剛田のマフラー

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剛田のマフラー

編み物教室をはじめて20年。 こんな生徒は初めてだった。 「わしは、剛田と申しやす。」 剛田はその名の通りいかつく、極太の眉と極太の声で申し上げた。 「わしは、わし、わ、わしは...!」 「剛田さん、落ち着いてください!」 「わしは見ての通り、指もご、極太でごわす!」 「は、はぁ...」 「わしは、わし、わ、わしは...!」 「ご、剛田さん、落ち着いてください!」 こうして、剛田は私の生徒となった。 その日から、剛田とわたしの特訓が始まったのだ。 剛田は不器用極まりない男で、初日は糸に絡まり身動きが取れなくなった。 「わしは、わし、わ、わしは...!」 「剛田さん!落ち着きましょう。」 2日目は、棒針が手の甲にささり血だらけになった。 「わしは、わし、わ、わしは...!」 「剛田さん!救急車ですよ!」 それでも、剛田はめげなかったし、私もめげなかった。 そして、2年3カ月がたったころ、剛田はついにマフラーのようなものを編み上げた。 私は剛田と手を取り合って喜んだ。 「剛田さん!やりましたね!」 「先生のおかげですばい!」 そして、剛田は出来上がったマフラーのようなものを、私の首にかけた。 「あ、あなたはまさか...!」 剛田は何も言わず、編み物教室の扉を出ていった。 それ以来、剛田が教室に来ることはなかったし、結局剛田が誰なのか, 編み物教室30周年を迎えた今でも分からないのである。
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