少年Aの記憶

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少年Aの記憶

からんころん、と鐘が鳴って、僕らは一斉に目を覚ます。 二段ベッドが十五個置いてある部屋を抜けて、真っ白い廊下をスリッパで歩く。パタパタと僕らの足音だけが、廊下に響いた。 僕らは顔も背丈も全てが同じだ。物心ついた時からずっと、毎日同じように過ごしていた。 やることは、教育と食事、掃除とお風呂。 喋ることもほとんど無い。頷けば意思表示はできるし、コミュニケーションをとるということも必要なかった。同じ容姿の僕らは性格もまた同じようで、だいたい考えていることは同じだったし、同時に行動することは基本だったから、集団での個人行動が日常だったのだ。 教育では数学や物理、様々な言語を習った。あとは、社会として集団行動の必要性を解かれた。毎日話される同じような話は刷り込みのように僕の一部になっていて、僕らが一緒に過ごすことは僕らのためになるんだと漠然と思っていた。 床もテーブルも食器も真っ白だ。白ばかりで揃えられたこのの中で、僕らは真っ黒な服を着て生きていた。色がついているのは、朝と夕方の食事と外の景色だけだった。 そんなある日、僕は彼に出会ったのだ。 最初に聞こえたのは、ガシャン、と物が倒れて壊れる音。次に、甲高い悲鳴と破裂音。眠っていた僕らは一斉に目を覚ました。ドアの外に全員が気配を集中させていた。もちろん僕も、目を閉じて耳を澄ます。 パン、パンと短い破裂音がまた聞こえた。ドタバタと人が走る音、聞いたこともないような怒声、物がぶつかる音。そして、少し高い笑い声。 「トイレに。」 何故その時。 「トイレに、いってきます。」 何故その時、僕は一人で部屋を飛び出したのか。何故、衝動に駆られるように家中を走ったのかはわからない。走ったことなど大してなかった。結構過酷な掃除のおかげで運動不足はなかったが、筋力は少ない方だった筈だ。けれど走った。つんのめるように、ただひたすら走った。その笑い声だけを探していた。 息が切れて肺が痛い。懸命に腕を振れば、身体中がギシギシと軋んでいる気すらした。フラフラしながら廊下を曲がれば、その先に。 極彩色の少年が、僕を見ていた。 浅黒い肌に、ビビットピンクのつなぎがよく映えている。目がギリギリ見える程の粗くカットされた猫っ毛は輝く金髪で、僕を見る大きなつり目の瞳は美しい薄紫色だ。真っ白な廊下に立つ彼は異質そのもので、僕は言葉を発することも忘れて魅入ってしまった。 「お前が、やつか?」 威嚇するような低い声で少年は唐突に訪ねてきた。もともとつり目の瞳は睨むと凄みが増す。しかし、僕にはその意味がよくわからなかった。だから少し小首を傾げて、素朴な疑問をそのままぶつける。初めて自分とは全く違う存在に会ったのに、不思議と緊張はしていなかった。 「逆に君は、どうして僕と違うの?」 紫水晶のような瞳が大きく見開かれ、口が何度か開いては閉じてを繰り返す。言葉を選んでいるのか、眉もぎゅっと苦しげに顰められていた。 「……俺だけじゃないんだ。」 やっと絞り出された言葉はさっきとは比べ物にならない程細かった。 「お前じゃないやつは、世界に何百億っているんだ。お前達はそれを、知らされてない。」 その言葉を処理するより先に、彼がパッと周りを見た。耳を澄ませば微かに物音が近づいていて、僕は反射的に彼の手を取った。僕より少し背の高い彼は、ひょろひょろな僕よりだいぶ強そうに見える。 「僕、隠れられる場所なら知ってる、かも。」 余計なお世話かもと少し俯いてそう言えば、彼は初めてニヤリと八重歯を見せて笑う。キラキラと眩しい、胸が高鳴るような、つられて楽しくなってしまうような笑顔だ。 「さすが!頼むぜ!!」 それは、夜空に瞬く星のように儚くて太陽のように力強い、彼だけの光。色とりどりで眩しいその光は、刹那の間に僕の世界を色づける。目がチカチカして、身体中の血が強く脈打つ。思わず欲しいと思った。彼と同じだけの色が、輝きが、彼が。僕ものになればいいなんて。 「う、うん!!」 大きく頷いて、走り出す。掴んだままの右手がほんのりと温かくて、一人で走るよりずっとワクワクすることを知った。 ***** 彼を案内したのは、冬に使う寝具をしまう倉庫だ。こないだ変えたばかりのそれは温かくて、まだ肌寒い倉庫の中で不快感は感じない。 「すっげーいい布団がいっぱいあるな!」 「あ、さ、さっきの続き……」 布団に少しはしゃぐ彼におずおずと切り出せば、彼は困ったように笑った。困らせてしまったかと心臓が跳ねたが、彼は決まり悪そうに頭を掻く。 「つい、はしゃいじまった。ごめんな!」 それが少し嬉しくてただ頷けば、彼はすっと真剣な顔になる。一気に部屋の温度が下がったように感じて、思わず息を呑んだ。 「落ち着いて聞いてくれ。信じられないかもしれないが、お前は世界でただ一人なんだ。あの30人も、それぞれの個性があって良いんだ。それぞれが自我を持つべきなんだ。俺は今日それを伝えるために、ここに来たんだよ。」 ーーーーこの世界を変える為に。そう言った彼 の目が、強く光って見えた。
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