ふち欠けカップ

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淳介はゆっくりと近づいてくる。 黙り込むよりは喋っていたほうが気も紛れるだろうと、口を開いた。 「なに。まだ俺のことが諦められないって話ー?」 冗談めかして言いながら、ふたたびスチールラックを見回す。 早く電気をつけなければ。 電気さえつけば———— 「そうだったら、迷惑ですか?」 背後から抱きすくめられ、頼は全身が硬直した。 落ち着け。 相手は淳介で、祥吾じゃない。 もうあの頃には戻らない———— 「淳ちゃん、ダメだってば……」 踏み台に乗っていても、大柄な彼と目線の高さは変わらない。 太い腕でホールドされて、身動きが取れなかった。 「すみません。でも俺、やっぱり好きなんです」 「俺は淳ちゃんとは付き合えない。前にも言ったよね?」 予想通り、打たれ強い男だった。 そして、予想以上に諦めも悪い。 ——夏生の入院中も、淳介は事あるごとに気持ちをぶつけてきた。 ふたりきりになる機会が多くなったせいで、歯止めが利かなくなったらしい。 終始、熱っぽい視線で追いかけ回されて、頼は精神的に消耗した。 夏生に余計な心配をかけたくなくて、その一切を黙っていたが、彼が復帰してからも、淳介の姿勢が崩れることはなかった。 抵抗していると、体を持ち上げられてスチールラックにそっと背中を押しつけられた。 「夏生さんなんですか?」 「え?」 切れ長の目元が火照り、絡みついてきた。 「前に言ってた、頼さんの好きな人。夏生さんなんですよね?」 頼は分厚い胸板を軽く押して、すり抜けた。 スチールラックに食い込んでいた背中が痛む。 「……だったら何?」 あっさりと認めると、淳介は一瞬、言葉を失った。 まさか肯定されるとは思ってもなかったのだろう。 ふたたび腕を掴まれて、引き戻されてしまう。 「夏生さんは……お兄さんですよ」 「もう違うよ。兄弟だったのもたった3年だし」 ようやく左中段のスチールラックに電球を見つけたが、体の動きはすでに封じられている。 無意識に物をどこかに置いてしまう癖を改めないといけないな、とぼんやり思った。 「でもきっと、夏生さんにとっての頼さんは、弟ですよ」 「……は?」 つい、不機嫌な声が漏れてしまう。 しかし淳介は怯むどころか、腕に力を込めた。 「夏生さんにとって、頼さんは大切だと思います。守りたいとも思ってると、思います。でも、その好きは……頼さんの好きとは違うんじゃないですか」 そこまで言われて、胸の中をかっと熱いものが迫り上がってきた。 そこで初めて、自分の心根にあるひっそりとした不安を自覚したのだった。 「淳ちゃんには関係ない」 「関係ないけど、関係ありたく思ってるし、俺は頼さんの全部をわかりたいと思ってます」 自分の、ほんの上澄みしか知らない淳介に、なにがわかるというのだろう。 到底、理解などできないはずだ。 思わず吹き出してしまう。 腕を解き、ドアノブを掴もうとしたが、淳介は扉に手をついて、頼の退路を断った。 「本気なんですよ?」 茶化されたと思ったのか、淳介は怒りと興奮で震えている。 そのいびつな目の輝きは、あの時の記憶を想起させた。
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