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一日目 ①
仕事の内容は清掃が主で他に簡単な雑用だというので雫は安心して引き受けた。普段清掃業務を専門にしているので問題はないだろう。
しかしながら想像をはるかに超えるお屋敷に雫は絶句した。
一週間だとしても寮で生活することが条件で、雫は小旅行のような着替えだけを持って話を聞いた夜には四条辻家に出向いていた。
就寝前の自由時間に他の使用人に紹介されたが、二十人以上いる彼らを全員覚えられる訳もなくテンプレな挨拶だけで終わった。向こうも本来ここに採用される条件に満たない臨時の雫には大して興味もなさそうだった。
そして今日は五時起きでお屋敷全てを案内され、元の場所に戻って来たのが七時。全部を見て回るのに二時間かかるなんてちょっとしたアミューズメントパークだ。
婚約パーティーが行われる建物などはどこかの宮殿かと思うような様相で、ゴルフ場かと見紛う庭は地平線が見えるかと思う程だ。
「雫さんに担当していただくのは四条辻家の皆様が普段生活なさっている母屋ですが、全体を把握していただくのが規則ですから。一週間といえど四条辻家の使用人として相応しい立ち居振る舞いをお願い致します」
熱心にお屋敷を案内してくれた使用人を取り仕切る執事は、そう言うとあっさり使用人の一人に雫を預け去って行った。どうやら四条辻家に多大な思い入れはあるが使用人の教育にはあまり関心がないようだ。
いや、派遣会社に信頼を置いてくれているのかもしれない。そう思うと雫は背筋が伸びる思いで再び緊張が走った。
雫の教育係だというアスカは自分もまだここに来て半年程度で、母屋を掃除しているだけで一日が終わると陽気に話した。いつもは二人で母屋と使用人寮を清掃しているが、今は一人なので寮は出来る所を少しずつしているそうだ。
雫と同じ男性オメガで二十一歳。十歳近く年下ではあるが雫をおじさん扱いすることもなく、テキパキと分かりやすく要点を教えてくれて仕事は思いの外はかどった。
休憩時間の十時を待たずに厨房奥にある休憩室に戻ると、アスカは嬉しそうに話し出す。屋敷内で私語は厳禁なのだ。
「雫さん慣れてるから全然一人で余裕だね! ボク明後日から発情期休暇なの。だから今日明日で覚えてもらわなきゃいけないんだけど安心した! 今日は付きっきりだと思ってたけど、これなら休憩ゆっくり出来そう。メジチにはずっと一緒にやってたフリしといてね」
「メジチ、ですか?」
雫は首を傾けアスカを見る。
「使用人長の執事だよ。似てない? え? 知らない? 学校の美術室にあるじゃん、石膏像」
アスカは何かに気付いた様子でおどけた様に舌をペロリと出した。
「ゴメン! 臨時だから義務教育の人? ここの雇用条件、高等教育修了者だから他のみんなには通じるんだよね」
アスカが言う高等教育とは義務教育のさらに上の過程という意味ではない。アルファと同じ教育のことだ。
義務教育自体第二性によって教育施設が分けられており、教育内容が違うのである。アルファには最初から上に立つものとして必要不可欠の、オメガには生きて行く上で必要最低限の内容なのだ。
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