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「もう、この先は無いと思っていたのよ」  四半世紀を過ぎ、僕たちは40代半ばを迎えていた。  束はもう一度、僕にそう言った。木枯らしを聞き、鯨幕を遠巻きに眺めていたあの場所で聞いたことと同じ言葉。  丁寧に畳まれ置かれたミントブルーのマフラーを、彼女の乾いた指先が撫でる。その水色が色褪せることはないだろう。 「このままずっと、一緒にはなれない」  ぽつりと束が零す。それは、焼却炉の前で一蝶の首に新しいマフラーを巻いたときに呟いた言葉と同じだったかもしれない。  束は別のマフラーを用意していたのだという。理由を聞けば、彼女は満足げな笑みを浮かべて答えてくれた。 「一蝶のマフラーが欲しかったの。そのためには、」  木枯らしの中、束は嬉しそうに首に巻いたマフラーを触った。安らいだ顔だった。  今目の前に座る彼女も、あのときと何一つ変わらない笑みを湛えている。  こうして、一蝶のマフラーは事実上、彼女と一緒に煙となって昇って行った。永遠に見つかることはないだろう。 「今では、多少流れが変わってきてはいるようだけれど」  僕は窓の外を眺めた。喫茶店の窓の向こうを、細い指を絡ませた女の子が二人、木漏れ日のような笑顔で通り過ぎていく。  僕はよくある映画のように、一蝶と束をその二人に重ねたかったのだが、一蝶はおろか目の前にいるにも関わらず束の顔さえ思うように投影できなかった。  僕は諦めて、束に向き直る。その香りに。 「どうだろうか。君は、もしいま、この時代に大学の頃の君たちがいたら、君は───」  君の手は、一蝶の首ではなく、彼女の手を取っていただろうか。  その手にしたマフラーは、まだ一蝶の細い首を温めていただろうか。  束は笑う。僕の思いを読んだように、束は首を振るのだ。「いいえ」 「きっと同じことをしているわ」  一緒にはなれない。  その意味は、もしかしたら当時彼女が感じていたものと、今、彼女が想っていることと、変わってきたのかもしれない。時間は僕らを変容させていく。  その中で、変わらないミントブルーと香り。 「分かるでしょう、あなたも」  束は静かに僕に言った。分からない… わけではない、のだろうが、どうだろう。僕は人の顔を理解するのも不得手だが、その人の気持ちを推し量るなんてもっと難しい。  ただ、…… 『手に入れたんだ』という気持ちは、あるだろうか。これで良いのか分からなくて、僕は困ったように束を見てしまったかもしれない。  束は僕のその様子を見て、ふふ、と可笑し気に笑った。  そりゃそうだろう。一体、何を手に入れたというのだ。  一蝶とは。  あの黒目がちの双眸をした女性は。  僕と束は、それでもまだ、『一蝶』と一緒にいると信じて疑わない。  このミントブルーの綺麗な香りがするマフラーをのは、僕と束しかいない。  それもまた、独占というのだろうか。  束は笑う。  心底満たされて、笑うのだ。
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