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「じゃあ、まず自己紹介しましょうか。あたしはアリス」
そう言って、食い逃げ犯はにっこり笑った。よくよく見るとまだあどけなさの残る顔立ちだった。この頃の見た目ということはまだ成人として扱われるには早いはずだが、年端もいかない少女がひとりで街道を往くとはどうしたのだろう。
今現在ふたりが居るのは、さきほど一緒に爆走していた街道を少しそれた先にある、ちいさな集落のちいさな茶店。ひとまずふたりはそこに落ちつき、晴れて自己紹介の場を得るに至ったのだ。
「これでも一応魔道士の端くれだから。魔道学校途中で辞めちゃって今はこんなだけどね。あんたは?」
「俺は……、……ゼロ」
「うんうん、それで?」
「……っ、………」
ゼロはそこで口ごもってしまう。
自分の名前はゼロだ。それは教えてもいい。しかし――、この行きずりの少女に明かせることなど他にあるだろうか?
他に……。
「……?」
ゼロの続かない言葉に、食い逃げ犯――いや、アリスはお茶を飲むのを止め、
「なに? もしかして身元不明? でもどこかには行くのよね? あんな街道散歩やなにかでほっつき歩く人いないし」
「……ああ、そうだな……」
つまり彼女も何かしらの目的があるということだ。
だが今のゼロにそのことについて考えを巡らせる余裕はなかった。
「まさか記憶喪失!?」
アリスが身を乗り出してくる。
「いや、記憶はある」
それも生々しい感触とともに。忘れられるわけがない。
どうにも煮え切らないゼロをじっと見つめると、アリスは観念したように口を開いた。
「まぁいっかー。名前が判れば充分充分。ところで、ゼロ。どこに行くわけでもないんだったら、あたしと一緒にマルキス行かない?」
「マルキス……ああ、東ワールゲンの王都か」
普段使うこともない知識を脳内からひっぱり出す。確か合っているはずだ。
「そうそう! あたしはそこに行きたいの! ちょっと人捜しっていうか……でも女の子のひとり旅って危険だと思わない? さっきのゼロ強かったしさ」
さきほどのしのぎ方を見る限りたいして危険には思えないが。
ゼロはしばし黙考した。別に行くあてはなく、アリスの誘いを断る理由はさして見当たらない。
(この先どうするのか……結局考えてないな。……それもいいか)
アリスは頬杖をつきこちらを見つめている。髪とよく似た、黒茶の瞳だ。
目を合わせ、ゼロは口を開いた。
「わかった。付き合う」
「やったー! ありがと! じゃあ今日は……そうね、もう日も暮れるしとりあえずどっかに泊まって、明日から目指せマルキスよ!」
それを聞いて、はた、とあることに気づく。
「アリス……金が無いんじゃなかったのか?」
「手持ちはあるわよ」
「じゃあなんで」
「言ったでしょやむにやまれぬ事情って。お代出してないのは事実だけど?」
ぶっ、と飲みかけのお茶が吹き出る。
「汚いわよ」
言われてゼロは慌てて口元を拭い、半眼まなこで向かいの少女を見据えた。
「……払えよ饅頭代」
「もちろんよ」
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