買い物に行こう

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買い物に行こう

 僕が住んでいるアパートの間取りは1LDKで、そこまで狭い部屋じゃない。広さ的にも、なんとか二人で暮らすことはできるだろう。これでも、人が少なくて利用者が大学生くらいしかいないせいか、家賃は月4万を切っていた。 「とりあえず、カナちゃんはそこに座ってゆっくりしてて。今、飲み物用意するから」  僕は冷蔵庫を開け、今朝いれたばかりの麦茶を取り出す。コップに麦茶を注いで、リビングに戻ると、カナちゃんは背の低いテーブルの前にちょこんと正座していた。 「もっと楽にしていいのに。疲れない?」  カナちゃんの前に麦茶を置きながら、声をかける。彼女は相変わらず、正座したままだったけれど。 「これが楽なんです。お気になさらないでください」 「……そう? それと、別にタメ口で話してもらって構わないからね?」 「はい。でも、それもお気になさらずに」  ふぅ……と、思わずため息がでた。なんだか調子が狂う。それはそうか、さっき会ったばかりなんだから。焦らずに、少しずつ距離を縮めていけばいい。 「……あ、その……すみません。私、たぶん人見知りなところがあって……。でも、この雰囲気……私好きです。よく分からないんですけど、懐かしくて。消えてしまった過去のどこかに、こんな瞬間があったのかもしれません」  戸惑う僕に気を遣ったんだろうか、彼女はそう答えると、麦茶に口をつけた。清楚で知的な雰囲気が漂う彼女だけど、どこか子供のような可愛さもあって……。そんな彼女に夢中になるまで、そう時間はかからなかった。  ……同時に、彼女を自殺にまで追い込んだものは一体何だったのか、それを知りたいという思いが少しずつ膨らんでゆく。 「……さて、どうするか。着替えとか買わなくちゃだよね。ウチ、男物しかないし。あとは何が必要だろう……。……化粧品とか、かな? ごめん、よくわからないや……」  カナちゃんの向かいに腰掛けながら、静かに話しかける僕。女性と同棲なんてしたことがないので、正直、必要なものなんて全然わからない。一緒に買いに行ったら恥ずかしいものだってあるだろうし、途方に暮れてしまう。 「とりあえず、お金……渡しておくから、必要なものは適宜買う、ってことでいい? 足りなくなったら、言ってくれればまた出すし。遠慮はしなくていいよ」  彼女のレスポンスがなかったので、困った僕は財布から取り出した2万円を彼女に差し出した。しばらく受け取った諭吉さんをきょとんと眺めていた彼女だけど、どうしたらいいのかわからないと言わんばかりの表情をしながら、小さく呟いた。 「……二人で……買い物に行きませんか?」  結局、一緒に買い物へ行くことになった僕とカナちゃんは、一時間に一本しか来ない電車に乗り込み、隣町を目指していた。  この町には大きなデパートがないので、買い物は隣町まで電車に乗って行く必要がある。車があれば楽だったんだろうけど、無い物ねだりをしても仕方ない。  平日の昼間の、ほとんど貸し切り同然の電車に揺られる僕たち。乗り込んでしばらくは、お互いに無言だった。 「……あの、一つ……お聞きしても良いですか?」  そんな中、沈黙を最初に打ち破ったのはカナちゃんの方だった。 「うん、別に一つじゃなくてもいいよ? 色々聞いて?」 「その……お顔は、何か怪我でもされたんですか? お気を悪くされたらすみません……」 「あぁ、これ? そうだよね、気になるよね」  僕は、自分の顔に手を当てながら、あっけらかんと答えた。たぶん、初めて顔を見たときからずっと、気になっていたんだろうな。 「半年前、事故に巻き込まれたんだ。高速道路で何かあったらしいんだけど、実はその事故以前の記憶がなくなっちゃって……」 「えっ!?」  僕の返事を聞き切る前に、目を丸くして声を上げる彼女。 「和馬さんも……記憶喪失だったんですか!?」 「実はそうなんだ。人生の記憶がここ半年分しかなくてさ。……困ってるんだ、本当に」 「そうだったんですか……。それなのに、私が遠い親戚だってことと、私の名前は覚えてくれていたんですね?」 「……あ、えっと……それは……」  言葉に詰まった。というか、自分で作った設定を完全に忘れている。……もう止めよう、背伸びして変な演技を入れようとするから、こういうことになるんだ。 「……ごめん、親戚っていうのは嘘。加奈子……って名前も、適当です。本当にごめんなさい。君を安心させたくて、つい出任せを言ってしまった」  早速ドン引きされるだろうなぁと思ったけど、意外にも彼女は微笑んでいた。初めて見る彼女の笑顔は、天使のように美しかった。 「そう……でしょうね。そうだと思っていましたよ、最初から」  少しからかうような言い方をする彼女に、僕はちょっとだけムキになる。 「だけど……!! 君と会うのは初めてじゃない気がするんだ、これは本当なんだよ! だから、君とは遠い親戚かもしれない……って、咄嗟に思って……」 「ううん、いいんです。怒ってもいませんから。悪気があったわけでもないようですし。……ちょっと、不器用なだけなんですよね。なんとなく分かります」 「本当に申し訳ない……」 「だから、もういいですって。それこそ忘れましょう。それに私、『カナコ』って名前好きですよ。だから、これからも『カナちゃん』って呼んでください、和馬さん」  彼女にニコリと微笑みかけられて、あぁ、こうして女性の尻に敷かれていくんだな……と、僕は思った。 「……次の駅で降りるよ。デパートは駅から歩いてすぐだから」  その後はあまり話に花が咲かないまま、ぎこちない感じでひたすら電車に揺られていた。気がつくともう、目的地は目の前だった。  駅を出て、総合デパートへ向かう僕とカナちゃん。簡単に話し合った結果、まずは洋服コーナーへ行って、服を買うことになった。 「カナちゃんは普段、どんな服を着てるの? やっぱり清楚系? 今着てるのと同じような服がいいのかな?」 「う~ん、そう言われても私、記憶がないので……」  そういえばそうだった。カナちゃんを見ると、顎に人差し指を当てながら考え込んでいる。質問の仕方を間違えたな、こりゃ。 「そうですねぇ……。和馬さんは、私にどんな服を着て欲しいですか?」 「……へぇっ?」  ようやく出てきた彼女の返答が予想外すぎて、素っ頓狂な声を上げてしまう僕。 「和馬さんが選んでくれた服を、私……着ます。居候の身ですから」 「いやいや、いいんだよそんなこと気にしなくて。カナちゃんが着たいヤツを、好きに選んで買ってくれればいいから」 「じゃあ、言い方変えますね。私に服を選んでください。お願いします」  有無を言わせない笑顔で見つめられて、僕は服を選ばざるを得なくなった。彼女、意外と小悪魔なのかもしれない。困ったなぁ、僕にファッションのセンスなんて全然ないのに。 「僕に選ばせたこと、後悔しないでよ?」  そう前置きをして、僕は洋服売り場に突入した。僕の少し後ろを、カナちゃんもついてくる。ハンガーに掛かる服を色々と眺めながら、彼女が着たときの姿を想像してみるけど、なかなかしっくりこない。僕としてはやっぱり、ワンピースが似合うと思うんだよなぁ……。あっ! 「……これだ」  選んだその服は、青と白のチェックが入った、シンプルなワンピース。確かに、ちょっと子供っぽいような気もするけど、彼女にはぴったりだと思った。でも彼女は…… 「……やっぱり、気に入らない?」  ぽけっとした表情を浮かべながら、僕のもつワンピースに焦点を合わせて固まっていた。あまりにもリアクションが薄かったので、不安を通り越して恥ずかしくなった僕は、慌ててワンピースを元の場所へ戻す。 「ごめん……。もうわかったでしょ? 僕のセンスなんてこんなもんなんだよ。だから……」 「あ、いえ違うんです!」  僕が弁解をしようとすると、突然我に返ったように彼女は話を遮り、両手と首をぶんぶん横に振った。そして、今し方僕が戻したワンピースを手に取り、しげしげと眺める。 「その、この服があまりにもしっくり来すぎたというか……、そうなるだろうって私が思っていた通りに和馬さんがこの服を選んだので、驚いてしまって……」 「……そ、そっか。それならいい……んだけど……」  その瞬間、目の前にいる彼女が異様に幼く見えた。その笑顔、言葉、動きの全てが、小学校低学年のソレのように。  こんなシーンが、ずっと昔になかったか? ずっと、ずっと前に。 「この服、私とっても気に入りました。ちょっと試着してみますね」 「……うん」  彼女はまたニコリと微笑んで、試着室へ入っていった。
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