ふち欠けカップ

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なっちゃん。 呼びかけても反応しないので、頼も歩きながら、そのまま続けた。 「淳ちゃんね、気づいてたみたい。俺がなっちゃんを好きなこと」 淳介の名前を出して初めて、夏生が立ち止まった。 「でね、言われたの。なっちゃんの俺に対する好きは、俺がなっちゃんに対する好きとは違うと思うって」 改めて言葉にしてみるとやっぱり落ち込んで、気弱な口調になってしまった。 夏生は黙って一瞬、空を仰ぎ、それからその場で片足を揺すった。 「……あいつが何を知ってんだよ」 ようやく発したその一言は、少し怒っているように思えた。 ——淳介には、事の一部始終を伝えていない。 祥吾と夏生と自分の間になにがあったのか、それは暗黙のルールで、誰にも教えていなかった。 しかし、必死に取り繕ったところで、にじみ出る違和感はやはり拭えないのだろう。 夏生の不自然な怪我、突然いなくなった祥吾。 それ以前にも、彼には祥吾につけられた痣を見られてしまっている。 淳介は、なにも知らないけど、すべて知っているのだ。 ある意味、自分たちよりもずっと———— 「わかってるよ。好きの種類にこだわってるわけでもない。でも——」 「でも、なんだよ」 「……いい」 これ以上言ってしまったら、歯止めが利かなくなる気がした。 裾を離し、先行する。 「頼」 背後から声をかけられた。 「よーり」 2度目はやや甘い声で呼ばれて、つい振り向きそうになったが、なんとか耐えた。 それ以降、夏生が声をかけてくることはなかった。 冬の河川敷にはなにもない。 木々は枯れ、川の流れは凍てついたように動きを鈍くし、虫の音もない。 頼のダウンジャケットの擦れる音と、コンクリートを打つスニーカーの音だけが鳴り、妙な気まずさに追い討ちをかけた。
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