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「淳介くん、気をつけてよ。夏生は人使い荒いから。前の会社のときも鬼で有名だったんだからさー」
若菜がおもむろに空のジョッキを上げた。
早くも、目が据わり始めている。
「おい、適当なこと言うなよ。お前部署違っただろーが」
「えー、店長と若菜さんって、同じ会社にいたんですか?」
ビールを若菜に差し出しながら、唯がさりげなく会話に割り込んでくる。
「そうよ。同期入社だもん」
「へー、いいですね。同期でまだ付き合いがあるなんて」
すでに酔いが回っているらしい若菜が余計なことまで喋るんじゃないかと、夏生は内心ハラハラしていた。
それを未然に防ぐため、自ら話題を変えた。
「今日、蒼斗は?」
「実家ー」
蒼斗は、若菜の息子だ。
ついこの間までぷくぷくと太っていて、ただ寝っ転がっているだけだったのに、2歳になった今ではもう、簡単な日本語を話しているのだというから、信じられない。
「もう、イヤイヤ期で嫌になるわー。保育園行く前にグズるわ、自分で食べたがってごはんぐっちゃぐちゃにするわ。機嫌がいいのは、パトカーとかバスとか見てる時だけよ」
「乗り物が好きなの?」
「もーすごいの。工事現場なんか、宝の山よ」
呆れながらも、愛しさをはらんだ声だった。
若菜とは、夏生が会社を辞めて以来、しばらく疎遠になっていた。
夏生が店をやり始めたという噂を聞きつけて、突然、ひょっこりとやってきたのが1年前だ。
――まだ赤ん坊だった蒼斗を胸に抱いて。
ひとりで子供を育てている若菜は、それ以来、息抜きと称して時々たか瀬に来るようになった。
「夏生さぁ、結婚しないの?」
若菜は唐突に言い、ぐいとジョッキをあおる。
ワンレングスのショートヘアからのぞく、大ぶりのイヤリングが揺れた。
「しないよ。相手もいないし。お前はどうなんだよ」
「付き合ってるみたいな人はまぁ、いるけど。でも結婚なんかしないよ。蒼斗が大人になるまではね」
まあ、そのときに相手にしてくれる人がいるかはわからないけどー。
独り言のトーンが暗い。
語尾を伸ばして喋るときは、相当、酒が回っている証拠だ。
雲行きが怪しくなってきたな、と夏生は危惧し、テーブルの備品補充をしていた唯に目配せをした。
――アルコール提供ストップの合図だ。
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