一蝶(1)

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 それからたびたび、僕は一蝶と会話するようになった。といっても、僕と一蝶が会話できたのはその年の冬の間だけだったが。  彼女はどうだったか分からないが、僕にはその間だけでも十分な時間だった。一蝶という女性を識別できるようになるには。  だが、彼女を認識するたびに、僕にはやはりそのマフラーが気になってしまった。一蝶から浮き上がって見えてしまって、もはやミントブルーのマフラーが一蝶のアイコンのように見えていた。  冷たい小雨の降る日に、僕はふと一蝶に尋ねた。 「そのマフラー、気に入っているの? 誰かから贈られたとか」  僕の質問はしばしば唐突らしく、一蝶はそのたびに黒い双眸を瞬かせてから可笑し気に小さく笑う。 「いいえ。自分で買ったの。あまりに寒くて入った店で近くに置かれていたのを買っただけよ」  返ってきた一蝶の答えに、僕も内心驚いていた。彼女なら吟味するものかと思ったのだが、ただ手近のものを取っただけらしい。それだけ寒かったのだろうか。  だが、やはりそのマフラーは「市販のマフラー」ではなく、「一蝶のマフラー」であるのだ。  ああそうだ、もう一つ、このマフラーには要素がある。 「香水を付けているね」 「昔から好きな香りなの」 「どこかのブランドのもの?」 「自分で調合しているわ」 「できるものなの?」  今度こそ僕は驚いて、大きな声を上げてしまった。幸いに人の少なかった教室内で、こちらを振り返る人はいなかった。  一蝶は「できなくないわよ」と黒目を細めて笑う。  好奇心から調合の仕方を聞いたけれども、四半世紀後の僕には「なんとなくできそうだけど、たぶん僕が女の子でも積極的にやろうとは思わないな」という印象しか残っていない。  だが、これで、この「市販のマフラー」が「一蝶のマフラー」である理由が理解できた気がした。彼女はあちこちに売っているマフラーを、たしかに自分のものとしたのだ。  僕のその印象はずいぶんと強すぎて、立ち寄ったデパートで同じ柄のマフラーを見かけると酷い違和感を覚えるほどであった。「違うな」という思いが湧き立つのだ。  僕にとってその柄のマフラーは、「一蝶のマフラー」であるか、「一蝶のマフラーではないマフラー」であるか、になってしまったのだ。  およそほかの人間にはどうでもいいことこの上ないし、経済に影響もない、完全に僕の中に閉じた話しだった。  そのはずだった。
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