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「ここでいいですよ。僕が淹れますから。せっかく本場で紅茶の淹れ方を教わって来たのに、このままでは忘れてしまいそうなので少し付き合ってください。いつも家の中をきれいに保ってくれているお礼になるくらい美味しく淹れられたらいいのですが」
夏惟は無駄のない優雅な所作で紅茶を淹れる準備をする。
どこに何があるのか分かっているということは、ここに、使用人の休憩室によく来るということなのだろうか?
雫はそんなことを考えながらぼんやりと夏惟を眺める。
「二人共座ってくださいよ。アスカさんと、臨時でお願いした雫さん、でしたよね?」
「は、はい!」
アスカは必要以上に大きな声で返事をすると、命令には絶対服従と言わんばかりに雫の肩をグッと押えて座るように促し自分も座った。
雫は自分の感じている緊張はアスカのそれとは違うと感じた。
使用人に対して、しかもオメガに対してここまで紳士的な対応をしてくれるアルファに会うのは初めてだ。臨時で家を掃除するだけの雫の名前までちゃんと確認して覚えてくれているなんて。
ともすれば四条辻家の人間とは一度も顔を合わせずに終わると雫は思っていた。だからその眩しすぎる容姿も相まって、何とも物珍しい貴重な生き物を拝むような感覚で雫は夏惟を見ていた。
夏惟はやはり雫が見たこともないような紅茶の淹れ方をした。妙に高い場所までティーポットを掲げてカップに注いだのだ。
普段カップに直接ティーバッグを入れてお湯を注ぐだけの雫には物珍しいことこの上ない。これが正式なのか、それとも無知をいいことにからかわれているだけなのかと疑念さえ湧き上がる。
どうぞ、と差し出されたティーカップをおずおずと受け取ると夏惟は労るような視線で雫に話しかけた。
「雫さんは今年三十歳でしたよね? 僕と一緒だから親近感が湧いていたんです。ずっとこういうお仕事をしてらっしゃるんですか?」
こういう、とはどういう、だろうか? と一瞬頭を悩ませる雫。その表情を素早く察知して夏惟は付け加える。
「清掃関係のお仕事を?」
この質問にどんな意図があるのか分からず雫は戸惑いながら小さく頷く。眩しくて見られない程の麗人というのは困ったものだ。表情が読めないから会話が難しい。
「はい」
「それなのになんて綺麗な手を。きちんとお手入れをして、行き届いた心遣いをなさっているんですね」
手、特に指先のお手入れを怠ってはいけないというのは、昔働いていた職場の先輩が話していたことだった。指先が荒れて汚いとそれだけでさらに下に扱われるんだ、そんな話を耳に蛸が出来るほど聞かされた。
だからという訳でもないが、確かに雫は指先のお手入れは特に気にかけていた。それに気付いてくれるというのは、清掃の仕事が手荒れ必至なことを知っているということだ。
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