椎名ということ

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椎名ということ

 久しぶりの挨拶に。  いつもより小綺麗にした両親に連れられ、椎名の本家に向かう。今日は椎名のオジさんが死んだ日、らしい。  オジさんといっても、叔父さんではない。その字をあてがうにいくらか縁が足りない。主に血縁だが。  今年高校に上がった椎名由は、まだ年若いのにも拘わらずグループの仕事を一部担っているらしい。嘘か本当か分かったものではないが、その話を鵜呑みにしたうちの両親が揃って金の無心に行こうというのだから息子としては二重で情けない。この人達は、自分の息子と三つしか離れていない子供に金をせびることを恥と思っていないのだろうか。  俺は恥ずかしい。  心底恥ずかしい。切れる縁なら切ってしまいたいところだが、生憎と一人で生きるほどの力を持ち合わせていない。恥を知れと内心で罵りつつも、その恥の恩恵に預かることでしか生きていけない。俺が一番の恥知らずだ。 「……はい」  インターホンの向こうから聞こえた声は若かった。椎名由の声だろうか。少し警戒の滲んだ声に、金持ちは色々と大変なんだろうなと思う。椎名とは名ばかりの一般市民からすれば想像も付かない話である。 「椎名淳と登子です。円治様のお悔やみに参りました」 「……身内だけで、と申し上げた筈ですが」  不審そうな声に羞恥が増す。俯く俺の耳に、密やかな話し合いの声が聞こえた。何やらやり取りを終えた声は、やがて淡々とした口調で「お上がりください」と告げる。声に続き、門の向こうにあるドアがきぃと開く。 「ようこそいらっしゃいました。奥様がご不在のため大したもてなしはできませんが」  出てきたのは俺と大して年格好の変わらない男。話しぶりからして使用人だろう。情けない。俯き、敷居を跨ぐ両親に続く。この二人は分かっていないのだろうか。今の彼の言葉は、『呼んでもいない親戚が勝手に来やがって。こっちにも都合があるんだよ。てめぇらをもてなす茶なんざねぇ』という意味だ。分かっていてこの態度なら相当に面の皮が厚いし、分かっていないなら脳みそが軽い。どちらにせよ恥の上塗りだ。  すみませんと謝ると、「いえ」と先程よりも明るい声音が意外そうに言う。今のは『頭の悪い親戚にもそんな真似ができたのだな』だろうか。胃が痛い。この二人が今からやろうとしているのは金の無心だということを思い出した俺は、続けてもう一回謝意を示した。  よく謝る奴だな、といった顔をされたが、両親が一切謝らないのだ。なるほどバランスの取れた親子だとその内考えを改めるだろう。俺としては甚だ不本意な話である。  仏壇に目を合わせた後。案内された廊下の奥の広間に、椎名由はいた。  自己紹介された訳ではないが、彼がそうだと一目で分かった。  金髪に、ぴしりと糊の張ったスーツ。瞳を縁取る睫毛は長く、妙な色気が漂っている。それでいて軟弱さを感じる形という訳でもない。こんにちはと口を開いた彼は、うっすらとした笑みを口元に乗せた。  喋るんだ、と馬鹿みたいなことを思った。  彼の雰囲気が厳かで神聖だったから。飾り物のように感じていたのかもしれない。俺と違う世界にいる人。先程まではその財力をもってそう考えていたけれど。今となってはその方がまだ緩やかな差だったと感じる。  財力でも、権力でもない。  椎名由を別の次元たらしめているのは、彼自身のもつその魅力なのだろう。多分。  両親はそんな違いを感じもしないのか、口先ばかりのお悔やみを述べ金の無心をする。  丁寧な対応の裏で、彼の温度が冷めていくのを俺はまざまざと感じていた。端から見ればその変化はないも同じだったから、俺自身の不安が投影されていただけだろう。  椎名由はその内面を一ミリとて相手に悟らせることなく、全ての要求を語らせた。語らせ、ちらりと俺を一瞥し、「名前は」と短く問うた。 「……しのぶ。忍者のニンで忍です」 「椎名忍?」 「いや、ただの忍」  思わず否定する。  確かに俺の名前は椎名忍だが、椎名を声高に主張し金をせびる両親と一括りにされてしまうくらいならただの忍でいい。 「へぇ」  興味深そうに短く言った彼は、「お帰りください」と両親を促す。すごすごと背を向ける両親に続き、家を出て行こうとすると、彼は俺を呼び止めた。 「ちょっと待って」  そっと、耳に口を寄せられる。 「忍。君に椎名の名字をあげよう」 「えっ」 「君なら親戚でもいいや」  へらりと笑った顔には神聖さも厳かさもなかったけど。  やはり俺の感じた物は間違っていなかったのだと実感する。  ああ、やはり彼を彼たらしめているのは、その魅力なのだと。
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