プロローグ

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  おじさんは、事業を1人で立ち上げ会社をやっていて金持ちだったが、子供がいなかった、結婚すらしていない。   つまり私の両親と、年老いて死んだ、もう1人のおじさんと、父の両親と私しか相続人がいなかったのだ。  親戚はいたのだろうが、何故かおじさんは、私に家と土地を譲ってくれた。  そして、いくばしかのお金、いやいや相当な金額のものだった。  既に、小説家としてデビューしていた私は売れなくなり、アルバイトでもして生活しなければなと思ったところで、相続の話が来たのだ。  まさに青天の霹靂であった。 私はアメリカの、コレクターと言う映画を思い出した。  家は大きかった、1人暮らしのおじさんは、何故こんな家を?と思える広さだった。  何ヘーベーとか、建坪何坪とかは私にはピンと来ないので憶えていない。 だが部屋の数なら言える。1階は大きな20畳位のリビングと広いダイニングキッチンがある。風呂、洗濯機のある部屋、そしてトイレ、衣装部屋(いるのか民間人に?)  更にお手伝いさん。う~ん、家政婦と言う人の為の、仕度部屋がある。  そしてベランダのある部屋。そこから庭を眺めるのが中々優雅だ。庭は長いこと放って置いたので、荒れているが。家政婦さんが1人でチマチマ手入れをしても到底綺麗になるものでは無い。   業者を呼んでも半年で元に戻る。金持ちの家は金がかかるものだ。  私の寝室は2階にある。2階は4部屋か、それ以上、トイレが廊下の突き当たりにある。何度も言うがこの家でおじさんは、1人暮らしをしていたのだ、無駄に広い。 私は今まで1度もこの家に来たことが無かった。父と仲が悪かったのは家族全員が 知っていた。私は父と母の影響で、おじさんを嫌っていた、いや恐れていたのだ。  たまに正月に来たり、父とおじさんの両親の墓参りや法事などの相談に来ていたが。 長男であるおじさんに父はすべてを任せていた。一体どこまで仲が悪いのか? 酒を酌み交わすのすら憚れていた様に憶えている。  私は学生だったので万札が何枚か入った、お年玉が嬉しかったが、有り難う以外の言葉を、おじさんに言った記憶が無い。  まったく困った無礼なガキだった。  おじさんの遺言でこの家を貰ったが。 それには条件が、1つだけあった。 それは家政婦の松島さんを、本人が辞めると言うまで、雇い続ける事だった。 給料は弁護士管理の口座から毎月、払い込まれるので気にしないでいいと遺言書には書いてあった。  尤も弁護士にすら最初の1、2回サインをする為に会っただけなので、良くは分からない。  今は松島さんが、おじさんの遺産を管理している風に見受けられた。 おじさんの愛人?とも思ったが。 それなら、何故私の家政婦なのかが、 疑問だった・・・。  私は兎に角、私より1つ2つ上ぐらいの家政婦さんの世話で、日々を過ごしているのだ。とても魅力的な女性なのだが、色気を感じない。どちらかと言うと、ちょっと怖い感じがする。  そんな女性と暮らすなどと思うだろうが、 彼女は朝来て夕方には帰る。 私の朝食と昼食、たまには夕食を作り、洗濯をし。そして庭の手入れと部屋の掃除をして 帰ってくれる、とても重宝なのだ。  もっと深く知り合いたいが、笑顔を見せない彼女に何をきっかけに、話しをしたらいいのか、その取っ掛かりすら掴めなかった。
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