エレナ、ジュリアン そして妖精

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エレナ、ジュリアン そして妖精

次は、シェフ。 エレナの話だね。 トレヴィーゾは、ベネチアの近郊にある小さな街だ。 一度訪れたことがあるが、半日もあれば街を一通り巡ることができる。 運河があり、古く美しい街並みはベネチアのミニチュア版のよう。 生活に必要なものは、こじんまりとした範囲の中で手に入る。 すぐに顔見知りができてしまいそうな街だから、 住めばきっと居心地のよい場所なのだろうと思った。 エレナさんはそんなトレヴィーゾの賑やかな家庭で育った。 5 人兄弟の4番目、そして一人娘。 彼女の情報はマリエさんや、他の人から断片的に聞いたものに過ぎない。 イタリア語とフランス語が少々。 それがエレナさんの話す言語だったから。 彼女が料理の世界に向かったのは、 2番目のお兄さんの影響だったらしい。 いつか二人で店を出すこと、それが夢だった。 料理学校を卒業し、 お兄さんの料理に合わせて、ドルチェを用意する。 そのために、製菓を専門に深めていった。 何故トレヴィーゾを出て、マリエさんの店に来たか。 マリエさんは、実家のつてを頼ってシェフを探した。 条件は、イタリア人でどの店にも立ったことがなく、瞳の澄んだ人物であること。 無茶な条件だから、様々な料理学校を回って、卒業生に声をかけてもらうしかなかった。 簡単に見つかるとは思えなかった。 いきなり遠い日本で、しかも未経験なまま店を任されるというのだから。 お兄さんと店を出すという夢が、断たれた理由は誰も知らない。 エレナさんはその時、卒業した料理学校で製菓の授業を手伝っていた。 喪失感が後押ししたのかも知れない。 話を聞いた瞬間、 彼女は、誰も知る人のいない国に行こうと決めた。 電話を受けたマリエさんは、 次の日のフライトで彼女に会いに行った。 マリエさんは料理を口にし、挨拶に来たエレナさんを見て、いきなり抱きついてしまったらしい。 エレナさんのご両親に挨拶をし、 一切の手はずを整え、半月後にはエレナさんを日本に連れて帰った。 日本に降り立ち、最初に迎えた朝、 芦屋の駅近く、借りたばかりのスケルトンのスペースに入って、 マリエさんはエレナさんの手を引き、厨房を予定している位置まで連れて行った。 「エレナ、ここがあなたの情熱を表現する場所よ。 あなたの思う通りにすればいい。 私はすべてのサポートをするから、遠慮だけはなし」    そう約束させた。 こうしてシェフと、店の名前が決まったというわけだ。 ※   ※   ※ タトウーにピアス、 ジュリアンと初めて会った時、 マリエさんが、てっきり店の用心棒でも雇ったのかと思った。 セカンドシェフと聞いて、最初、正直大丈夫だろうかと心配になった。 手先もとても器用には見えなかった。 その上、 「アキマヘン、ドナイスマショー」 英語でなければ、酷い大阪弁を話す。 出身はカーディフ。 「アラヘン」 何もない街だということらしい。 そのヒドい大阪弁と、 自分のつたない英語力で聞き取った情報を なんとかつなぎ合わせると、こういうことだったようだ。 両親が小さい頃からケンカばかりで、クソな家だった。 いろんな店でバイトをして料理覚えた。 家をでてロンドンへ、ニューヨークでも暮らした。 そこで知り合ったショーコと日本へ来た。 大阪の八尾にいたが、ある日、彼女は帰ってこなかった。 難波、梅田、三宮とアチコチの店で仕事した。 腕がいいから、マムに雇われた。 32歳といったが、精神年齢はその半分がいいところだった。 誰にでも、 後ろから手で目隠しをして、 「ダーレイダ」 をやる。 そんな言い方、地球上でジュリアン以外の誰がする? それでもジュリアン!と当ててもらうと嬉しそうな顔をしてる。 力が抜ける。 ジュリアンは、そんな風に、いつもみんなを笑わせ、リラックスさせ眼を輝かせていた。 おそらく、 家をでて、あてのない放浪を続けるために、 後天的に身につけたキャラクターだったのだろう。 グレーの瞳が、 その実、とても淋しがり屋なことを隠せなかった。 おかしな大阪弁を話す、ウェールズ出身のパンクロッカーのようなセカンドシェフ。 ジュリアンは、 日本のMUM、マリエさんのことを、とてもとても深く慕っていた。 ※    ※    ※ もう一人、店には妖精がいたのだ。 「今日から、私のフェアリーが手伝ってくれることになったの。     無理かも知れないけど、恋しちゃダメよ」 いつものように茶目っ気たっぷりにマリエさんが予告をした。 サオリさんが姿を見せた時には、驚いた。 4つ年上のサオリさんのことは、中学の頃から見かけていた。 個人的にではない。 一人の観客として、ステージのサオリさんに眼を奪われたことがあったのだ。 フランス帰りの帰国子女で、 パリ・メゾンのコレクションでモデルをしたこともあるとか、 先輩達の間の噂だったから、どこまで本当かはわからなかった。 けれど、何頭身だろうと思うスラリとした肢体に白い肌、栗色がかって腰まで伸びた髪。 背筋を立たせた動きの一つひとつが、 どんな噂であれ、信じていいような気にさせた。 ボーカルとしては 囁くような、それでいて包み込むような声で魅了した。 特定のバンドに所属していたわけではない。 一度、友人の頼みでステージに立ってから、 いくつものバンドがサオリさんに声をかけたらしい。 高校生のフリをして覗きに行った学祭のステージの一つで、 先輩たちが夢中な理由を理解したのだった。 高校を出た後は短大に進み、 関西のモデル事務所と契約をしたとか、 仕事が増えて、東京に移ったのだとか。 やがて大手のファッション雑誌や、 テレビ画面で見かけることになるだろうとか、 そんな噂だけが交わされるようになっていた。 けれど、結局、誰も本当の彼女を追いかけていたわけではなかった。 サオリさんのお祖父様が、著名な日本画家で マリエさんのお父様と懇意であったらしい。 マリエさんは、小さい時から可愛がっていたサオリさんのことを 当初から、彼女の計画に巻き込むつもりだった。 そういう訳で 伝説の妖精が、突然眼の前に現れたというわけだ。 マリエさんの忠告に従うまでもなく、 当時の自分には、とても恋などできる相手ではなかった。 ただ、少しでもその素顔に触れることが出来ればいい。 そんな風に思うまでで精一杯だった。
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