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アリスは扉を開けようとした。
しかし、ゼロの声を聞いたとたん、少女が激昂した。
「出て来たか背徳者! この香姫が骨も残さず灰にしてやる……!」
極彩色の衣がはためき、広げた両手にまばゆい光が灯る。
「……ちょっ、」
一瞬のことで呪文も唱えられず、アリスが床へ膝をつくと同時に、少女は扉へ向けて右手をかざし、言葉を放った。
「真木柱」
烈光が一直線に扉へ突き立った。
(――ゼロ……!)
思わず耳を塞ぎたくなるような轟音を立て、扉は無残に亀裂を走らせ崩れ落ちる。
破片に降られ、アリスの体のところどころに傷が生まれた。
ゼロの姿は見えない。
「かわされたか……ならば!」
「また術を使う気なの!?」
問うた言葉は耳に入らないらしく、少女は躊躇うことなく次の呪文を紡ぐ。
「花の宴」
呼応するかのごとく出現したのは……無数の火球だ。
(――まさか!?)
「ちょっとあんた正気!?」
こんな場所で火炎呪文を使うなんて!
少女がその腕を一振り、瞬く間に火球は四方に飛ぶ。
うねるような爆風がアリスを襲う。火は物凄い速度でこの部屋を舐め尽くそうとしていた。
――逃げなければ。
(ど、どうやって……!?)
もはや完全に火の海だ。肌がちりちりと焼かれる痛みを感じつつ、アリスは必死に頭を巡らせた。どうしよう、どうすればいい?
「いつの間にかあの変な女はいなくなってるし! ああもうゼロはどこ行ったのよ、あんたのせいでこーなったんだからねー!」
やつあたり気味に叫ぶが、もちろん返答はない。無駄に息を切らしただけだった。
「ゼロのばかぁーッ!!」
熱さで目がくらむ。呪文を唱えようにも、思考回路がうまく回ってくれない。
(こんな……こんなとこで止まってられないのに……!)
――不意に、熱気が消える。冷涼な空気が、アリスの周りをとりまいた。
(な、何?)
「目を閉じろ」
上から声が降ってくる。
「ゼロ?」
思わず声のした方へ顔を上げるが、半ば強制的に、多分ゼロのものだろうてのひらで瞳を閉じられた。
「いいから閉じていろ」
冷たい手の感触。
「……あの人とは違う……」
「何?」
独白めいた呟きは、ゼロのもとまで届いてしまったらしい。アリスは慌てて否定する。
「ううん。なんでもない。それより、手どけてよ。おとなしくしてるから。助けてくれるのよね?」
「……ああ」
彼には助けられてばかりだ。
ゼロは少し躊躇いながらも手を離す。すると、体がいきなり宙に浮いた。
いや、浮いたのではない。……抱き上げられている。
(こっ、これは……!)
自然と体が硬くなる。
「落とすかもしれないからしっかりつかまってた方が、いい」
「ええっ!? 落とすって何!? 落とすって、あんた一体何すんの!?」
「……うるさいな」
言い返したいことは多々あったが、とりあえず今は、おとなしくゼロにしがみつく。
とたんに、今までとは異なる浮遊感に身を包まれた。不思議と、炎が荒れ狂う轟音は鳴りをひそめたようだ。
かわりに、微かな羽音。
だんだんと、周りの空気が夜特有のひんやりしたものに変わっていくのが判る。これは……外に出ている? なんらかの、浮術かなにかか。なんにせよ呪文なしでやってのけるとはどういうことだ。
俄然好奇心が湧いてきたアリスは、少しだけ――ほんの、少しだけ、目を開いた。
その頃には、確かな安定感がゼロを通して伝わってきていた。おそらく地面の上に降りたったのだろう。
いや、そんなことよりも。
「目、開けるなって言ったのに……」
「ゼロ……あんた――何?」
口をついて出た言葉は、驚くほどかすれていた。
瞳に映るゼロは、燃えさかる炎の光に照らされて、まるで肖像画のようだった。淡く輝く青灰色の髪。濃い影の落ちる茶色の瞳。
そして、背に生えた、一対の翼。
薄闇に映える白いそれは、光を束ねたようにも、鳥の翼のようにも見えた。
――天使。
しかし、天使なんて本当に存在するのか。あれは信仰上の存在ではないのか。
(……本当に、いたの?……)
「小娘! その場を離れろ!」
驚いて見上げると、木の枝を足場に、さきほどの少女が立っている。
「あんたなんてことしてくれたのよ!」
そう、怒鳴りたい気持ちは一瞬で吹っ飛んだ。――少女の、次の言葉によって。
「そいつは、自分の主に暴行を働いた男だぞ!」
……ゼロは、苦しげに目を逸らした。
*
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