鍵盤に踊るは夢の末裔

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「まあ、度会風香は昔からちょっと変わったところがあるとは知ってたけど、まさか捕縛することになるとは思わなかった」 「あなたにだけは、変人呼ばわりされたくないけど……」  トリオネが、右手を差し出した。 「行こうよ。君がいる場所はここじゃない。あまり長居すると、ここを融通してくれた先生にも迷惑がかかるだろう。ただでさえ、君のために予定外の当直で徹夜状態のようだし。まあ、そのお陰で僕もここに来られたんだけど」 「……うん。分かってる」  トリオネは、さすがに手を取りに来る様子のない風香から右手を引っ込めると、床に散らばったままだった五線紙を拾い集めた。 「あ、いいよ……ごめん」 「いいや。君が、昨夜書いた曲なんだろ?」  風香は、気恥ずかしさにうつむく。 「うん。自分でも、曲を作りたくなって、思うがままに弾き散らして書き散らして。ひどい曲だよ。書き疲れて、途中で眠っちゃった」 「そうでもないよ」  トリオネが、ポケットからスマートフォンを取り出した。コードレスのイヤホンをつまみ、風香に渡して、はめるようにジェスチャーで支持する。  疑問に思いながらも、風香はそれを片耳にはめた。トリオネが何かのアプリを操作すると、イヤホンから音楽が流れ出す。  風香は、それを聴くうちに、みるみる赤面していった。 「ちょ、ちょっと!? これ!?」 「いい曲じゃないか。君が眠っている間に、ちょっと弾いてみて録音したんだ。君、あんなに騒がしくても全然起きないんだねえ」 「どういたしまして! ……よく分かったじゃない。あんなに散らかして、順番もバラバラだったのに」 「こうかな、と大体勘で並べたよ。大外れではなかったみたいだね」 「……凄い。凄いよ、あなた」  音は、流麗に響いている。途切れることなく、軽やかに、穏やかに。 「ま、僕も一応化け物の端くれってことさ」  トリオネは笑って肩をすくめた。釣られて風香も笑ったが、ふと気付いて半眼になる。 「じゃあ、一度整頓した楽譜を、寝てる私の上にまたバラまいたわけ……? ご丁寧に顔の上にも乗せて?」 「だって最初がその状態だったんだもの。現場保存の鉄則だろ」 「死体みたいに言わないでくれる!?」 「じゃあ、寝顔見ていてもよかったの?」 「……それはよくない」  トリオネがまた笑う。  悔しさに、風香の口から憎まれ口がこぼれた。 「まあ、曲は悪くない出来かもだけど……演奏がいまいちかな」  つぶやいてから、言い過ぎだったかと思い顔を上げる。だが、トリオネはにやりとして言い返してきた。しかし―― 「じゃあやっぱり、君の音には君が必要なんだ。人が死ねば音も死ぬ。それだけは忘れないでもらいたいね」  ――しかし、最後は真顔になっていた。 「うん。……ごめん。ごめんなさい」 「ごめん、こちらこそ。謝らせたいわけじゃなかったんだ。さ、行こう」  五線紙の束を持ったトリオネが、ドアに足を向けた時。そのドアが唐突に開いた。 「いたああああああああ!!」  風香と同年代の――昨日しのぎを削るはずだった六人が、雪崩のように駆け込んでくる。 「わ、わあああっ!?」  その勢いに、風香が悲鳴を上げた。  瞬く間に風香を取り巻いた六人は口々に叫び合っているので、誰が何を言っているのかは分からないが、「渡会さん」「心配した」「何を考えてるんだ」「無事でよかった」「ケガとかはないの?」「トリオネは何涼しい顔してる」と少年少女の声が乱舞する。  これから、彼らにも、それ以外の人たちにも、沢山謝らなくてはならない。  それ以上に、お礼を伝えなくてはならないだろう。  今さらのような、でも知りもしなかったような、色んなものが、風香の頭の中に明滅した。  子供の頃に見た夢が、確かにあった。  その途上に、今も自分はいる。  彼らが風香の夢の末裔なら、風香もまた。  鍵盤は今もそこにある。楽しいことばかりではないけれど、そこからしか生まれないものと共に、変わらずにいる。  泣いたり笑ったりの嬌声に囲まれながら、風香は自らの足を進め、音楽室のドアを外へくぐった。 終
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