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「とりあえず座って」
そう言ってソファーに雫を促しながら楓都はこれしかないや、とウォーターサーバーで水を汲んでローテーブルに置いた。雫は改めて住む世界の違いを感じて部屋を見回してしまう。
そのまま横に座る楓都に雫は身も心もピョコンと跳ねる。
「えっと、俺は四条辻楓都、二十三歳。今はとりあえず秋昴兄さんの手伝いって感じかな。もう少し経験積んだら現場に入らせてくれることになってる。決まった恋人は今までいない。雫さんが最初で最後だ」
「私は……」
楓都につられて自己紹介しそうになり雫は口ごもる。この流れだとまるで雫が楓都を受け入れた様になってしまう。そんなことは……。
うつむいたままの雫の手を楓都は握る。ビクリと全身が総毛立つ雫。その反応にデレデレを隠し切れずニヤけながら楓都が言う。
「二十九歳の独身、独り暮らし。履歴書見たから。あそこに書いてないこと教えて。好きな食べ物とか、音楽とか」
そんな風に屈託なく笑われると雫の心は早鐘を打ちながらも、全身からは不思議と力が抜けてしまう。
どうでもいいようなことを問われるがままに答えている内に雫は少し緊張が解け、ようやく楓都のことを〈運命の番〉というフィルター越しではなく、一人の人間として感じられるようになってきた。
そうして今更ながらに愛おしいと思ってしまう。
どこかあどけなさの残る面差しと少年の様な素振りは純粋に可愛いらしく映り、溌剌とした健康的な肉体は雫が忘れている感覚を揺さぶる。
常にうつむき加減で頬を赤くさせている雫がチラリと楓都の表情を伺い、さらに顔も手も上気させ恥じらう姿は楓都の心を鷲掴みにする。
今すぐにでも力の限り抱きしめて、頑張って磨いたテクニックを披露したい。あの無意味な実習はこの日の為にあったんじゃないのか!
そう心の中で叫びながらも楓都は雫の様子を伺う。まずは日常の前戯から、そう教わったじゃないか。
でもそれってどうすれば正解なんだろう?
楓都は今までを振り返るがよく分からない。基本優しく接するように気を付けてはいたが、気に入られようと積極的に思ったことはなかった。
「あ、あの……」
「なに!」
初めて自ら言葉を発した雫に過剰に反応する楓都。愛する人が自分に言葉を向けてくれることがこんなにも嬉しいものかと不思議な気持ちになる。
「どうして私を運命の番だと思ってくださったんですか?」
「だってビカッてなったし、いい匂いがしたし」
雫は首を傾げて問う。
「フェロモンの香りがしたんですか?」
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