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人いきれの間から突如現れた鈴木頼は、まるで光を帯びているようだった。
茶色い髪は、陽の光にさらされて透き通っている。
こちらに向かってひらりひらりと手を振ってはいるが、その姿は、夏の日差しの眩しさと相まって半透明にも見え、瞬きをしたら消えてしまいそうなくらいに危うい。
“頼りにならない頼ちゃん”
昔、母親が茶化すようにそう言っていたのを、今、なぜか思い出した。
——まったく、柳の枝のようにしなりしなりして。肝心な時にいやしないんだから——
夏生は何度か瞬きをして頼の姿が消えていないことを確かめると、一歩踏み出した。
しかし、頼は微かに首を左右に振って——夏生の動きを制止した。
そして、少し遠くに視線を投げてから、また夏生へと戻す。
「あっちを見ろ」と、目で訴えているのだ。
夏生はなんとなく気の進まぬまま、視線の先を見た。
後悔という文字は、まるで糸でくっついているかのように、すぐに追ってきた。
そこには、付き合い始めて間もない恋人——田宮藍の姿があった。
藍の媚びたような視線は、自分ではなく頼を捉えている。
胸元を強調したワンピース、きっちりと縁取られたリップ——自分と会う時よりも、つま先から頭のてっぺんまでピカピカに磨かれているようだった。
なんだ、これは。
どういう状態なんだ。
頼は藍と落ち合うと、そのむっちりとした肩を抱き、夏生に近づいてきた。
当の夏生はというと、今起きている状況もろくに整理できず、鯉のように口を開けてぼんやりしながら、それを受け入れることしかできない。
こちらの存在に気づいたとき、それまで嬉々としていた藍の瞳は、みるみると暗くなり——やがてせわしなく泳ぎ出した。
「藍、何やってんの……?」
今日の朝、彼女から「仕事頑張ってね」だとか「来週、会えるのが楽しみ」などというメッセージを受け取ったばかりなのに。
口をつぐんでいる藍に代わって、頼が沈黙を破った。
「この前、藍ちゃんが俺のところに髪切りに来てね。どうしても俺とごはんに行きたいってしつこいからさ。どうせなら3人の方がいいかなーって」
頼が藍の肩を掴んで、にこりと笑う。
一見フレンドリーに見えるそれは、相手を追い込むときの手段であることを、夏生は長年の付き合いで心得ていた。
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