第三章 好き

1/6
115人が本棚に入れています
本棚に追加
/49ページ

第三章 好き

 その日の夜は悪夢を見なかった。いい夢を見たわけでもない。何かの夢を見てたのは確かだけど、目を覚ましたら忘れてしまった。  私は着実に回復している。前に進めている。口が利けなくても頑張ってる本郷君を見ていたら、立ち止まってなんていられないと思った。  早起きできたから久々に料理なんて作ってみた。料理といってもただのサンドイッチ。手が込んでない方が本郷君に食べてもらいやすいかなって考えて。  お母さんがキッチンに入ってきた。  「あら。私たちの朝ごはん?」  「違うよ。自分の昼ごはん。夕方まで図書館で勉強しようと思って」  「奈津が勉強? だから朝から土砂降りなのね」  土砂降り? それは気がつかなかった。本郷君といっしょに昨日の公園で食べようと思ったけど、雨じゃ無理か……?  開館時間に合わせて図書館に入った。それから十分後に本郷君は自習室に入ってきた。  早いね  「カンちゃんに会いたくて」  えっ  「君といっしょにいると勉強がはかどる、という意味だから。勘違いしないでね」  そうだよね  でもちょっとがっかりした  がっかりしたと言うけど、実際に私が告白でもしようものなら、うれしいけどそれは困るな、という感じで途端に距離を置かれてしまうだろう。  勘違いしてはいけない! 私は心の中で何度も自分に言い聞かせた。  「今日もお昼はコンビニで買うの?」  うん  「雨降ってるけど食べる場所あるの?」  二階に飲食可の休憩所がある  「自分のお昼ごはんにサンドイッチを作ってきたのだけど、作りすぎちゃったから、もしよかったらいっしょに食べてくれないかな?」  いいの?  喜んで  それを楽しみに勉強がんばるよ  「たいしたもんじゃないからそんなに期待しないで……」  高校で使ってる教科書しか持ってこなかった昨日と違って、今日はまともな勉強道具を持ってきた。赤本じゃないけど、英語・国語・数学、それぞれ受験対策にも使える入試レベルの問題集。勉強しない私を見かねて去年親が買ってきて、当然のように今までほったらかしになっていた三冊。  その問題集、僕も持ってる  いい問題集だよね  「そうだよね。私も気に入ってるんだ」  中身なんて知らないくせに嘘をついてしまった。なんで今さら本郷君相手に見栄を張りたくなるのかと考えて、やっぱり彼のことが好きだからなんだろうなという結論になった。  この前大失敗したばかりなのに懲りないな、私は……。恋愛なんて私には早すぎたと反省してからまだ三日も経ってない。  今度こそ反省して、私は勉強に集中した。ときどき隣に座る本郷君のことが気になったけど、もう当分恋なんてしないと自分に言い聞かせて、なんとか邪念を振り払い続けているうちにお昼になってお腹がすいてきた。  「なんかお腹がすいてきた」  そういえば僕もお腹すいた  連れ立って自習室から出るとき振り返ると、広い部屋にいるのは私たち以外六人だけだった。男の子五人と女の子一人。  ほかに誰がいるか今まで全然気にならなかったということは、それなりに集中して勉強できたということだろう。隣に座る本郷君の横顔をちらちらのぞいてしまったことはなかったことにしてる調子のいい私だった。  自習室に窓がなかったから気づかなかったけど、外の雨はもうやんでいた。  外で食べたいなって思ったけど、なんで? と聞かれてうまく説明できる自信がなかった。  自習室は三階、休憩所は二階。本郷君のあとについて階段を降りていく。この階段があと百階分あればいいのにと思った。どこまでも君のあとをついていきたかったから。  休憩所といっても部屋ではなく、オープンスペースだった。二十人ほど座れる椅子とテーブルが配置してあったけど、自習室と違ってこちらは食事する人たちでいっぱいで、空いてる椅子は一つもなかった。  外で食べようか?  本郷君の申し出を私はもちろん快く了承した。  雨はやんだばかりらしい。昨日は何組かの親子連れがいたけど、今日は誰一人いなかった。そしてベンチは雨に濡れてびしょ濡れだった。  僕はいいけど筒井さんが濡れちゃうね  「私だって別にいいよ」  私がさっさと座ると、本郷君は少し驚いた顔をして隣に座った。すぐにスカートが濡れて私の太ももの裏の辺りを冷たくさせた。でもそこに座ったことに少しも後悔しなかった。  大きなタッパーのフタを開けると、ミニトマトの赤、玉子の黄色、キューリの緑……、色とりどりの食材の色が飛び込んできた。実際は量だけ三人前くらいあるけど、結局は玉子サンドと野菜サンドとツナサンドの三種類しかない手抜き料理。  本郷君とはただの友達。手の込んだ食事を作ってきて、私が本郷君と恋人になりたがってると誤解させるわけにはいかない。  いや誤解ではないな。つまり、気づかせるわけにはいかない、ということ――  本郷君はゆっくりと、でもいかにもおいしそうに食べてくれた。
/49ページ

最初のコメントを投稿しよう!