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風紀組が入れ替わった話①
風紀室には不思議な魔法陣があった。円の中に読む解くのが難解なほど崩れた英文。いや、もしかするとラテン語だったり、別の言語かもしれない。どちらにせよ俺には読めそうにもなかった。
「なんだこれ……」
「魔法陣っぽいよな……」
どいつがこんなもん描いたんだ、と青は顔をしかめ魔法陣を検分する。しかしその口元は淡く緩んでいる。魔法陣という得体の知れない存在にワクワクしているのだろう。かく言う俺もこの状況にワクワクしていた。
青と一緒に魔法陣に齧り付き検分を始める。するとそこへ二村がガチャリとドアを開けて入室してくる。
「……何してんだ」
いかにも嫌そうな顔をして二村は俺たちに問いを投げる。
「けしからん落書きの検分をしている。なぁ、赤。これ何語か分かるか」
「さっぱりだ。どういう意味だろうな。魔界から何か召喚する系か?」
「オ゛イ、楽しんでるよな?」
二村がバカを見る目で俺たちを見下ろす。呆れた表情で近寄ってきた二村に、低い怒声が飛ぶ。
「おい、チンピラ。そこの線踏むな。赤の研究に支障が出たらどうするつもりだ」
俺ではない。無論、青でもない。声の主は、いつの間にやら部屋にいた橙だった。
「ンだと? もっぺん言ってみろ」
「死ねカスって言った」
「言ってないよな?」
「うん、嘘ついちゃった。ごめんね赤」
「俺に謝られてもなぁ……」
すんなり嘘を認め、頭を撫でてとばかりに差し出す橙。苦笑しつつ頭を撫でる。二村がハンッと鼻を鳴らし怒りを露わにする。
「おら、橙。二村に謝れ」
「ごめんなさい」
「……おう」
二村は若干腑に落ちない顔をするも、橙の謝罪を受け入れた。青が二村の肩を労をねぎらうように軽く叩く。二村の眉間の皺はさらに増えた。
ちょいちょいと二村を招けば、口をへの字にしつつも寄ってくる。
「二村、この文読めそうか?」
「読めると思って聞いてないだろ、テメェ」
「バレちった」
「クソが、舐めやがって」
二村は悔しかったのか、英語の教科書を青の鞄から引っ張り出し魔法陣を睨みはじめる。あれだけ崩れている字をどうやって判別するかがまず問題なのだが、そこには気づいていないようだ。橙は呆れた表情で二村の唸る様子をじっと見つめている。そんなにじれったそうにするくらいなら教えてやればいいのに難儀な奴だ。
皆でワイワイと魔法陣について調べていると、ふいに風紀室の扉が開け放たれる。
「諸君ッ! 元気ですか! 今日もBL日和だね!」
「やっほぉ副くん~。あーしんど」
入り口にはやけに生き生きとした日置と、心なしかげっそりとやつれている江坂の姿があった。
「生徒会が何の用ですか?」
皆して地面に這いつくばっていることは棚に上げ、問いかける。日置は「うふふ」と鼻歌交じりに微笑んだ。何だか嫌な予感がする。
「魔法陣は気に入ったかな?」
「……これ、あなたの仕業だったんですか」
日置は俺の言葉に首を振り、さらりと告げる。
「いや、実行犯は江坂だよ」
「脅しといてよくもまぁいけしゃあしゃあと……」
「ん? 江坂。そういえば昨日新しいゲームが届いたんだ。一緒にやらない?」
「ひぇ……」
途端に弱気になる江坂。事情は分からないが彼が今災難に見舞われていることだけは分かる。安らかに死んでくれ。できれば俺が巻き込まれないところで。
心の中で静かに合掌する。日置は怯える江坂を他所に何やら呪文のようなものを唱えはじめる。もしかしてこの魔法陣に記されている文章の答えなのだろうか。そう思い至った俺は他の三人にジェスチャーで静かにするよう促す。日置の声が途切れた時、その異変は起こった。
体と中身がずれる感覚。スライド、とでも言えばいいのだろうか。走っていたバスが急に止まった時に体が揺れる、そんな感覚。衝撃の訪れる予感に目を閉じる。ぐらり、思考のかき混ぜられる感覚に気が遠くなる。再び目を開けた時には先ほどと景色が違った。否、景色というのは的確ではない。視点が違ったのだ。もっと具体的に言うならば座っていた場所であるとか、目の高さとか、そういった類の。
状況が呑み込めずきょろきょろと見渡す。そこには俺の姿があった。いや、俺はここにいるのだから俺の体と言うべきか。
「……何が、」
起こっている。そう続けようとした言葉は続かなかった。続けようとしたが、そうできなかったのだ。俺の声は、二村の声になっていた。嫌な予感がし、自身の体を見やる。
「二村ぁ……」
思わず頭を抱える。何となく予想はできていた。だがまさか実際にそんなことが起こるとは思わないだろう。
焦る心のまま、俺の体を揺すり起こす。
「オイ、オイ! お前は誰だ?」
「はぁ? 何言って……」
俺の体に入っている人物はハッと何かに気づいた顔をし喉元に手を当てる。
「……美声?」
「分かった橙だな」
「まさかその知性のにじみ出ている話し方は赤? そんな体に閉じ込められて……痛ましい」
……合ってるのに複雑な気分だ。
顔が引きつりそうになるのを押しとどめ、へらりと曖昧に笑う。橙はにこりと俺に向かって微笑むと、不意に誰が入っているのか分からない自身の体を蹴飛ばした。
「橙ッ?」
「俺の体使ってるの、どっちの駄犬? ほら、さっさと起きなよ」
「痛……」
蹴飛ばされた箇所を押さえながら橙の体が起きる。きょろきょろと辺りを見渡し首を捻る“誰か”に、声を掛ける。
「青? 二村? どっちだ」
「二村はお前だろ──は?」
なるほど。これは青か。ということは青の体に入っているのが二村のようだ。
「おい橙。二村を起こしてくれ」
「蹴ればいい?」
「一応青の体だし丁寧に扱ってやれ」
「了解」
橙は徐に二村の──正確には青の──鼻を掴み、鍵を回すように右に捻った。
「ボァッ!?」
二村は不意に訪れた刺激に驚いたのか飛び起きる。橙は二村に冷たい眼差しを向ける。
「駄犬が居眠りとはいいご身分だな?」
「──、はぁ?」
二村は目を見開き、勢いよく耳を塞ぐ。
「……最悪だ」
二村は俺たちに背を向けるようにして座り直した。橙は二村の行動を鼻で笑い、耳元でボソリと囁く。
「変態」
「~~~ッ」
青は自分の体と俺の体が繰り広げている何とやらにひっそりと目を逸らす。気持ちは分かる。俺たちは一体何を見させられているんだ。二村を起こせとは言ったがAVのようなやり取りをしろとは言ってない。というか俺の体使ってそんな寸劇してんじゃねぇ。
「橙。遊ぶのも大概にしろ。居たたまれない」
「……はーい」
橙は苦言に素直に従い、俺の隣に戻る。そして振り向きざまに二村に向かって笑いかける。
「あ、駄犬は後ろ向いたままでいいよ。大好きな赤にばれちゃ困るもんね?」
クスリと笑う橙に二村はびくりと背中を震わせた。橙こわ……。あんな顔で笑うなよこっわ……。怯える俺に青は苦笑気味に言う。
「赤、たまにあんな顔してるぞ」
「嘘だ……」
思わず頭を抱えた。嘘だろおい。
「取りあえず確認をしよう。俺の体には橙が、橙の体には青が、青の体には二村が、二村の体には俺が入っている。合ってるか」
各々が首肯するのを確認し、続きを話す。
「一つ。困ったことがある」
実際は一つじゃすまないが。
「青が明日の昼休みにある全校集会で挨拶をしなくちゃいけない」
先ほど床に置いてあるのを見つけたメモを摘まんで見せる。
「このメモによると効果は一日。つまり、明日の午後四時までこの状態という訳だ。現状昼までに元に戻る方法はないから、挨拶は二村がやる他ない。頼めるか」
「……おう」
意外なことに二村は特にごねることもなくあっさりと了承する。嫌がるだろうと予想していたので随分予想外な反応だ。
「……では目下の問題はこれで解決、ということで。原稿は青がすでに書いてあるから後で受け取ってくれ」
二村が浅く頷くのを確認し次の話題に進む。
「寝泊りする部屋は体の持ち主の部屋ということにする。くれぐれも勝手に漁らないように。物を動かすのは最小限に留めること。いいな」
各々了承するのを見届け、口を開く。
「俺からは以上だ。他に質問のある奴はいるか」
はい、と橙が挙手をする。どうぞ、と発言を促すと橙は小首を傾げ言う。
「人の体でシコってもいいの?」
「シコ!?」
盛大に動揺するあと二人。自分の体を使われるのを心配したのだろう。というか自淫か……あんまりしたことないからそこに思い至らなかったな……。
「体の持ち主の許可が取れれば可とする。ちなみに俺の体だが好きにしてくれて構わない」
「してもいいってこと?」
「ご随意に。普段何してるのか知らないが際どいことはしないでくれればそれで」
「……例えば?」
「痛そうなことはやめてほしい」
頼むと橙は苦笑する。
「俺そんなヤバい性癖持ってそうに見える?」
今度は俺が苦笑する番だった。まさか素直にうんと認めることもできず、笑ってごまかす。後ろの方では二人が盛大に頷いていた。さっきから動きがうるせぇ。
何はともあれ今後の方針は決まった。後はやり抜くだけである。
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