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1日目
朝9時に営業所に出社するという指示だったが、初日だから1時間前に営業所に着いた。営業所は駅近くのビルの1階にあり、10名の社員がいるそうだ。
「おはようございます」
営業所の前の掃除をしている紺色のスーツ姿の人が笑顔で挨拶をしてくれた。写真でみた30番目のΩだった。
「新しく来られた方ですね。向井陽夏です。よろしくお願いします」
笑顔が明るくて綺麗な人だ。Ωらしく背が低くて、中性的な感じだ。髪は黒くてまっすぐ。ベージュで目立たないがαに噛まれるのを防止するための首輪をしている。向井さんからは爽やかやいい香りがする。秘書課長が躊躇う理由がわからない。
「おはようございます。今日からお世話になります。よろしくお願いします」
こちらへどうぞ、と向井さんが営業所の中を案内してくれる。ロッカーや机の場所を聞いて、準備をする。
向井さんはその間に営業所内の掃除をしている。
9時のミーティングのときに、所長から他の社員に紹介してもらった。菊田祐也(きくた ゆうや)所長は40代の男性αで、αにしては線が細い。他の社員はβのようだ。Ωは向井さんだけ。俺の教育係は向井さんだそうだ。養子縁組は伏せて、社長の遠い親戚だということにしてもらっている。
「西嶋さん、今日は営業所の周辺エリアをご案内しますね。チラシを配りながらですが」
「はい。ありがとうございます」
新しく隣の駅前にできるマンションのチラシを配るそうだ。古い家が並ぶ地区に配る。子どもが成長して家を出た後、広すぎる家を売ってマンションに移り住みたいという需要を狙っている。
向井さんはチラシの入った大きなトートバッグを持って歩き始める。「持ちましょうか」と言ったが、「雑用が私の仕事です」と笑顔で断られた。かなり重そうだが、笑顔を崩さないでこのエリアの概要を話してくれる。
駅前はそれなりに店はあるが、老朽化して閉まっている店もある。駅から離れると古い住宅街がある。
向井さんの額に汗が見える。あごから首筋に流れる汗を見ると、目が離せなくなる。
小さくて細いこの人に、これ以上重い荷物を持たせるのも申し訳ない。「持ちますよ」と肩から無理やりトートバッグを取りあげる。
「私が持ちます。あなたにそんなことを…」
向井さんは慌てている。
「私は新人で向井さんの後輩です。私が持ちます」
向井さんは黙ってしまった。怒らせてしまったんだろうか?
向井さんは俯いている。
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