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◆プレゼント
彼の名は桜井光翔(コウショウ)年齢は32歳、独身だ。
今、流行りのパーソナルトレーニングジムのインストラクターをやって10年になる。
イケメンとは言えないがキリリと締まった目に太い眉毛となると男らしさを感じさせてしまう。
ムキムキマッチョではないが・・そう、インストラクターというだけあって、均整の取れた肉体を有している。
ここまで揃えば、女性のお客様の目に留まらない訳がない。
普通のスポーツジムとは違い、女性のお客様一人に男性インストラクターが一人のマンツーマンのトレーニングは、端から見ていると、まるでデートを楽しんでいるように錯覚することが有る。
「お客様・・こちらのマットに体を仰向けにしてください」
『ン~と・・こうですか?』
「はい、腕は・・はい、このように頭の上に置いてください」
桜井はお客の手首をそっと両の手で包むように移動させる。
『手のシワで歳がバレてしまいそう‥』
桜井は思う(申込書には既に46歳とご自身で記載されていますけど・・)でも言葉にしないのが職業なのだ。
「そうですか?シワなんて気が付かなかったですがね・・次に右足だけを挙げられるだけ挙げてください・・そう、伸ばしたままです」
『太いので驚いたでしょ⁉』
「いいえ・・均整が取れて綺麗じゃないですか・・そう、最初は挙がる所までで結構ですよ・・」
だが、桜井も並の男である。
もし、お客が30歳前後で・・文句のつけようがないプロポーションの美人さんだったとしたら、それは全く違った対応になる。
「お客様、今日が初めてですか?」
『ハイ‥それがなにか?』
「失礼しました・・以前にも・・いいえ、きっと私の勘違いです失礼しました」
およそトレーニングとは関係のない話から始め、お客の緊張を緩和することから始めるのだ。
これは、決して間違った方法ではない・・むしろ理想的な接客である。
つまり心がけていても、なかなか出来ないのが接客術ある。
だけど、お客によってはそれが自然と出来てしまうから不思議なものである。
そうなんです、実はその自然なはずの接客が、今度はお客が勘違いしてしまうから、いとも簡単に恋愛カップルが誕生してしまうのだ。
世の若い独身男女に申し上げたい。
勘違いでもいいから、どちらかが積極的になることで、恋愛なんて簡単に出来てしまうのだから、いつまでも見栄を張っていたのでは恋愛なんて生まれません。
それが仕事の延長だと思い込んで、一度試してみようじゃありませんか⁉
こんなことから桜井は早速、「堀内 聖(セイ)」という名のお客と付き合いはじめたのである。
『光翔(コウショウ)君、今夜は何時に終わるの?・・わたし、行ってみたいお店が有るの、一緒に行かない?』
「今日のトレーニングはもう終わったんで、何時でも合わせるよ・・」
堀内と言う名の女の子、いや彼女と呼ぼう。
彼女は少しは名の知れたアパレル会社で、デザイナーをやっている。
勤務して10年になるが、社内ではようやく彼女の才能が認められ、お陰で勤務時間中も外出は自由である。
彼女はある紳士服の小売店を視てみたかったのだ、勿論仕事だが、会社の同僚よりも、光翔を同伴者とイメージしてしまったようだ。
しかし、彼女の送ったメールが、まるでチャットのように即、返信が来たのには送った本人が一番驚いていた。これから察するに、二人はとても、良い感じの関係のようだ。
『今夜は冷えそうね・・光翔君、そんな恰好で寒くないの?』
「まだ日が暮れたところだし僕は大丈夫だよ・・そりゃそうと、行ってみたいお店ってどこにあるの?」
『この下よ・・いやだ、光翔君ったら歩道のタイルを眺めてる・・でもそんなおどけたところが好きなんだ!・・この下って・・あそこから降りるのよ!』
彼女は少し先の地下街の出入り口を指さした。
「なんだ・・地下鉄の入り口じゃないか、僕がいま上がって来たところだよ、また降りるのかよ・・」
『愚痴はいわない・・良いじゃない、歩けば身体も温まるかもよ』
彼女は32歳、今の仕事についてからは結構な収入を得るようになった。
きっと桜井の2倍は稼いでいるだろう。
桜井もその辺りは心得ているようである。
店に入ったのは彼女からだった。
それもその筈、ショーウインドウには桜井の稼ぎではおよそ手の届かないブランド品が並んでいる。
『光翔君・・サイズはLかな?いやLLだよね?』
桜井は彼女の耳元で小さくささやいた。
「聖ちゃん・・僕にはとても買えないよ・・こんなの無理むりだって!」
『心配しなくていいのよ、私のオゴリなんだから』
そんな会話の中、彼女は二つの商品を買った。
しかし、支払ったカードはそれぞれ別々だった。
5万8千円のセーターはゴールドだった。そしてマフラーはシルバーカードで決済をした。
「聖ちゃん、こんなの貰う訳にはいかないよ・・」
桜井は大きな二つの紙袋を抱えながら彼女に言った。
『あっ、ごめんなさい・・セーターはどっちだったっけ?』
「これだよ・・」
彼女はセーターの入った袋を桜井から受け取った。
『ごめんなさいね・・このセーターは明日会社に持って行かないと・・仕事で使うの・・でも、そのマフラーは私から光翔君へのプレゼントだよ・・いま巻いてみたら?』
桜井は、地下鉄の階段の踊り場で、袋からマフラーを取り出した。
それは黒地に白い星が幾つか散りばめられた斬新なデザインだった。
桜井は、自分の首に巻いてみた。
「温かい・・これはありがたい」
2人は階段を上がり切ったところで、すっかりと暮れた冬の夜空を眺めた。
『光翔君・・見て・・星があんなにきれいに光ってる!』
「聖ちゃん・・有難う・・これホントに温かいよね!」
『いま、星が綺麗って言ってるの‼マフラーの話なんかしていないでしょ⁉』
「いや~聖ちゃんも綺麗だよ・・ホント!」
『じゃ、ご飯、食べに行こうか⁉』
「うん、行こう!」
桜井の勤めるトレーニングジムではこれまで話したようなお客が2~3年毎に入れ替わる。
顔見知りになって世間話が出来るようになるころ、その何割かが脱会して行くからである。
でも、なぜか桜井の周りだけは少し違った。
既に脱会したお客とも個人的には付き合いが残るからだろう。
しかし不思議なのが、なぜか同時に3人以上にはならないのである。
勿論、桜井から「サヨナラ」したこともあるが、大概は相手から縁を切られているのである。
桜井は1月3日が誕生日である。
だからなのか、それともクリスマスが冬の季節ということからか、彼女たちからのプレゼントの品はなぜかマフラーが多いのである。
いまでは、クローゼットには6本ものマフラーがぶら下がっている。
でも、どのマフラーもプレゼンターの名前が記されていないうえ、どれが誰からのプレゼントなのかを桜井自身が全く覚えていないから困ったものである。
そう・・あなたのご想像通りです。
冬のデートで巻いて行くマフラーが、ことごとくプレゼンターの物とは違ってしまうのである。
『光翔さん、それ・・そのマフラーって、あなたが買ったの⁉』
「君がプレゼントしてくれたんじゃなかったのかな?・・ほら去年のクリスマスだよ・・忘れたの?」
『私がプレゼントしたのとは違うわ!言っときますがね、プレゼントしたのはクリスマスじゃなくて、今年お正月よ・・そう・・ついこの間のあなたの誕生日よ! 一体、誰と間違えているのよ⁉』
それっきり、連絡が途絶えてしまった彼女が4人居る。なんとも羨ましい限りである。
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