4. 手に残りしは

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4. 手に残りしは

 空気の流れも無く、如何(いか)に目を凝らしても抜け道は見つけられない。  光の正体は、(かび)とも(こけ)ともつかない、初めて見る物体である。  岩を覆い尽くす短い毛並み。半数くらいの毛の先端に、極めて小さな球が付く。  光っていたのは、この球だ。  道は隠されているのか、それとも埋まってしまったのか。  他に横道は無かったはずだと、アーゼルは壁を睨む。  考察する時間も惜しい彼は、やや乱暴な手段を取ることにした。  光から少し離れ、火炎玉を渾身の力で投げつける。  肩に痛みが走り、狙いはズレたものの、炎は瞬く間に壁に燃え広がった。  次弾は不必要そうな火勢であったが、背嚢から玉を取ってもう二発追撃する。  光る毛が焼き尽くされるのに、大して時間は要らなかった。  残り火と松明を頼りにして、黒ずんだ壁を端から順に調べていく。  仕掛けは無いか。掘れる箇所は。  ナイフの柄で岩を叩き、凹みを指でなぞり、殴り、押し、蹴り飛ばす。  正面が終われば右の壁。右がダメなら左。  三度同じ所を丹念に調べたアーゼルは、その場に膝を折ってへたり込んだ。 「きっと見落としたんだ……」  長い洞窟の途中に脇道があったはずだと、彼は来た道を振り返る。  真っ暗だった魔窟が、うっすらと明るい。  訝しく思いつつも、行きを遥かに上回る用心深さで、アーゼルは再び歩き出した。  行き止まりから入り口へ、自らの成した道程を逆さまに否定して進む。  松明を掲げるのがいよいよ(つら)くなり、背嚢に戻して両手を空けた。  それでも足元が見えるくらいに、周囲を明らめる光は強い。  壁を覆うぬめり(・・・)が、一斉に発光を始めていた。  往路に倍する時間を要して歩きつつ、左右の壁へ首を向ける。  その首も挽き臼のように重く、動かす度に軋みを上げた。  いくら目玉をぐりぐりと回してみたところで、新たな道は見当たらない。  全くの徒労という思いが、ひとえに彼を(さいな)んだ。  犠牲者たちの骸がアーゼルを(わら)う。少なくとも、彼の耳には愚昧を罵る嘲笑が聞こえていた。  ――オマエも朽ち果てるがよい。  嫌だ、と否定しても、瘴気は確実に身体に染みていく。  ――馬鹿者め。その愚を悔いよ。  彼の全身も、今や青緑の光を放つ。  始めは弱く、やがて強く。  半分ほど折り返した地点で、肩に掛けていた背嚢がどさりと地に落ちた。  左肩は、もう使い物にならないだろう。  付け根からもげて背嚢の傍らに転がった左の腕を、彼は呆然と見下ろす。  残る右手で火炎玉を一つ拾い、他の装備は打ち捨てた。  コートの裾が破れ、袖はちぎれて舞い落ちる。靴底が抜けたため、剥き出しの足で光る泥を跳ね散らかした。  壁という壁から、波打つ毛が生える。行き止まりで見たアレだ。  みるみる成長した毛は、しかしアレよりもずっと長い。  若い女の髪ほどまで伸び続け、風も無いのに前後へなびく。  自分も毛にまみれているのだろうと、アーゼルは濁った頭で察した。  視界を妨げる緑の筋は、おそらく自分の身体から生えた毛であろう、と。  心の底に残った使命感の如き芯が、彼の二つの足を胴に繋ぎ留めた。  入り口まで辿り着けたのは、帰りたいという意志の強さが成したものか。  魔窟を往復したアーゼルは、深夜の山に揺れて漂う。  鬼火も斯くやという彼だが、忠実に行きの経路を逆進した。  鉄柵に阻まれたところで、身を屈めて柵へ寄り掛かる。  本来なら穴を掘って進むべき場所だ。しかし、スコップも無く、力も失せた。  どうしようもなく、ただ柵を押す彼を、皮肉なことに()が助ける。  彼が触れていた箇所にも光が移り、腐ったように(もろ)く崩れた。  三本も柵棒を曲げ落とせば、アーゼルが通るには十分な穴となる。  柵の外側へ転がり出た彼は、一路、自分を待つ家へと向かった。 ◇  この夜の彼は、幸運に恵まれていた。  それは間違いない。  警備隊に発見されることなく、歩く毛の塊は山を下る。  誰の目にも触れずに家に帰り着くなど、神に祝福されたかのような僥倖(ぎょうこう)だ。  未明の闇に包まれた家が、アーゼルの光で薄く色づく。 「アア……アナア……」  かすれた声で呼んでも、ハナを起こすのは至難の業であろう。  帰宅を伝えるべく、アーゼルは扉へ向かって体当たりを繰り返した。 『兄さん?』 「……アナ」  反応があったことに喜び、彼は突撃を続ける。  五度の乱暴なノックを経て、扉は遂に開かれたものの、彼は木戸に押されてバランスを崩した。  ゴロゴロと転がる彼の目に、妹の姿は不確かな影としか映らない。 「ひぃっ!」  短い悲鳴は、アーゼルにも明瞭に聞き取れた。  それが何を意味するかも理解する。  扉は勢い任せに閉じられて、鍵の掛かる金具の音が響く。  もう家に入ることは叶うまい。  化け物、そう叫んだハナの言葉が、アーゼルの中で木魂(こだま)した。  ――俺は化け物だ。  彼は正しく自己を認識する。  まだ辛うじて握っていた火炎玉を地面へ置き、右手を胸に当てた。    ――化け物は、俺だった。  開いた指を押し付けると、泥に沈むように指は体内へ潜っていく。  果して、核を彼の右手が握り込んだ。  取り出した塊を扉の前に転がし、薄れる意識を火炎玉へ向ける。  玉を殴りつけた力は、あまりにも弱い。  ポンと撫でるような優しさでは、着火など無理難題であろう。  何度も、ただ一心に、緑の化け物は玉を叩いた。  こればかりは、幸運で(あがな)える範疇を超える。  化け物は夜が明けるまで火を求め、願いを果たせないまま、息を引き取った。  翌朝、恐る恐る外を覗いたハナは、放置された火炎玉を見つける。  そして軒先に置かれた、拳大の光る塊を。  美しい青だった。  他は全て、早朝の春風が吹き散らした。  宝石にも似た青い塊は、人の手の骨で包まれていたという。 了
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