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プロローグ
クランクシャフト
大抵の小説なら、私の名はとか、まずは事件の始まりとか情景や状況、時代設定などからの書き出しになるのだろう。
特に推理物ともなれば被害者から、加害者からとなるのであろうが、この物語は推理とは異質なものである。
従って素直に、私は、から始めよう。
私の名は水谷雄太(ミズタニユウタ)、売れない小説家である。
売れない小説家を名乗る者は、沢山いるであろう。素人の物書きは全て、売れない小説家を自負している筈だ。元は私もその1人。
だが私は、初めて出した公募の小説が新人賞をとってしまった、ミステリーのだ。
だからプロなのだ、処女作は売れた。
まあ、売れた。私の以前の仕事の1年分や2年分を数ヵ月で稼いでくれた。
当然、私には出版社より担当なるものが付き。次回作、次回作と尻を叩かれ、2作3作と出したが、全く売れなかった。
売れなくなると人と言うものは、結構シビアになるものだ。今では担当は私の家に来ることも、電話1本かけることも無くなった。
何か出来たら持ち込んでくれ、の言葉を残し去っていった。1作目が良すぎたのか、
それとも競争相手がつまらなかったのか。
それは分からないが。私の2作目、3作目は自分でも、つまらないと思える内容だった。まさに、素人に毛の生えた程度の小説だった。これは一応謙遜である。
実際やる気の無い仕事は内容もつまらなかった。1作目は、兎に角シビアだったのだ。
良く聞かれる。経験談、実話、モデルがいるのですか?と。一般的な作家なら、誉め言葉と受け取るのだろうが。
私にとっては、そうですね・・・、
とお茶を濁すしかない。
何故なら実体験なのだから。
その話は又の機会に。今の私の生活を話そう、そうしないと、話が先に進まないからだ。
私は、関東地方の郊外の一軒家に住んでいる。かなりの豪邸だ、庭も広い。これは小説の売れた金で建てたものでは無い。
おじさんの遺産だ。
どういう訳か、私が相続人となったのだ。
おじさんは親父のお兄さんにあたる。父母が事故で同時に死に、私はおじさんに後見人として育ててもらったのだ。当時、高校生だった私は、父母の残したマンションで、一人暮らしをしていて、学校の都合もあったので、東京近辺に住んでいた。
おじさんは、経済的な支援で私を大学まで
出してくれた。
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