気弱な僕と古びたマフラーの話

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今、僕のすぐ傍に古びたマフラーがある。 年末大掃除の際に、押し入れから出てきたのだ。 それもかなり奥まった所から。 どうして僕はこのマフラーをこんなところに置いたのか、いや隠したという表現の方が正しいと思う。 何故、隠さなければならなかったのか? 捨てるという選択肢もある中で、僕は捨てずに残した。 いつか目にする日を望んでいたのか? ならば、そこにどんな理由があったのか? マフラーを見ながら僕は自信の記憶をさぐった。 思い出してきた。 そう、このマフラーはコロちゃんから貰った物だ。 コロちゃんとは僕がマフラーを貰った彼女につけたあだ名だったりする。 見た感じが全体的に丸みを帯びた感じで、横にして転がすとどこまでもコロコロと転がっていきそうな感じがしたので僕はそう呼んでいた。 勿論、心の中での話。 ただ、ぽっちゃりはしていたけど、愛嬌のある顔をしていたのを覚えている。 コロちゃんからマフラーを貰ったのは、高校3年の冬。 冷たい風の強い日の下校時間、僕のスニーカーのある下駄箱近くにいたのがきっかけだ。 当時僕は、余り女の子には僕は目線を向けなかった。 理由は、あらぬ噂や、誤解を招きたくなかったのだ。 事実、何気に休み時間にぼうっと空を眺めていたら、視界内で女の子が二人、話をしていた。 僕は彼女達の事など眼中にはなかったが、二人は僕から見られていると錯覚し、僕の知らない所で二人は友人を巻き込み噂話をし始め 「どちらか気になっている」「好き」「何かを狙っている?」「変態的趣味に利用されいる」と噂に尾ひれがどんどんとつき始め、彼女達の口から、その友人へ噂は拡散されてゆき、広く伝播し、やがて僕の耳にもそれは届けられる事となる。 女子からは奇異な目で見られ、男子からはいじられもした。 苦痛だった。 知らない所で想像された僕が、まるで僕の本性の様に語られ嘲笑、非難される 誤解だと訴えた所で、一度流れた噂は時間がたたなければ消えない。 ただ苦痛でしかなかった。 この場所にいる事が、それでも尚、通い続けなければならない学校が。 偏見に満ちた牢獄。 だけども逃げる事は叶わない。 行かない事が一番の解決法だとわかっていても、バレればその理由を親に伝えなければならない。 そんな話を伝えたらどうなるか考えるのも嫌だった。 だから僕は我慢する事を選んだ。 どうせ苦痛な時間は学校にいる時間、全てではない。 あくまで休憩の間だけ。 一日の内の一時間と少し程度をやり過ごせばいいのだ。 その一日を一か月、一年、卒業まで繰り返せば、この牢獄を脱出できる。 そしてこの一件から僕は高校の人間とは距離を置いた。 基本、校内の話や出来事には無関係、無関心で居続け、たまに交わす会話でも僕は同調するだけで、自分の意見考えを伝える事は無かった。 だから僕には高校時代の友人は一人もいない。 そんな事を考え高校生活を送っていた僕には当初のコロちゃんは要注意対象として認識した。 気にはなっても見てはいけない。 そしてその他、トラブルを避ける為にも最大限の距離を置く。 僕は下駄箱から速やかにスニーカーを取り出し、履き、彼女を最初に視認した位置から一番離れたルートを選びいつもの歩行速度より一段ギアをあげ、危険地帯からの脱出を開始する。 走って脱出するという選択もあったが、その選択はまた別の噂を生み出す危険性があり、選択肢の中からは消去した。 しかし、それでもコロちゃんとの距離が近づくにつれ恐怖は増幅された。 (通過する際に、もう一段ギアを上げろ!) 誤解を生む可能性は高くなるが、危険ゾーンからの脱出は早まる。 だから、迷いを振り払う為にも心の中で叫び 二段目へギアアップ!? 突如、顔面に軽い衝撃を受け、視界が真っ暗になった。 「ひっ!」 情ない事に事態を把握できず、僕は悲鳴をあげた。 「ごめんなさい」 女の子の声が聞こえた。 真っ暗な視界が鮮やかな色に包まれる。 そういえばあの感触は? 僕は右手で色鮮やかなそれに触れた。 ゴワゴワしている。 何だろうと確認しようと左手で触れる瞬間。 「貰って下さい」 言葉と共にゴワゴワした物体は床に落ちそうになり、僕は左手で床に落ちそうになった物体を掴もうとしたが、運動神経の悪い僕に掴めるはずもなく、だらりと落ちて僕は慌てて床から拾い上げた。 手の中にあるものはマフラーだった。 (マフラー?なぜ僕に?) 目線を上げると、後ろに束ねた髪を左右に揺らし走り去るコロちゃんがいた。 僕は一瞬、訳が分からず茫然としたが、すぐに不味いと感じ、辺りに誰もいない事を確認して、マフラーを慌ててカバンに詰め込み走り出す。 こんな事が知れれば今度はどうなるかわからない。 何が起こったか考えるしても、まずは家に帰ってそれからだ。 僕も逃げるように家に帰った。 部屋の中でカバンから取り出したマフラー。 橙と青のストライプ。 どうして彼女は僕に、それよりどんな女の子なのかもわからない。 どう考えても答えの出ない考えに疲れ果てた僕はマフラーを机の引き出しにしまい込んだ。 ただしまい込んでから数日後にはマフラーを貰った相手の女の子を知る事になり、やがて名も知らぬ彼女の事をコロちゃんと呼ぶようになる。 昼休みに学食で食事をした後、僕はいつも通り時間つぶしに図書館へ向かった。 校舎と学食の間には通路があり、丁度、僕が 図書室のある校舎にもどろうと歩いていると、前方から女の子二人が話ながら歩いてきた。 僕は二人をするりと避けて校舎に戻ろうとした時、一人の女の子が軽く会釈し、僕も何気に会釈で返した。 「知ってる人」 「うん。先輩」 背後でそんな声が聞こえた時、僕は振り返った。 この声は知っている。 そして去る女の子達の一人の髪は後ろで束ねられてゆれていた。 僕はすぐさま逃げるように図書室に向かった。 読みかけの漫画を開いて、も続きなんて読めずに、先程の女の子の事だけを考えていた。 それからも何度か彼女を見かけ、僕は名も知らぬ彼女をコロちゃんと名付けて呼ぶようになった。 僕とコロちゃんの意外と校内での接点は多く、日に見かけない日はなかったが、二人で話をする機会はなかった。 僕が一人でいるのはいつもの事だが、コロちゃんは常に友人といたし、いつも同じ友人ばかりではなく、見かけた友人と複数人で話していたりもしたし、話していた友人の数も片手で収まらない程だ。 それに僕自身、日がたつにつれ、コロちゃんに告白された時の返答に答えを出せずにいた。 というのも僕はぽっちゃりした女の子は苦手だった。 というかコロちゃんを見ていて、どうしても好意を持てず、逆にどこか見ていると不安な思いが募り、恐ろしく感じている事を不思議に思い、ある日母親に怒られた時に悟ったのだ。 僕はコロちゃんに母親の影を見ているのだと。 母は普通一般には厳しい人ではなかったと思うが、幼少時の躾はかなり厳しく、心の奥底にその時の恐怖は刻まれ、怒られるたびに過敏に恐さを感じていた。 好意を寄せられているにもかかわらず、抵抗があるのはその事が原因だと考えると納得が出来たが、だから断ると決断もできなかった。 いい事などなかったこの3年近くで、唯一の喜ばしい出来事であり、付き合う事で僕の中で何かが変わるかもしれないという期待も捨てる事は出来なかったのだ。 そうして時間が過ぎても、葛藤し続けもはやどうすべきか自身では答えを出せなくなっていった。 そして、一か月後、僕はコロちゃんと二人きりで話す事になる。 丁度、彼女からもらったマフラーをして。 引き出しにしまったマフラーはコロちゃんを意識し始めた時に、使わなければNOになる、使い続ければOKした事になるのではと考えてしまい、自分の持っているマフラーと織り交ぜて通学に使っていた。 下校時、校門を越えると「先輩」と声をかけられ、僕は声のした方を見た。 コロちゃんが校門の壁を背に立っている。 彼女は僕を見て微笑んだが、緊張しているのか少しこわばっているように感じた。 「一緒に帰りませんか?」 僕はややあって答えた。 「うん」 二人並んで歩き出し、暫くして。 「先輩、どうですか?」 「あ、うん、温かいよ、これ」 「そうですか」 何故かマフラーの話をするのが精いっぱいだった。 それから僕らはしばらく無言で歩き。 「あの、長さとかはどうですか、先輩」 「丁度いいかな?短すぎると、色々できないし」 マフラーの話題に流れてほっとしたのもつかの間。 「先輩、あの、その・・・」 コロちゃんはそのまま黙ってしまった。 「だ、大丈夫だよ。僕は」 いや、全然大丈夫じゃない。 何故か訳もわからず、そんな言葉を発した。 「先輩、どっちですか?」 「あ、その、それはね」 もう何を言えばいいかわからなかった。 迷い迷って歩き続けているとコロちゃんが言った。 「私こっちです」 え?僕は立ち止まりコロちゃんを見ると、丁度十字路に差し掛かり、左側を指さしていた。 「僕は、このまま真っすぐかな? 「それじゃあ。先輩」 コロちゃんは手を振り指さした方に走り去った。 後ろに束ねた髪を揺らして。 僕は足早に前に進むと、コロちゃんが見えなくなった瞬間、心の葛藤に耐えきれず走りだした。 家に帰っても葛藤は続いたが、数時間後には僕はある結論に辿り着く。 もう僕には決断する事は不可能だと。 今日それを理解した。 痛い程に。 後は成り行きに任せるしかないと。 それから一か月後、コロちゃんと話す機会はなかったが、流されるままに答えを任せるしかないと理解した僕は以前ほど苦しむ事は無かったし、付き合ったその後には不安があったが、それも流れのままに流され行くのだろうと考えると楽になった。 そして運命の日はやって来る。 下校時、校門を越えて家に帰ろうと歩いた先にコロちゃんがいた。 一瞬、怖くなって立ち止まる僕。 コロちゃんは僕の先を歩いている。 男と二人で、背の高い男。 コロちゃんが親しげに男に話しかける。 そして男の首にもマフラーが巻かれていた。 僕はただ立ち尽くし、遠ざかるコロちゃんと男を眺めていた。 その後、コロちゃんが振り返るように見えた瞬間、僕はすぐ傍にあった道に何気なく向かった。 何気なく向かったふりをしたのだ。 路地に入ったら、涙が出た。 こんな所で泣きたくなんてない。 けど、涙は止まらなかった。 ただただ泣きたくて、涙が止まらなくて。 だから声を殺して僕は泣いて歩き続け、やがて辛くて歩けなくなり、蹲って泣いた。 泣き続けた。 長い時間。 何とか落ち着いた後、僕はかなり遠回をりして家に帰った。 そしてこんなものさえなければとコロちゃんのマフラーを捨てようとして、また泣いた。 泣いて気付いたのだ。 僕は本当はコロちゃんを好きだった事に。 捨てようとして、躊躇し、泣き出してしまうほどに強く、想っていた。 さっきは理解できなかったが、今ならわかる。 僕の恋は叶わないと知ったから、あの時泣いたのだ。 そしてその思いは叶わないと知っても、その気持ち事、振り切って捨てれるほどに僕は強くはない。 だから捨てる事は出来なかった。 かといって目の届く範囲に置くのは辛すぎる。 目に入るたびに思い出し泣くのは目に見えている。 だから、失恋したという事実から目を背けたかった。 いや、一刻も早くその事実を忘れたかった だから僕は隠したコロちゃんのマフラーを。 目の届かぬ場所に、何かの拍子に見つからぬよう、押し入れの奥底に隠し、封印したのだ。 そして今、現在。 僕はマフラーを大掃除のゴミに加えようとして思いとどまり、買い物に出かけた。 勿論、コロちゃんのマフラーを巻いて。 あの時は、理解も、納得できなかったけれど。、大人になった今なら思い出として受け入れる事が出来る。 そして大人になったからこそ、あの時とは違うものが感じられる気がしたから。 もし感じられないならば、その時こそ捨てる時なのだと僕は思ったからだ。 それにあの頃は辛く悲しかったけど、今ならもっと違う事にも思いは巡らせられるから。 しかし、ちょっとの時間のつもりが、年の瀬の買い物は皆が皆、似通るものなのか、必要な物を買いそろえられず歩き回る羽目になる。 ただ、思い出に浸る時間が増えるのも悪くなかったので、いつもは行く事のない店をめざした。 いつもは歩かない道、近くても知らない街並みを思い出とともに歩く。 「先輩!」 背後から声が聞こえ振り返ったが、走ってきたのか、息を整える為にうつむいて顔はわからなかった。 けど、そのせいで後ろで髪を束ねているのはわかった。 「まだしてくれてたんですね」 彼女は僕を見て言った。 「うん、まぁ」 「ありがとうございました」 会釈をして彼女は初めて出会った時のように束ねた髪を左右に揺らして走って行った。 少し離れたところにいる赤ん坊を抱えた男の所へ。 僕は軽く手を振ってから、振り返って歩き出した。 僕には十分だった。 僕の高校から今まで続いたコロちゃんのマフラーの物語は今日幕を閉じることができたのだから。 その後、僕はコロちゃんのマフラーを今も使っている。 あの時から、成長した気持ちを忘れないように。 そしていつか、この物語を笑って話せるように願って。 現実はそう甘くはないのだけれども。 折角、機会を得たのだからと自分にいい聞かせる意味でも僕はコロちゃんのマフラーを巻いて出かけるのだ。
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