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今度は扉に押しつけられた。
「淳ちゃん、だめだよ」
しかし、体が動かない。
淳介は腕の中に大人しく収まっている頼を見て、それを肯定の合図だと勘違いしたらしい。
熱い息が、頬をかすめた。
「頼さん」
「やめて、お願い————」
口だけで懇願するも、あっけなく唇を奪われてしまった。
「んっ……」
熱い舌が入ってくる。
そのうちに淳介の呼吸が荒くなってきて、シャツの中に指先が入ってきた。
脇腹を伝うその冷たさ、間近に感じる荒い呼吸、背中に食い込むかたい扉の感触。
あの夜も、小狭い物置に連れ込まれた。
暗いなか、自分を見下ろす目は冷徹で、撫で回す指先はまるで氷のようで————
祥吾の声が何重にもなって、耳の中に響く。
四つん這いになってみろよ、頼————
「頼さん?」
ぐったりと動かない姿に違和感を覚えたらしい淳介が問いかけてきたが、それにすら反応できなかった。
涙が溢れ、体が小刻みに震える。
「大丈夫ですか?」
その場にへたり込みそうになるのを、腕を掴んで支えてくれたが、それが思いの外強い力で——頼はますます動揺した。
「離して」
「すみません、俺————」
「お願い、離して……」
淳介は頼の背中に手を回し、ゆっくりと撫でてくれた。
それは、以前、夏生がやってくれた時のリズムにどこか似ていた。
あやすように軽く叩かれているうちに呼吸が落ち着いてきて、頼は目尻に溜まった涙を指で拭った。
「落ち着きましたか?」
「びっくりさせてごめん。暗くて狭いところがね、ちょっと苦手で」
「すみません、本当に」
それからしばらく黙り込んだ。
背中に回した手を解いてほしくて体を何度か捻ったが、腕の力は頑なに緩まなかった。
「……チャンスはもうないですか?」
額に淳介の声がぶつかり、頼はゆっくりと顔を上げた。
距離が近い。
そのまま見つめてしまったらまた唇を塞がれてしまうと思い、ふたたび俯いた。
「俺にはね、もうずっと——なっちゃんしか見えてないの。たぶんこれからも」
「頼さん……」
淳介が目を細めた。
その黒目には、憐みと歯痒さ、理解しがたいことに出くわした時の恐怖めいたものが浮かんでいた。
「異常だよね。でも、これが俺だから」
だからごめんね、淳ちゃん————
はっきりと言い切った。
淳介が腕を解いたのが先か、扉が開いたのが先かはわからない。
しかし、まだ体が密着した状態のまま、ドアの隙間から夏生の目がこちらを捉えていたことだけは、はっきりと確認できた。
なんでいつもいつも、こう間が悪いんだ。
「1個だけLEDの電球あったから持ってきたんだけど……取り込み中だった?」
それを目の当たりにしても、夏生は眉ひとつ動かさない。
妙に堂々としたその態度が、空恐ろしかった。
「あ、いえ……」
淳介は体を離すと、夏生の隙間をすり抜けるようにして出て行ってしまった。
気まずさのあまり、淳介が見えなくなるまでその背中を見送った。
いよいよ淳介が角を曲がって完全に消えてしまうと、頼は夏生の胸元あたりに視線を移した。
手に持った電球をぶらぶらさせて遊んでから、差し出してくる。
「ほら、よろしくな」
促されるままに受け取り、自分も、そのくびれた部分を掴んで弄んだ。
言葉に詰まっていると、夏生が踵を返したので、慌ててパーカーのフードを掴む。
「今の……違うから」
否定してみたものの、あまりにも不自然で説明不足だ。
これまでの一切を伏せていたことが、裏目に出てしまった。
夏生は振り向かずに、頭をかいた。
「あー、それは別に……」
「どうでもいいの?」
悪いのは自分なのに、つい食い下がってしまった。
夏生はそれには答えなかった。
「淳介のことさー、あんま傷つけんなよ?」
そして、さっさと歩いていってしまう。
取り残された頼はひとり、その場にしゃがみ込んだ。
せめて、言い訳ぐらいさせてほしかった。
隠し事など、もうする気はない。
夏生が求めれば、自分はいくらだってその胸の内を明かすのに。
「なんだかなぁ」
電球を握りしめながら、長いため息をついた。
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