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「ほら」瑞輝は右手を見せた。「怪我したから、できねぇし」 「何?」神崎は目を三角にした。 「明日」瑞輝は親指をなめて言った。「明日やるよ、先生。チャーシュー麺で」 「今、凝ってるんだよ」 「大丈夫だよ、明日治ってるわけじゃないから」  翼は瑞輝の言葉に吹き出しそうになった。いつも強面で生徒をよく怒鳴っている神崎先生が、瑞輝みたいなあまり出来の良くない生徒にあしらわれているのがおかしい。 「良し。じゃぁ七時半に職員室に来い。柔道部の朝練があるからちょうどいい」 「七時半? 無理。早くて八時」  神崎はむむっとうなったが、仕方なくうなずいた。「八時だぞ」 「早くて」 「遅刻したら昼休みはないと思え」 「そういうのおかしいよ、なぁ」瑞輝が翼に同意を求め、翼はびっくりした。瑞輝は別に翼を巻き込もうと思ったわけではなく、ちょっと気まぐれに振ってみただけのようで、すぐに神崎を見た。「俺、通学すんの一時間以上かかるんだぜ。この辺に住んでる柔道部の奴にやらせりゃいいのにさ。柔道やってりゃ、体の仕組みとか、わかんだろうが。柔整術って言うぐらいなんだから」 「おまえのが一番効くんだよ」神崎がしみじみと言った。「チャーシュー麺奢ってやるから。頼んだぞ」  瑞輝は答えず、息をついた。神崎が手を挙げて、頼んだぞという顔で、裏口ドアを閉める。 「へぇ」翼は思わず言った。 「何だよ」瑞輝が翼を見る。 「職員室呼ばれてるのって、肩もみしてるわけ?」 「いろいろ」瑞輝は面倒そうに答えた。「俺んち、神社だろ。いろいろ相談されるわけ。甥っ子の名前がどうとか、引っ越し先の風水がどうとか、金縛りにあった友達がいるとかさ。俺は祈祷師でも占い師でもねぇっつうの」 「でも、一番効くって」  翼はそう言って、瑞輝に睨まれた。悪いこと言った? 「効くのと効かないのがある」 「へぇ…そうなんだ」  昼休みの終わりの予鈴が鳴った。翼は空を見上げた。そこにベルの音が舞っているかのように。 「あのさ」  瑞輝が言って、翼は我に返って瑞輝を見た。「何?」 「ここ、一応鬼門だからさ、あんまり来ない方がいい」  そう言われて、翼は少し考え、にっこり笑った。「ああ、わかった。おまえを探すときは、ここに一番に来たらいいんだな?」 「そんなこと言ってないだろうが。おまえ、耳悪いのか頭悪いのかどっちだ?」 「どっちもいいよ」翼は胸を張った。「瑞輝がここにしょっちゅういるのは知ってる。それで、俺に来るなって言うってことは、ここは一人になれる場所だから邪魔すんなって言ってるんだろ?」 「鬼門だって言ってんだろ」 「だから人が来ないから、気楽だってことだろ?」 「言ってないだろ」 「そういう意味も含んで言ってるのはわかってるよ。ハイハイ、邪魔しません。五時間目、音楽だから教室移動だぞ。来いよ」  翼は裏口ドアを開いた。  瑞輝はじっと翼を見た。変な奴。 「音楽なんてよぉ」と瑞輝が言いながら校舎に入ると「何かご不満?」と音楽の若い女性教師が振り返った。  翼が先に笑い出し、瑞輝が先に走り出した。 「廊下は走らない!」という声が聞こえたが、瑞輝は階段を一段飛ばしで上がり、翼も急いでそれを追った。何だか妙に笑いが止まらなかったのは、ちょっとお互いを知った気がしたからだった。
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