いつか、終わるその日まで。

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 ある日、移動教室から戻ると優の鞄の中身が席の上にひっくり返されていた。  「移動前に慌ててたの? 気を付けないとだめじゃん」と親切めかすのは美穂だ。ひっくり返された中には弁当箱もあって、机や椅子の上にご飯粒やら何やらが散らばっている。優は無言で雑巾を持ってきて、へばりついたご飯粒をふき取っていく。手伝う者はもちろんいない。  信二が蔵書室に入ると、今日も優はマフラーを編んでいた。どうやら毎日ここで編み物をしているらしい。  「それ、中学から毎日?」  信二の質問に、優は頷く。  「すごく長いけど、中学から毎日編んでいるならむしろ短くない?」  「一日に一段ずつしか編まないから」  信二の母親も編み物をやるから少しは知っている。  マフラーはまず“目”を編む。一目、二目と目数を編んで必要な幅を確認したら、上の“段”へ移る。下の段の目に上の段の目を編み込んで、長さを出していくのだ。優が使っているのは鍵編み棒と呼ばれるもので、先端の膨らんだ部分に毛糸を引っ掛け、その棒一本で編み込む。優はちょうど自分が編んでいる一段を指でなぞった。  「これが今日の一段。毎日こうやって昨日の一段に追加するの」  優の説明に、なるほどと納得した。だから「私の人生」なのか。  中学から、一日一段ずつ編み続けているマフラー。  昨日の編み目に今日の編み目を絡めて。そうしてその日の段が完成する。マフラーの長さは、編み始めた日からの彼女の人生の長さだ。  優は段の端まで編み終えると、スプレーボトルの中身をマフラーに吹きかけた。昨日と同じ、果物の臭いだった。
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