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コン、と大きな音を立てて、ショットグラスの底がカウンターを打った。
西岡京一は深く溜息を吐きだしてカウンターの向こうにいるバーテンにグラスを差し出す。
「すいません、お代り」
「ハイペースですね、お客さん。ここに来た時からすでに酔ってたみたいですけど」
浅黒い肌のバーテンは目尻の下がったどこか寂しげな面差の男で、あまり愛想はない。
「お兄さんさあ、もてるでしょ」
呂律の怪しい完全な酔っぱらい口調で言うと、やけにひがみっぽく響き、自分自身に顔を顰める。けれど、バーテンは目を細めて笑っただけで、京一のグラスにウィスキーを注いだ。それに舐めるように口を付け、はあ、と息を吐く。
「こんなとこで一人で店やってるなんて、何かワケ有りっぽいよね」
「ワケ有り?」
グラスを拭きながら問い返すバーテンに、大きく頷いた。
「そう。例えば……そうだな……競争社会に疲れて、色んなものを失って流れ流れてこんな寂れたとこに店を出した、とか」
「想像力が逞しいですね」
苦笑するバーテンに「あれ、違ったか」と笑って見せ、それからショットグラスに目を落とす。
「――――― 何かを失ったことって、ありますか?」
バーテンがふと問うように目を向ける。しばしの沈黙の後、京一は口を開いた。
「俺、本当は明日結婚式だったんです」
「……だった?」
静かな声で問い返され、「ええ」と答えた声は、酒のせいか少し掠れていた。一つ咳をして続ける。
「一週間前、婚約者が自殺したんです」
バーテンが息を呑む気配を感じながら、指先でショットグラスの縁を撫でた。
「その更に三日前に、仕事から帰る途中、数人の男に襲われて……――――― レイプされてたんです」
誰もいない店内に、それでも響くのを恐れて声を潜める。
「俺、全然知らなくて、彼女の葬儀の時に御両親に聞かされて……。何が何だか分かりませんでしたよ。混乱して、仕事も手につかなくなって……。いきなり婚約者が死んで、最初は同情してくれた同僚もどこから聞きつけたのかレイプや自殺のことを噂するようになって。挙句の果てに『傷物貰わなくて良かったじゃないか』なんて言うんですよ。頭に来て殴ったら、しばらく休めと自宅待機を命じられました」
泣き出しそうな声で一気に話してしまうと、グラスに残っていた酒を呷った。
「――――― 辛さは、当事者にしか分かりませんよ」
ぽつ、と対面から降ってきた言葉に顔を上げる。バーテンは笑っていなかったし、その目にも同情じみた光は見当たらなかった。
ただ思ったことを言った。
そんな雰囲気だった。
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