いつか、終わるその日まで。

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 優はマフラーを編んでいる。いつもの蔵書室、すでに見慣れた光景だ。今日の一段はもうすぐ編み終わるだろう。美穂たちを見事につるし上げた彼女は、今なにを考えているのだろう。  「意外と行動力あるんだな」  信二の言葉に、優は無言で顔を上げた。ここ数日会話してみて、わかったことがある。  優はしゃべるのが下手だ。言葉も伝わりにくい。そしてそれに自覚があるから、誰かからなにかを言われた時、適切な返し方がわからない。黙っているのは考えているからだ。その間に周りが勝手に解釈して進めてしまうか、あるいは彼女が先に諦める。  「でも校長にも誤魔化されたらどうするつもりだったんだ?」  「ネットにさらす」  優は、馬鹿ではない。  だから明確な証拠を美穂が作ってしまったとき、容赦しなかった。消せない落書きは、説明の言葉すら必要ない。  「まるでこの結果を狙っていたみたいだな」  優は首を横に振った。  「今まで辛くなかったのか?」  「辛かったよ」  「じゃあ、我慢してたんだな」  するとまた、無言で信二を見つめてくる。肯定も否定もなく、優の眉間に皴が寄った。信二が根気強く反応を待ち続けると、ようやく優の口が開く。  「我慢っていうか、確かに辛かったんだけど」  「うん」  つまり、いじめはちゃんと優に効果があったのだ。しかし優はいつも普通にしていた。  「陰口、椅子引き、鞄ひっくり返されて」  「うん」  「あまりに普通過ぎて」  「は?」  信二は首を傾げた。優は今、いじめの内容を普通と言ったか。  「あと、感動かなぁ。  まさか高校に入ってからそんな、ドラマか漫画みたいないじめに合うなんて」  優の言葉がこれまで聞いた中で一番流暢に飛び出てくる。多分、ずっと彼女は思っていた。辛いと感じながら、同時にずっとソレを抱えていた。  「すっごい『今更』」  優はマフラーの表面を撫でる。マフラーの編み目が特に酷いのは編み始めの方だ。だんだん彼女が手慣れていったのか、編み棒に近づくにつれて綺麗になっている。  「小学とか中学のいじめのほうがよっぽどえげつなかったんだよね。  なのに高校だよ? 高校に入って、それで今更こんなありきたりな。  感動と、あと呆れ?  やられたことはもちろん辛いけど、なんというか」  優はぐっと目を閉じた。そうして開かれた時、彼女が浮かべたのは嘲笑。  「人間って、退化する生き物なんだなぁって」  美穂になにかされたとき、優は彼女を黙って見ていた。それはきっと、今信二が聞いたことを彼女が常に思っていたからだ。優を馬鹿にして、嘲笑していた美穂。その、見当違いの行動。  「い、言ってやればよかったじゃないか。お前らのいじめはたいしたことないって」  「自分から悪化させるようなマネはしない」  その通りなのだろう。腹の中に抱えていた呆れを隠す必要がなくなった優は、とても雄弁だ。彼女はマフラーの今日の段を編み終わると、それを掲げ持った。  「昔は、毎日机と椅子に唾を吐きかけられた。ありもしない噂を名前付きで学校中にばらまかれた。弱みを握られて学校の外でもパシリ。ああ、弱みはきっちり広められてあだ名にもなった。  他にもほんと色々あったし、中には今回みたいになんとかできたのもあったかもだけど。  毎日泣いて、死にたくなって、そんな勇気もなくて、でもやっぱり辛い。それで、マフラーを編み始めた」  「なんでマフラー?」  「一日一段、その日の想いを込めて。わかりやすいでしょう?   最初は純粋に吐き出し口が欲しかったんだよ。日記ってのも考えたけど、文章じゃとてもまとめられなかった。別に誰かにこの辛さを知って欲しかったわけでもないし。  なら、自分だけがわかる方法で残せたらって。  それでたまたま見たテレビで、マフラー編んでたから『あ、これだ』って」  初めて見る穏やかな笑みを浮かべて、優はマフラーの端から端を指で辿る。 きっと、その一目一段に込められた彼女の人生を思い返しながら。  「ここには私の今までがある。いつか耐えられなくなる日まで、編み続けるんだろうね」  「耐えられなくなる日まで?」  「一番死亡率の高い自殺方法って知ってる?」  自殺の断トツ一位は首吊りだ。あれだけ長いマフラーなら十分だろう。  「今更、あの程度。たかが、あの程度。こうやって人生を見返すと、まだ頑張れそう」  優は、自分の人生の現身を大事に抱きしめた。
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