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3. 奥へ
じれったい速度で日は傾き、山際へと落ちていく。
よく知る顔が前を通り過ぎたのを機に、アーゼルは茂みから飛び出した。
鉄柵の前に跪いた彼は、出来るだけ手早く、スコップで穴を掘り進める。
前々日に降った雨のお蔭で、予想以上に時間は掛からなかった。
コートを脱ぎ、少し狭っ苦しい穴へ自身を捩込む。
なんとか内側へと侵入が成功すると、次いで背嚢とコートを引き寄せた。
鉄柵の隙間から手を伸ばし、掘り出した土を穴へ戻す。大穴さえ残さなければ、定期巡回の目を誤魔化せると期待した。
そこからは全力疾走だ。
静穏さよりも、速度を最優先にして、魔窟へと駆ける。
振り向きもせず、躊躇いも無く、アーゼルは暗い洞窟に飛び込んだ。
暫し目が慣れるのを待って、ともかくも奥へと進む。
後方に見える入り口が、十分に小さくなった頃合いで、背嚢の脇に吊した松明を手に取った。
水筒の油を松明の布に垂らし、火打ち石で点火したアーゼルは、周囲を照らして様子を窺う。
深い井戸を覗き込んだようだった。
ただただ一直線の洞窟。
大人二人分の背丈ほどの直径の穴は、同じ太さのまま黒に潰れるまで奥へ続く。
どれだけ長大だろうが、もはや進むべきは前のみ。
横道を見逃さないように注意して、アーゼルは黙々と歩み始めた。
◇
魔窟はどこも湿っており、時折、水溜まりを踏んで飛沫を散らせた。
どこからか地下水が染み出ているみたいだが、ヒビや崩れは見当たらない。
壁はぬめりが酷く、松明の火をチラチラと反射する。ぬめりを手で拭った奥に、硬い岩盤が在った。
単調な洞窟行に、緊張していたアーゼルの気も緩みそうになる。
ほぼ水平な穴からは地下へ下る気配も感じられず、反響する自分の足音だけが騒々しい。
ここは化け物の棲み処だと自らに言い聞かせ、懸命に目を光らせた。
変化があったのは、人骨を見つけた時だ。
最初は骨だと認識出来なかった。岩肌とは違う凹凸へ、顔を相当に寄せてやっと、それが頭蓋骨を縦に半断したものだと分かる。
切ったと言うより、右半分が崩れ去ったと表現すべきか。
頭部が判別できれば、肋骨や衣服らしき残滓もそれと指し示せた。
どれもまともな形を残しておらず、まるで酸を浴びせられ、溶かされたかにも見える。
「侵入者の成れの果てか……」
魔窟の一層にして、化け物の餌食になったと思われた。
もう危険域に踏み込んだのだと、今一度、アーゼルは心を引き締める。
その後も三つの遺体を横目にしつつ、ひたすら奥へと足を運んだ。
念のため火炎玉を右手に握り、左手の松明を揺らせて下への階段を探す。
どれほどの距離を歩いたことだろう。
もう月が頭上で光る頃合いのはずだ。
しかしながら彼の意に反し、魔窟は階段どころか分岐点すら見せてくれない。
掲げた左手が辛くなり、右手の火炎玉と持ち替えようとした際に、手の甲にうかんだ緑斑に目が留まった。
魔窟病の証を見ても、アーゼルは舌打ち一つで済ませて、前進を再開する。
瘴気の源へ乗り込もうというのだ、元より発症は予想していた。
二人を救えるのなら、身を挺しても悔いは無い。青肝さえ手に入れば、三人ともが助かる道も通じよう。
ただ、病を認識したせいか、頭痛や息切れが気になるようになった。
頼むから帰るまでもってくれ――こればかりは神に祈り、歩くペースを懸命に上げようと努める。
もっとも、逸るのは気持ちばかりで、次第に足取りは鈍くなった。
目まで霞み始めた頃、ぼうと青緑の点が前方に浮かぶ。
徐々に大きくなる光点は、決してアーゼルの見間違いではない。
何らかの終着を発見した彼は、残る気力を掻き集め、前のめりに歩いていった。
近づくにつれ、青緑が細かい光の集合だと分かる。
地下への入り口にしては妙だと、荒れた息を押し殺して耳を澄ました。
ピチャピチャと泥を跳ねていた足音に、いつの間にか小枝を踏みしだくのに似た響きが混じる。
松明の明かりを真下へ近寄せると、地面に散らばる無数の骨が照らされた。
墓場、という言葉をアーゼルは心中でつぶやく。
人の骨ばかりでなく、もっと小さな頭蓋も見受けられる。布袋やツルハシの残骸は、かつて侵入者が持ち込んだ物だろう。
その先に、星が散りばめられていた。
青から緑色に変化する一面の光が、壁を覆う。右も、左も、天井も、洞窟とは思えないくらいに明るい。
正面の壁へ、歩を緩めた彼がゆっくりと歩み寄る。
魔窟はここで終点、壁が背後以外を遮る行き止まりだった。
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