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 小さい頃から、僕は人の顔をうまく識別することができなかった。  単に物覚えが悪いわけではない。暗記科目は得意な方だ。だと言うのに、人の顔だけはどうしても覚えていられず、名札文化があった頃はまだ助かっていたが、大学以降はえらい苦労をした。  必死の思いで顔を覚えられない僕が習得したのが、声の識別。  それから、香りだ。 「おひさしぶりね」  喫茶店で待ち合わせをしていた僕の目の前に、一人の女性が座った。ゆるくカールした短いブラウンヘア、ベージュのトレンチコートにシンプルな黒いハンドバッグ。  一瞬、どちらさまかと思いかけたが、彼女が巻いているミントブルーのマフラーと、その香りですぐに理解した。 「変わりはないかい、(つかね)」 「ええ、相変わらずに」  40代前半、僕と同じ歳。大学の同級生。  大学を卒業してから、もう四半世紀も経つのだ。マフラーの間から見えた彼女の首筋の乾きが見える。きっと僕の首にも同じ乾きが見られるのだろうと思わず撫でた。いたしかたない、これも時間の成せること。  僕と束はこうして年に一度、多くても二度ほど会っては話をしている。決まって、必ず冬に。  話すといっても、その内容は他愛のないものだ。一年に二回会うか会わないかであれば、その間のことを話していればあっという間に時間が過ぎてしまう。  そんなさして面白くも無さそうな話を、四半世紀もずっと続けていたのかと言われれば、はいまあ、そうですと言わざるを得ないのだが。  おそらく僕らは、お互いに聞かせ合っているわけではないのだ。  この場所には、もう一人、。  束は巻いていたマフラーを解くと丁寧に畳み、テーブルの上に置いた。  ミントブルーの地にブラウンとベージュのチェックが入ったマフラー。その水色から、綺麗な香りが零れている。 『香水を掛けているのよ』  いつかの声が僕の鼓膜の奥で響いた。束の声ではない。  そこから、次々に僕の記憶の底から泡のように湧き立った。黒目がちのアーモンドの双眸、白磁に置かれた小さな鼻と桜色の唇、艶やかで長い黒髪。 「久しぶり、一蝶(いちょう)」  僕はミントブルーのマフラーへ声を掛けた。  四半世紀前、今日と同じ枯らしが吹く日だったなと、記憶の中の冷たい風が頬を撫でる。  僕は、一蝶の死体を見つけた。
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