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◆イニシャル
確かにプレゼントされたマフラーが6本もあるのでは、「正解の確率は六分の一しかない」と、桜井がボヤくのも分からないこともない。
だから桜井は考えた。
いつの日からか、マフラーに限らずプレゼントされた衣類には必ず相手のイニシャルを入れることにした。
つまり、衣類には必ず「品質表示」が縫い付けられている。
この品質表示の余白に、油性マジックでイニシャルを記すことにしたのである。
例えば、今日のデートの大塚マリアから昨年のクリスマスにプレゼントされたときには、その日のうちに「M・O」と記しておいたのだ。
『光翔さん、やっぱりそのマフラーにして良かったじゃない⁉』
「あっ、これね・・とっても温かくってこの時期は手放せないんだ」
『ウソ~、昨日の夜の帰り道では巻いてなかったじゃない?私が車でジムの駐車場を出た時、光翔さんって、ダウンの襟を立てたままでマフラーなんかしている様子は無かったわよ・・』
「えっ、見てたんですか・・それなら声をかけてくれたらよかったのに・・」
『トレーナー仲間と一緒のようだったので声はかけなかったの・・どうせ飲み会かなんかだったんでしょ?』
「そんなのじゃありませんよ!昨日はトレーナーの研修の日だったんです」
『そうだったの、それは失礼・・ホントよく似合っているわよ・・でもねなんだか私に見せつけているみたいに思えてね⁉』
「どうして、そんな風に僕を困らせるんですか?」
『だって、この車の中って暖房が効きすぎるぐらい温かいでしょ・・わたしは暑くってさっきコートを脱いだと言うのに、光翔さんってずっとマフラー巻いたままだもん』
桜井は慌てて、マフラーをほどいたのである。
こんな皮肉を楽しんでいる今夜のお相手のマリアは、夜の道路を西に向け、車を走らせていた。
桜井のイニシャル作戦は、どうやら成功したかのように見えた。
前方の信号機が黄色から赤になった。マリアは車を止めた。
何の前兆なのか、フロントガラスに雨粒が落ち始めた。
マリアは一言いうと反射的にワイパーを動かした。
『雨ね・・』
ワイパーのゴムがガラスを擦る音がする。
(ギュー・・・ギュー)
「マリアさんって安全運転なんですね・・僕なんか、今の黄信号だったらそのまま走っちゃいますがね・・」
「ねっ、マリアさん・・聞こえています⁉」
『ねぇ、この音って気にならない・・』
(ギュー・・・ギュー)
マリアはよほどこの摩擦音が不快に感じたのか・・いいや、以前からマリアは自分の車でもワイパーのゴムの擦れる音が気になっていたみたいで、どうやらワイパーの擦れ音にはトラウマになってしまっているようだった。
「この音か・・ホント気にすると、あまり気持ちのいいものじゃないですよね・・マリアさん、あの先に見えるコンビニに一度、車を止めましょうか⁉」
桜井は音の原因を調べるべく、マリアにはコンビニに停車の指示をした。
そして再び超長いマフラーを首に巻きつけた。コンビニに到着すれば、外に出るつもりだからだろう。
でも大切なことを言い忘れてしまった。「信号が青になったら・・」を言い忘れたのだ。
何を思ったのかマリアはまだ赤信号の中でアクセルを踏み込んでしまった。
「あっ、危ない‼」
桜井は、大声で叫んだ
黄信号を表示していた南側の側道からは信号が変わるのを恐れ、猛スピードで乗用車が交差点に突っ込んできた。
(ドォーン‼・・ガーン)
ものすごい音がした。
勿論、桜井の目の前でもエアバックが膨らんだ、さらに座席と一緒に絡ませてしまったマフラーがエアバックの膨張で桜井の首を絞めつける格好となってしまった。
救急車が来たのは、それから15分後だった。
変形してしまった助手席の車のドアは内側にめり込んでいた、乗用車が当たって来たのは助手席の側面だったからだ、一方、運転席の桜井には外傷がなかった、しかし首に巻き付けたマフラーが原因で窒息死と判断された。
でも、ワイパーを動かし、運転していたと言われる大塚マリアの姿は何処にもなかった。
そもそも、この車は桜井の車である。
その車をどうして大塚マリアが運転した話になっていたのか?
桜井は、大塚マリアとのデートのためにクローゼットからわざわざM・Oのイニシャルのマフラーを選んだはずだ。
だから、十分に温まっているはずの車中でもマフラーを外そうとせずに、マリアに気づいて欲しかったのである。
だが、このことでマリアの心中では怒りが絶頂に達していたのだ・・
本当は助手席にいたマリアはこう言ったのだ。
『あの先のコンビニで車を止めてくれる!・・』
「いいけど・・どうして・・何か買いたいものあるの?」
『コンビニには用はないけど、早くあなたから離れたいの‼』
「どうして?・・今、逢ったところなのに・・僕がなにか気に障ることでも言ったのかな?・・」
『この前ね・・私があげたマフラーって、光翔は気に入らなかったんだよね⁉だからわざと別のマフラーを首に巻いたりして・・しかもこの暖かい車中なのに・・これ見よがしに、
私とデートの時ぐらいは、私がプレゼントしたのを巻くのがパートナーのマナーってもんじゃないの!』
車は止まった・・止まるが早いか助手席のドアからマリアが飛び出して行ってしまった。
桜井はあれほど間違えないように「何度もイニシャルは確認したはずなのに・・」と、彼女を車から下ろしたころから、ずっとその謎を引きずりながら運転を続けていたのだ。
どうやら、心ここにあらずの桜井のドライブは、事故を起こすことでしか制御できない幻覚状態に陥ってたに違いない。
イニシャルが合っていたのにどうして?・・
その答えは実に簡単だった。
今夜のマフラーは「尾形 麻衣(Mai Ogata)」という名の女からプレゼントされたものだったのだ。
そのイニシャルは偶然にも同じ「M・O」だった。
このように説明を聞けば、何でもない桜井のニアミスである。
でもそれに気づかなかった桜井は、謎を引きずったまま、とうの昔に下車したはずのマリアが運転する妄想車の中からは脱出できなかったと言う訳だ。
こう言った話を訊くと、あまり女性にモテるのも、考え物ですよね・・その点・・私なんか絶対安全かも!
*このストーリーはフィクションであり、特に登場人物や施設の名称などは全て架空のものといたします。ご了承くださいませ。
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