そしてふたりは出会う

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「人間」とは、異なる世界に暮らしていて、自分達より短いいのちを持ち、それを美しく散らす、花のような種族だと。  主から聞かされたのはその程度。  実物をこの目にしたこともなければ、さほど関心があったわけでもない。  ただ己が主は人間を好ましいと感じているようだった。  ならば別段嫌う理由もない。  ――これは俺が人間に出会った話。  そして……  *** 「……はあ、はあ……」  走り続けていた足をいったん止めて、呼吸をととのえた。額に流れる汗を拭い、あたりを見回す。  森林だ。深い土の匂いや、葉のさざめき。落ちる木漏れ日は向こうとなんら変わりないのに、肌に触れる空気はここが別天地であると雄弁に伝えている。硬質な蹄の音に導かれて視線を向ければ、木々のあいだに人々の営みが見てとれる。大きな通りが近いようだ。鼓動が治まるにつれ、活気に満ちた話し声がだんだんと頭に入ってくる。  どうやら無事に人間界へ着いているらしい。  初めて訪れる空間の感触を踏みしめるように、通りへ向かってゆっくりと歩を進めた。心身ともに落ち着いてきている。これからのことを考えなければいけない。  いや、これまでのことを、なのか。  こうなった経緯を思って自嘲する。よほど情けない顔をしているだろうがどうせ知り合いもいなければ誰にも見咎められてもいない。  硬い石畳に靴音を鳴らしたそのときだった。悲鳴が聞こえたのは。  気づけば身体が勝手に動いていた。  とりわけ正義感にあふれているわけでも、人が良いわけでもない。あとから考えれば、きっとさらなる嫌悪感に苛まれたくなかっただけなのだろうと思う。 「ありがとう」  そこで初めて少女だったのだと知った。どうやら助けるべき相手がどのような人物なのかすら確かめず動いていたようだ。これではただの憂さ晴らしと大差なく、親切からもほど遠い。  少女は逃げずにずっとそこで留まっていた。少し癖のある黒髪を肩のあたりまで伸ばし、動きやすそうな軽装に身を包んだ年若い人間だ。旅人とも思えぬいでたちだが、ところどころにつけられた装具は確か魔道の類いのものではなかったか。  ひとまず当たり障りなくやり過ごそう、と口を開いた。正確には、開きかけた。 「そこにいたのか食い逃げ犯! 勘定払えこのやろう!」 「うわ見つかった。逃げるわよ!」  逃げるわよ、と言われれば逃げるだろう。特に、土地勘のない場所で、突拍子もない出来事に遭遇したのなら。加えて、さきほどからずっと半ば思考を放棄していたのなら。  故に、 「なんであんた一緒に走ってんの?」  と訊かれたところでまともな理由などあるわけもなく、さらに付け加えればこの状況への把握を余儀なくされてしまったことで、塞ぎかけていた思考回路は否が応にも動かざるをえなくなってゆく。  少女のせいで。  少女のおかげで。  きりきりと、緩慢に回りだす。 「……俺も今それを考えていたところだ」 「あ、あっそー……。まあ、さっきあたしを助けたんだから、ここはひとつ共犯ってことでよろしく」 「やっぱり俺は食い逃げ犯を助けたのか……」  心ここにあらずだったとは言えなんとまあ盛大な誤断をしたものである。 「そう言わないで。ほら、行きずりの縁もなんとかって言うじゃない。人助け万々歳よ?」 「だいたい、どうして食い逃げなんてやるんだ」  罪と理解していて何故罪を犯すのか。それを問うたつもりだった。少女にも、己にも。 「やむにやまれぬ事情に決まってるでしょ」 「金がないのか……」  やはり許される理由などありはしない。仮に少女の言う、やむにやまれぬ事情とやらが本当なら教えてほしい。果たしてそれに合致するのか、確かめたいから。本当に、そんな救いがあるのなら。  真っ暗なこの道に、明かりを灯してほしい。 「ライティングボール!」  願いは聞き届けられた。  導きの光と言うには、強烈すぎる代物だったが。  どうしようもなく行きずりで、どうしようもなく陳腐で、どうしようもなく特別な、それが始まりだった。          *
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