないのだ。 「アレシュ、奴はおかしいぞ! 俺の札が当たったのに、あの籠手、曇りもせん!」  ミランが怒鳴り、アレシュが何か返そうと唇を開く。  その言葉が声になる前に、クレメンテが申し訳なさそうに言った。 「ひどい殺気だ……。手加減できません。すみません、浄化されてください!」  そして無造作に前へ出ると、ルドヴィークの刃をひょい、とつかみ取る。 「何!?」  黒眼鏡の後ろで、ルドヴィークの目が大いに見開かれる。  いくら籠手で指先まで覆われているとはいえ、ルドヴィークの神速の刃をつかみとるとはどんな技と力だ。ルドヴィークはすぐさま逃れようとするが、刃はがっしりと固定されてしまってびくともしない。  信じられないことをした本人は、よく通る声で叫んだ。 「神に、栄光あれ!!」  どっと白い光がクレメンテからあふれ、どこからともなく優しげな旋律が響く。  わけのわからない幸福感がその場に居た三人を貫き、アレシュはつかの間、頭の中が空っぽになるのを感じた。  まともな思考ができない。  やけに不自然に、優しいことだけ思い出す。  サーシャ。  ろくにかまってくれない父親が悲しくて街にさまよい出たアレシュの、最初の友達。どこぞの魔女の息子だという話だが、ろくに魔法の才能がなかった彼。  いつも眠たそうで、無口で、歌がうまかった。  あちこちで歌うことで、どうにか周囲から生かされていた。  顔だけいいから生かされてる僕と同じだね、そう言ったら、少し笑った後にぶん殴られた。彼のやたらと耳障りのいい歌声を聞くと、アレシュは誰かを思い出しそうになる。  遠い昔、遠くで歌っていた誰か。  優しい声の誰か。  あなたの声。  女性と一緒に眠るとたまに夢にみられる、あなたの。 「――子猫ちゃん、こんな奴に捕まっちゃ嫌よ」  耳元で真剣に囁かれ、アレシュははっと我に返った。  気づけば目の前につややかな長い黒髪がある。  甘く重い薔薇の香りは、カルラの匂い。  いつの間にやら、百塔街最強の魔女がアレシュの前に立っている。  クレメンテはさっきまでルドヴィークの剣を握っていたはずの籠手からさらさらと砂金を零し、カルラに向き直った。 「また大変そうなひとが出てきましたね」  悲しくぼやく彼の足下にはルドヴィークが膝を突いていた。  アレシュは一瞬ぎょっとしたが、血の臭いはしない。怪我はなさそうだが、とルドヴィークの手元を見て再びぎょっとする。  ルドヴィークの仕込み杖が、柄しかない。  砂金だ。  砂金になったのだ。魔法小路の呪術師たちと同じように、ルドヴィークの刃もクレメンテの奇跡によって砂金と化した!  唖然とするアレシュを横目に、カルラは金の瞳を妖しげな色に輝かせて笑った。 「あら、他人行儀だこと。私のこと忘れちゃったの? 困ったひとね」 「え? あなた、わたしとお知り合い? じゃあ、わたしがいつか狩り逃した魔女さんといういうことですか」 「そのとおりよ。この子猫ちゃんは私のなじみなの。今日は退いていただくわ!」  カルラは言い、首にかけていたおおぶりなペンダントをとった。  無造作に地面へ放り投げられたペンダントは、石畳とふれあって、ちりん、と音を立てる。  途端に、ペンダントの周りが真っ青になった。  石畳が水に変わってしまったかのようだ。ペンダントの周りの青はぐんぐん広がり、手のひら大から水たまり大へ、こぶりな池の大きさへと広がっていく。  不思議な青がアレシュの足下まで達したとき、彼はぽかんとした浮遊感を覚えた。さっき魔法の穴に落ちたのとよく似た感覚。石畳が消え、ずるん、とその下に引きずり込まれる。 「ううっ、なんだ、この、その、うーん……いや、案外気持ちいいような感じは……!」  曖昧なミランの声も途中で途切れ、辺りに広がるのは、青、青、青。  落ちて行くのか、浮き上がっているのかもよくわからない。とにかく青い。  青が口の中から肺まで入ってくる。苦しい。  息が出来ない。  苦しい。  苦しい。  苦しい……!! 「急なお帰りですね、ご主人様」  冷淡なハナの声が近くで聞こえ、アレシュははっとして目を見開いた。    薄暗い虚ろな空間。  天窓から幾筋も光の帯が落ちている。  舞い散る埃と、古ぼけた家具。 「ここは……僕の家、か」  アレシュが無理やりにそう認識すると、身体の下にほこり臭いクッションの感触が生まれた。彼はいつしか見慣れたサルーンのソファの上にいる。 「扉の術……」  アレシュはひとりごち、自分の体を見下ろした。  先ほどカルラが使ったのは、ハナが使う力と原理は同じ。世界の狭間を通って、別の場所へ近道をする術だ。ただし人間はハナほど魔法が上手ではないから、狭間を通る間に手足の一本や二本は増えたり減ったりすることも珍しくない。 「――どうやら、今回は大丈夫そうだな」  アレシュがほっと胸をなで下ろしたところに、ぶっきらぼうな声がかかる。 「扉を開けて帰って来られるなら、あらかじめ言ってください。私が勘づいてこっちの扉を開けておかなければはじかれてましたよ」  顔を上げて見ると、薄暗いサルーンの端っこからハナがちょこちょこ走ってくるところだった。彼女の無表情の中にあふれんばかりの真剣さを見てとって、アレシュは淡く笑う。 「ハナ。ありがとう。君は本当に、掃除以外では優秀だね」  珍しくべた褒めしたつもりだったが、ハナはじいっとアレシュを見つめて黙ったままだ。  そこへ、遠くのソファから、がば、と起き上がったミランが、早足でやってきた。 「ハナさん! いやー、助かった。色々あってな、死ぬかと思ったぞ、正直なところ!」  ミランはにこやかに言ってハナを撫でようとするが、彼女はその手を素早く避けてアレシュににじりよる。 「……死にそうだったんです? 駄目ご主人様」 「カルラがこんな荒技を使うくらいだ。多分、死にそうだったんだろうな」 「…………」  カルラの名前が出てきた途端、ハナはくるりと踵を返してサルーンの柱の陰に駆けこんでしまった。その後、ひょこりと顔を出してじっとこちらを監視している。  素直じゃないが、心配してくれているのは確かなのだろう。  小さく笑ってアレシュが周囲を見渡すと、柱のそばの椅子にはルドヴィークが人形を抱いて座っている姿があった。どうやらみんな無事らしい。  ほっと息を吐いたアレシュの背後で、カルラのため息が響いた。 「あーあ。相変わらず私、ハナちゃんには嫌われてるのねえ。悲しいわ……。可愛いのになあ、ハナちゃん。撫でたい。リボン結びたい。着せ替えしたい。短いスカート履かせて、ちょっと不本意そうな顔とかされたい。ねえ、アレシュ。ご主人様権限でハナちゃんに命令して、一回撫でさせてくれない?」 「ハナに直接頼んでくれ、僕はご婦人にそんな命令を出来る男じゃない。ただし、お互い怪我をしないように頼むよ。……それにしても、おかしなことになったな。カルラ、正直、出不精の君が助けてくれるとは思わなかった。――ありがとう」  アレシュは背後を振り返り、こればかりは本心から言う。  ソファの後ろにたたずんでいたカルラは、珍しく少しばかり青ざめていた。不機嫌なわけではなさそうだから、疲労のためだろう。扉の術はこの偉大なる魔女にとっても大技なのだ。  彼女は長い指を自分の頬にあて、アレシュを見下ろして美しい眉を寄せる。 「私も思わなかった。でも、よりによって『あいつ』が出てきたんですもの……仕方ないわ」 「『あいつ』って、あのきらきらした新司祭殿のことだね。そういえば、顔見知りのようだったけど」  アレシュが訊ねると、カルラは薔薇の香りを振りまきながらソファの背に身を乗り出してきた。 「そりゃあもう、有名人だもん。そういえばね、聞いて、アレシュ。私、あなたに言われてランドルフの体を調べてみたの。そろそろ犯人に復讐してやろうかなって気になったから。そうしたら……聖痕があったのよ。あの子の胸に、ゼクスト・ヴェルト神の紋章が、焼き印みたいにじゅうっと残ってた」  カルラの指と体はあいかわらず綺麗だな――と、そちらへ傾きかけたアレシュの意識が、『聖痕』のひとことで元の位置まで戻ってくる。  アレシュが訊くより前に、部屋の隅からルドヴィークの低い声があがった。 「……聖痕。エーアール派の信者にはごく稀に起こる奇跡とは聞きますが、まさか、ランドルフ殿はエーアール派だったと?」  いつもにこにこと喋る男が、今は凍えるような殺気を隠さずに振りまいている。それだけの屈辱を味わったということだろう。  アレシュは軽い寒気を覚え、カルラは真剣な面持ちで背筋を伸ばした。 「もちろん、違う。ランドルフは可哀想な子でね、この街で魂を盗まれてしまったの。魂がないものは呪いに対して抵抗力が一切ない。だから私が保護してたのよ。私の防御は呪いに対しては完璧だった……でも、奇跡は、すり抜けた。呪いと奇跡は表裏一体で、同種のものよ。ランドルフは、『聖痕』という奇跡によって死んだ」  語るうちに彼女の瞳はらんらんと光り始める。アレシュですら一度も見たことのないその顔は、完全に獲物を見据える肉食獣のそれだった。  愛らしい色の口紅を塗った唇が、愛を囁くみたいに告げる。 「遠隔で、信者でもない人間に聖痕を押す。そんな奇跡を起こせるのはこの世界でもひとりだけ。そいつの名は、クレメンテ・デ・ラウレンティスよ。奇跡の大安売り屋台引き。またの名を、エーアール派の最終無差別破壊兵器」
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