銀色の天使

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 薄暗い宿の部屋のなかで、アリスはベッドに寝転がり、これまでのことを思い返していた。  故郷を出て今日でもう五日目。東ワールゲンの王都マルキスにたどり着くにはまだしばらくかかる。女の子のひとり旅は予想以上に不便だ。いい加減うんざりしているのも事実である。盗賊団が行く手を阻もうが、変態男が絡んでこようが、すべてを薙ぎ倒して行く自信はある。そんなのは壁なんかじゃない。自分にとっては障害にすら感じない。 (本当の壁はどういうものかあたしは知っている……)  不意に目頭が熱くなった気がして、枕に顔を押しつけた。だめだ。思考が悪い方へ落ちている。気を紛らわすために、今日出会った彼のことを頭に浮かべてみる。今どき見ず知らずの他人を助けたりする変わった人間だ。  珍しい青灰色の髪。少しつり目がかった深い茶色の瞳に、透けるような白い肌。肌の色から見て、北方の生まれなのだろうが、それにしてはあまり見かけない服装をしていた。  ところどころに彩られた刺繍は、確かあれは神を奉る意味の紋章ではなかったか。確かめたことはないが、首や腕につけている装飾にも似たようなものがあるのだろう。すると彼は神殿に属する者なのだろうか。見かけは二十歳前そこそこなのに、そんな閑職に就くものなのか……何もかもちぐはぐな印象だが、清廉と言えばどことなくそんな雰囲気もなくはない。  神殿と言えば聞こえはいいが、今ではすっかり寂れた少数信仰のための祠だ。参拝する人なんて見たことがない。  神話などしょせんお伽話。  かくいうアリスもまったく信じてはいないが、ゼロがそんな希少な種類の人間なら、いろいろ話を聞いてみるのも面白いかもしれない。いい加減ひとり旅には飽きていた。 (明日聞いてみよう。……答えてくれるかわからないけど)  昼間のゼロの様子を思い出す。どうにも彼には違和感を覚える。珍しい外見だからそう感じるだけなのか。  眠りにつこうと、アリスは寝返りを打った。 (――!?)  あたりを漂うほのかな香りに、思わず身構える。さっきまではこんなものなかったはずだ。 「……霧深き橋姫……」  その声が聞こえたとたん、部屋のなかを薄霧が支配する。  嫌な予感を感じ、アリスは口早に呪文を唱える。  霧はどんどん濃く広がっているようだった。あと幾間もたたないうちに部屋中を埋め尽くすだろう。  アリスは機敏に起き上がると、唱えた呪文を解放した。 「イレーズ!」  すると、その声に呼応するかのように霧がうっすらと晴れていく。  まず自分の呪文が効いたことに、ほっと安堵の息をつき、そして急ぎ退路を確保する。声は扉とは正反対の、窓の方から聞こえてきた。何者だか知らないが、こんなところでは派手には暴れられない。いざとなったら逃げる準備をしていても悪くないはずだ。  誰かが息をのむ気配がした。  夜風が頬を撫でる。  ――開け放たれた窓の桟に、その少女は腰かけていた。  長く艶やかな黒髪は高く結い上げ、どこか不機嫌そうな瞳の色は赤みがかった黒。極彩色の衣を帯で締めたいでたちは、アリスの知らない民族衣装のようだ。 (……ったく、ゼロといいこいつといい、怪しい奴ばっか!)  内心舌打ちしつつ、攻撃用の呪文を唱えはじめる。  こんな時間に窓から入るような人間はろくでもないに決まっている。ならば問答無用で倒しても文句は言われないはず!  不審極まりない相手だが、自分の呪文が効くことがわかればあとはどうとでもなる。出来れば一撃で倒したい。アリスは意を決して右手を虚空に突き出した。 「おい! 待て、早まるな。私はお前を助けに来たんだぞ!」 「――はあ!?」  不審な少女は、こともあろうかアリスを助けに来た――と告げた。 (助ける? って、何から!?)  心当たりなどなにもない。  しかし少女はさらに言い募る。 「あんな背徳者と共にしていたら、お前も酷い目に遭うに決まっている……!」  少女はまなじりを吊り上げ、 「私はあいつを裁きに来た。だが、お前が一緒にいるから、まず先にお前を助けようとしているんだ。だから、怪しむな」 「無理言わないでよ!」 「何故だ。ちゃんと説明しただろう?」  少女は戸惑う。 「だいたいこんな夜更けに勝手に人の部屋入ってきて、見るからに怪しげなカッコして怪しげな霧呼び出して! 迷惑極まりないわよ。レンジャーに突き出すからね!」 「レンジャー……? ああ、役人のことか」  言って、少女はひとり納得したように頷く。  その言動に多少の怪訝さを感じはしたものの、アリスは黙って眉をひそめるだけにした。 「だいいち、怪しげとはずいぶん失礼じゃないか。自分は人の話も聞かないうちに呪文放とうとしていたくせに」 「やかましい。世間一般のお約束よ」 「むっ。自分の非を認めないのか、っていうか、そんなお約束はないだろう!」 「ばっちりきっぱりある! あたしのなかで」 「じゃあ世間一般と違うじゃないか!」  なにやらかなり論点がずれてきた気がしなくもないが、構わずにアリスは続けた。 「そんなの言葉のあやに決まってるでしょ!  いい加減呪文ぶちかますわよ!」 「お前がそう言うならこっちも容赦はしない。敵わぬと知れ、小娘!」 「こっ、小娘ー!? あんたあたしと同じくらいじゃない!」  少女はふふん、と鼻を鳴らす。 「我らの見かけと実年齢は一致するものではない」  アリスが何か言い返そうとしたとき。背にした扉にノックの音がした。 「……アリス? どうかしたか?」  ――ゼロだ。
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