01. 光を帯びた人

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*** 「いつも通り、おまかせでいいの?」 しゅこ、しゅこ、しゅこ。 ペダルを踏む小気味のよい音とともに座高が高くなり、鏡越しの頼と目が合った。 夏生が頷くのを見届けると、頼は髪の毛をあちこちつまみながら、背後でウロウロと動き回った。 「なっちゃんさ、後ろの毛の一部だけ、変な癖があるよね」 「そう?」 「うん。よーく見ないとわからないけど」 霧吹きの水が頭皮にじんわりと浸透し、その遠慮がちな圧感に夏生は少し身震いした。 ——平日の昼間なだけあって、客はまばらだ。 室内にいるのは美容師に延々と自分の話をしている女子大生、カーラーを巻きつけたままうたた寝している年配の女性、そして夏生。 パーマ剤だか、カラー剤だかのツンとした匂いが、鼻をついた。 「秋穂(あきほ)ママ、相変わらず元気そうだね」 「え?」 唐突に言われて思わず振り返ると、霧吹きの細かい粒子が鼻っ柱にかかった。 「1カ月前に切りに来たよ」 「お母さんが?」 秋穂は、夏生の実母である。 2週間前に会った時は、そんなこと一言も言っていなかった。 髪切ったんだ、と言うと、いつもの調子で「そう、いいでしょ?」と軽くポージングするだけで、どこで切ったかなど言うつもりもなかったらしい。 しかし、秋穂のことだから、頼のことを未だに気にかけているのだろう。 息子が、息子でなくなってからも。 「お父さんは、元気なのか」 つられるようにして、夏生も聞いてみた。 お父さん、という言葉を口にするたび、もったりとした違和感と気恥ずかしさまでもが空気中に拡散するようで、なんとなく苦手だ。 結局、呼び慣れないまま——また疎遠になってしまったけれど。 「元気。まだ嘱託で働いてる」 ジャキ、という音を拾って、夏生は目を閉じた。 ——夏生の母と頼の父が再婚したのは、夏生がまだ中学3年生の頃だった。 生まれたときから母以外の家族を知らない夏生にとって、突如現れた父と、そして2歳下の頼は、まったくもって未知の存在であった。 父は大柄で無口な男だったが、人はよく、親切にしてくれた。 すでに大人になりかけていた夏生にとって、父親というフレームにこそはまらなかったが、夏生なりに理解し受け入れ、好いてもいたのだ。 それは、頼が夏生の実母である秋穂を慕うのと同じような感覚だったのだろう。 「聞きそびれてたけど、さっきの巨乳ちょいブスとはどこで知り合ったの?」 「だからブス呼びすんなよ」 髪がぷっつりと切断される規則的な音にのるように、頼の笑い声が響いた。 「客だったんだよ。うちの店の」 言いたくなかったが、仕方ない。 夏生が渋々口にすると、頼は一瞬、手を止めて天井を仰いだ。 「なっちゃんのことだから、どうせ一方的に口説かれたんでしょ」 その通り。 半ば押し切られるかたちで2週間前、交際がスタートしたのだけれども———— 「もういいだろ。この話は」 今日はそのことについて考えたくない。 デニムのポケットのなかで、しきりに振動するスマートフォンが億劫だった。 ケープさえしていなければ、電源をオフにできるのに。 鏡越しの頼は、「にんまり」と笑っていた。
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