サクラ咲クトキ

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 名前も知らない少年と、木の下のベンチで会って僅かながら会話を交わすこともいつのまにか日課の一つに加わった。別に仲良くなったつもりはない。日課として通い慣れた公園に行けば彼もそこにいて、話しかけてくるから返事をする、ただそれだけ。 ――ただそれだけだ。 「学校、何処に行ってるの?」 「……F高」 「好きな動物は?」 「……鳥」 「じゃあ、好きな花は?」 「……コスモス」  彼が一方的に質問を投げかけて、私は淡々と答えを返す。毎日同じような調子。けれど毎日会っているうちに、何故だか不思議と少しずつ打ち解けていった。  誰かに普通に話をしてもらえることが、もしかしたら嬉しかったのかもしれない。  私はいつも一人だったから。 「あの犬、いつもこの公園に散歩に来ているんだ」 「……可愛い。犬は好き?」 「僕は苦手。吠えられるから」 「……ふふ」  そんなことを繰り返して一週間も経つ頃には、一方的な質問に答えるだけだった私の方からも徐々に話を広げるようになり、会話が成立するようになり。  いつしか、ここだけが私の居場所になっていた。  毎日毎日、平日も休日も、私はこの公園へ通った。  学校で経験したこと、クラスメイト達の会話で耳にしたこと、家で起こった出来事。  友達がいない私が話すことなんてほとんどが暗い愚痴みたいなものばかりだ。それでも彼は黙って聞いてくれ、時には大袈裟に笑ったり、あるいは慰めてくれたりした。  学校でクラスマッチがあった日。  自分の意見をはっきり言えず、やりたくもないバレーボールの数合わせに入れられてしまった。案の定、まともにボールを上にあげることすらできず、チームメイトからはちゃんとやれと叱咤される始末。落ち込んで帰ると、彼は黙ってそんな話を聞いてくれた。静かに相槌を打って、最後には「それはひどいなあ」と共感してくれた。  テストの日。  前日にこの木の下で勉強をした範囲がテストに出たので、いつもより高得点が取れた。別に彼に勉強を教わったわけではないのだが、恩師に報告するような気持ちで公園に駆け込んだ。返却された解答用紙を掲げて見せると、彼はまるで自分のことのように喜んでくれた。  大雨の日。  大型台風が近付いて天気が崩れ、県内全域で警報が発表された。学校の授業は早く終わったものの、すぐに家に帰るのもなんとなく嫌で。どうしようかと悩んだ時、脳裏に彼の顔が浮かんだ。ひっくり返りそうになる傘を押さえながら公園へ行くと、彼はいつもの場所でずぶ濡れになって待っていた。何故こんな日にここへ来たのかと問うと、「君と同じ理由」と笑った。  家や学校では相変わらず一人。でも、ここに来ると一人ではなかった。いつも彼がいた。  しかしどれほど親しくなっても、彼は自分の事を話さない。家も学校も名前さえも、何一つ教えてはくれなかった。私が尋ねようとするとただ曖昧に笑って、「秘密だよ」と唇の前に人差し指を立てて誤魔化した。  そんなある日のこと。いつものように彼と別れて家に帰ると、両親が激しく口論していた。仲が悪いのは最近始まったことではないが、この日はお互い虫の居所が悪かったのかいつも以上に険悪で。ついには父が母に手を上げ、止めようとした私は、母の代わりに父に殴られた。  母の泣き叫ぶ声と、気まずそうな父の顔。  どうしていつも、私の家族はこうなのだろうか。  気が付けば家を飛び出して、いつもの公園に辿り着いていた。 「どうしたの、ついさっき帰ったばかりじゃないか」  葉も残り少なくなった木の上で、少年が目を丸くする。彼もまだ帰っていなかったらしい。  私は黙ってベンチに腰掛けた。彼が私の顔を覗き込んで、眉をひそめる。 「それ……頬に傷がある。何があったの」 「私には……私には、居場所がないの」  私には居場所がない。誰も私を必要としていない。  雫が頬を伝って落ちた。初めて口にした弱音だった。一度決壊してしまったそれは、次から次へと溢れ出してきて止まらない。  私は初めて彼の前で声を上げて泣いた。  どのくらいそこで泣いていただろうか。日が沈み、風が冷たくなってきたころ。不意に、ふわりと頭に触れる優しい感触があった。手をやると、紅く色づいた木の葉が一枚ひらりと舞い落ちた。 「ひとつ、いいことを教えてあげよう」  少年が微笑む。 「僕の名前。サクラっていうんだ」 「……女の子みたい」 「だから言うの嫌だったんだよ」  フフと笑って、彼は枝の上で器用にあぐらをかいた。釣られて私も唇が緩む。 「明日もおいで。待ってるから」 「……うん」  少し温かくなった心で、公園を後にする。  いつの間にか涙は止まっていた。家に戻ると、両親はまだ口喧嘩を続けていた。けれどそんなことはもう気にならない。  その日は、奇しくも彼と初めてここで逢ってから丁度一ヶ月が経った日だった。
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