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とたんに静けさを取り戻した部屋で、さきほどまで紫鳩がいたあたりをなんとはなしに眺めながら、ぽつりと東雲が呟いた。
「……それにしても、どうしてこんなことになったんでしょうねえ」
ちらりと横目でユリウスを窺う。
その端正な顔は今、悩ましい憂いで満ち満ちている。朱夏神への懸念もあるだろうが、人間界へ送った使徒ふたりへの気がかりの方が勝っているだろうと東雲はみていた。
ひとつため息をついて、おもむろに歩き出す主のあとを黙ってついていく。
今までいた広間を出ると、そこに伸びるのは豪奢な造りの廊下だ。天井は高く、片側は中庭に面しているので据えつけられた窓は大きい。差し込む陽射しで廊下は一段と明るく感じた。
火神の廷はむやみやたらと広い。
今でこそ主に使徒が四人いるからなんとか有効利用出来てはいるが――それでも部屋はだいぶ余っている――遥か昔、まだここがユリウスと東雲のふたりだけだった頃はそれはもう、宝の持ち腐れ以外の何物でもなかった。
(中庭だって、草は伸び放題の花は枯れ放題だったしなあ)
あの頃に比べたら、見違えるほど整然と花が咲き誇る中庭を、東雲は眩しさに目を細めながら眺め遣った。
中庭を抜けると、花のアーチが彩る渡り廊下が続く。そこを渡らずに越え、門をくぐり、敷地を出た先をまっすぐ進むと見えるのが朱夏宮――エリアーデが住まう場所、つまりゼロが仕える主の宮だ。
そして、我が主が懸想しているのもそのエリアーデである。
(まあ、ユリウス様の行動はむしろストーカーに近いものがあると思うけど)
目の上に手で庇を作り、半ば呆れ調子でひとりごちる。
「……お前今私のことをけなしただろう」
「いいええ全然」
疑い深く睨んでくるユリウスを、涼しい顔で受け流した。
「私は耳がいいんだ」
「地獄のように」
「ああ。……お前やっぱりさりげなく私をけなしてるだろう」
「なんのことだかさっぱりー」
東雲はへらりと笑ってかわす。もう数百年こんな掛け合いを続けているが、この主はいつになっても反応が新鮮でまったく飽きない。
「今頃あちらでは女性同士のひそやかな話が花咲いてるんでしょうねぇ」
いっそ爽やかとも思える笑みを浮かべ、窓の向こうへ視線を遣りながら東雲は言った。
「さらりと話題を変えるでない。まあ、確かに……、エリアーデ殿とメサティムヌ殿は昔からの知己であられるからな」
渋々といった面持ちでユリウスは話に乗ってくる。
火神は中庭に通じる扉を開けて、砂利で造られた遊歩道に足を踏み入れた。
東雲もそれにならい、中庭に降り立つ。
「今回のことを発見したのも彼女だ」
まばゆい日差しにしばしくらんでいると、離れた場所からユリウスの声が届いた。ひとつ頭を振って、道なりに歩みを進める。次第に見えてくるのはこぢんまりとした四阿。花壇に囲まれたその四阿で一足早く、ユリウスはベンチに腰かけていた。
東雲もユリウスの向かいに腰を下ろす。
「朝、朱夏宮を訪ねたら現場を目撃したんでしたっけ?」
「そうだ。私もその場にいたがな」
「朝っぱらからストーキングとは、精が出ますね」
「断じて違うぞ。違うからな」
木製のベンチに浅く座る東雲は、まるで寝そべるように背もたれに身体を預け、屋根代わりの花棚を見上げた。おおぶりの朱い花が風に揺れ、甘い芳香を振りまく。まるで怠惰を誘惑しているように。
「……お前は本当私に対しての敬意がないな。主の前でその姿勢はないだろう」
「見てくれだけの敬意なんて敬意じゃありませんよー」
間延びした声で東雲は返した。
ちら、と窺う視界に、こめかみをひくつかせる火神の姿を見てこっそり忍び笑う。きっと何故この男を使徒にしたのだろうなんて思っているに違いない。もちろん本気ではないであろうことも承知している。
火神ユリウスとは、そういう人だ。
やがてユリウスが事の発端を話し始めるまで、東雲は涼やかな風に踊る花々を眩しく見上げていた。
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