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瑞輝に近寄る生徒がいない中で、唯一の例外が芦田翼だった。翼も最初は好きで瑞輝に近づいたわけではない。一年生の一番最初に「芦田」「入間」という名前の順でペアを組まされたり、机が前後だったりして同じ班にされたというだけの話だ。瑞輝とは違う小学校から来たので、彼についての前情報はなかった。もちろん入間瑞輝が悪霊を扱う怖い奴だってのは聞いたが、そばで見ている限りはそんな感じは受けなかった。人を操るような言葉遣いもしなかったし、うわさに聞くほど脅迫の言葉を言ったりしない。ワガママを押し付けるタイプでもなかったし、勉強に不熱心なわけでもなかった。成果は出てないにしても。
翼は要領のいい方だった。塾になんか行かなくてもそこそこ勉強はできたし、家は建築設計事務所だったから進路は工業高校と決めていた。別に継ぐとかそういうのではなく、小さい頃から見てきた建築の仕事に漠然と憧れがあったのは事実だ。だからしゃかりきになって勉強することもない。親の方針もそうだった。中学生の間はクラブに夢中でもいいと両親は言い、翼も言われなくてもサッカーに夢中だった。
昼休み、翼は瑞輝を探していた。「おまえら仲いいだろ、入間を呼んで来てくれ」と学年主任の体育教師に伝言を言付かった。職員室に呼び出しってのは、瑞輝は珍しくなかった。だからといって目立って素行が悪いというのでもなかった。だから翼はどうして瑞輝がしょっちゅう先生に呼ばれているのか知らない。
「いた」翼は校舎の裏の桜並木で瑞輝を見つけた。柵がないとはいえ、一応中学校の敷地外だ。教師たちの駐車場があり、その出入り口は生け垣が途切れているだけで、門もチェーンもない。正門にはセキュリティがあるが、裏にはないという、良く言えば開放的、悪く言えば片手落ちな中学校だ。
四月の末だから、もう桜は散っていて若葉が出ている。もう少しすると毛虫がわいて、女子がキャーキャー言い始める。去年は、それを知らない一年生の女子を毛虫でからかった上級生を瑞輝が一喝し、偶然隣にいた翼は青ざめたものだ。相手は三年生で、いかにもガラの悪そうな人たちだったから。こいつが怖いと思ったのはそのときだったなと翼は思い出した。で、瑞輝は相手と戦うのかと思ったら、翼の手を引っ張って逃げた。逃げるのかよと思ったが、相手は五、六人。こっちは一人じゃ分も悪い。翼はもちろん自分を勘定に入れてなかった。
「瑞輝ぃ、神崎先生が職員室に来いって」
木を見上げている瑞輝の隣に立って、翼も枝振りを見上げる。
「嫌だ」瑞輝が言う。
「俺に言うな。先生に直接言って来い」
「職員室に?」瑞輝が笑う。
「そう」翼はうなずいた。
「そしたら結局、職員室に神崎のところまで行くことになる」
「そうだな」
「それって、太郎冠者の留守留守っていうのと同じじゃねぇ?」
翼はふんと笑った。一年生のときの国語でチラッとやった狂言を、瑞輝が覚えているとは驚きだ。
「呼声って題なんだよ」
「知ってるよ」瑞輝は伸びをした。「この木だけ花も少なかったし葉も遅い」
翼はじっと上を見上げ、他の木と今自分の脇にある木とを比べた。「まぁ、言われてみれば」
「風の通りが悪いんだ。手伝ってくんない?」
瑞輝が言って、翼は迷わず首を振った。「嫌だ。瑞輝に関わるとロクなことがない」
「大丈夫だって。あそこの石、ちょっとずらすだけだから」
瑞輝はそう言って、並木道の脇にある小さな小川を渡り、向こうの道に出る。一応小川までは中学校の敷地みたいに見えるので、なんとかセーフだと思うが、小川を越えたらヤバい。翼はその場所に立ったまま瑞輝を見た。「石って、それ、お地蔵さんだろ。動かしたらヤバいだろ」
「去年はもっとこっちにあった。誰かが動かした。元に戻すだけだ」
瑞輝は石仏をぐいっと押した。瑞輝の膝上ぐらいの大きさだが、後ろの石の祠も一体になっているので重い。
「やめろって」翼は声をかけた。瑞輝がそんなことに動じないのはわかっているが一応俺は言ったぞという意思表示のためだ。
瑞輝は翼を見たが、翼が大きく首を振ったので、諦めて自分で動かそうと石仏に手をかけた。全身の力を込めて、グイと押すと、体が軽くなった。ドサッと下に転がる。
翼は息を飲んだ。地蔵が胸の辺りで横にまっぷたつに割れる。
「みーずーきー」祟られるぞ。翼は息をついて、瑞輝が起き上がるのを見た。
「元から割れてた」瑞輝が言ったが、翼はどっちでもいいと思った。「早くもとに戻せ。怒られるぞ」
「誰に?」瑞輝は指をなめた。「怪我した。一人じゃ持てない」
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