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不意にどこからかピアノの音色が聞こえて来た。音のする方向へ視線を向けると、楽器屋の前で、ピアノ演奏のデモンストレーションが行われている。若い女性が、華麗な指使いで、電子ピアノの鍵盤を叩いていた。
「わぁ!素敵!ショパンの『別れの曲』かな?」
そう言ってつかさちゃんを振り返ると、つかさちゃんは妙に真剣な面持ちでピアノを見つめ、
「情感が足りない。そこは、もっと流れる様に弾かなくちゃ。あっ、ミスった」
なにやら、ぶつぶつとつぶやいている。
「つかさちゃん?」
憑かれたような様子の彼女が気になり、心配な気持ちで見つめていると、しばらくしてピアノの音が止んだ。演奏者の女性が立ち上がって、マイクを取り、
「どなか弾いてみたい方はおられますか?」
と観客に声を掛けた。誰か挙手する人がいるのだろうかと思って周囲を見回してみたが、誰も手を挙げる様子がなかったので、このデモンストレーションはここで終わりなのかな、と思っていたら、
「はい」
私の隣で、つかさちゃんが、すっと手を挙げた。彼女の意外な行動に、
「えっ?」
と瞬きをする。
「はい、ではそちらの女性の方、どうぞ!」
演奏者の女性がにこやかにつかさちゃんを招くと、つかさちゃんは堂々とした様子でピアノに歩み寄った。優雅な仕草で椅子に座る。
一呼吸の間を置いて、つかさちゃんの指が鍵盤を叩いた。
軽快で踊るようなメロディがアーケードに響き渡る。
「『子犬のワルツ』だ」
聞き覚えのあるメロディだったので、私は思わず曲名をつぶやいた。
つかさちゃんの指が鍵盤の上で踊るように動いている。とても素人とは思えない弾きっぷりに、私は呆気にとられて彼女を見つめた。
――曲が終わると、つかさちゃんの演奏に耳を傾けていた人々から大きな拍手が起こった。つかさちゃんは立ち上がって一礼すると、
「やっぱり、最新の電子ピアノは音がいいですね」
と言いながら、私の側へと戻って来た。
「つかさちゃん、ピアノ巧いんだね。びっくりした!弾いていたの『子犬のワルツ』だよね。私、あの曲好きなの」
笑顔で感想を述べると、つかさちゃんは少し照れたように、
「ありがとうございます」
とお礼を言った。
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