気弱な僕とお弁当屋さんの話

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給料が入ったし、たまにはちょっぴり贅沢をしたくて僕はお弁当屋さんに向かった。 何故、外食ではなくお弁当屋さんを選んだか? 答えは至極簡単で店員さんが美人だからだ。 以前から何度か「いらっしゃませ」「お弁当如何ですか?」と店の前を通るたびに声はかけられていたが、立ち止まってお店を見たが最後、弁当を買う羽目になるのは目に見えている。 元々、薄給な上に反比例する家賃を支払い生活している僕にとって、食費は家計で一番削減できる部門であり、外食はおろか、弁当を買って食べる事すら贅沢だと感じる程に悲惨な生活を送っているのが現状。 それに店員さんが美人だと美人だと知ったのもつい最近の事で、たまたま店の前を通った時に、向こうから来たおじさんが、店員さんに声をかけられ大声で叫んだからだ。 「ねぇちゃんベッピンさんやな~」 僕は思わず振り返った。 店員さんは確かに美人だ。 しかし、確認して即座に向き直し、足早にその場から離れた。 理由は簡単だ。 店員とおじさんの会話に巻き込まれて弁当を買わざるを得ない状況に追い込まれるのはいやだったし、僕の人生の中で既に数度体験しており身にしみてわかっていた。 だが、美人の店員から声をかけられ感謝される。 そんなささやかな楽しみを味わいたかった。 気になった女性相手に気軽に話せない、冗談の一つも言えない僕にとっては当然の話。 ただ生きるだけで、さしたる変化も無い日常にいつもと違うアクセントを。 そして、もしかするとそれ以上の何かがあるのかもしれないと微かな期待を胸に。 まぁ、期待は裏切られ、何も変わらないのはよくわかっていますけれどもね。 でもいいんです。 そんな微かな思いさえ抱ければ、例えその先に深い絶望を味わおうとも。 失意のどん底に落とされるとしても、僕はちっぽけでも光を求める。 どこかで読んだ気がするが、パンドラの箱の最大の災厄は、箱から飛び出した災厄ではなく、残った希望こそ災厄である。 何故なら、希望があるからこそ、絶望に立ち向かう事もできるが、希望さえなければ、絶望に抗う事などない。 希望があるからこそ、絶望に挑み、更なる絶望に追い込まれ、苦悩し、打ちひしがれる事になる。 思えば僕もそうだった。 かすかな光に縋り、より深い闇に落ちる。 ほのかに夢見て、痛々しい現実を思い知らされ。 明日こそはと頑張り続けて、気がつけば泥沼にどっぷりと嵌って抜け出せなくなり、沼の奥底に沈んでゆく。 だったら、危険と感じる場所は避けて、避けて、気楽に生きていける道だけを歩けばいいんじゃないのだろうか? でも、困難を乗り越え、苦難を克服する事で成長し、能力を強化、向上させるのも事実だ。 人はともかく僕はどうすればいいんだろうと考え出すと、とても結論には辿り着けない。 こんな時は、友人の耕晴(コウセイ)ならば簡単に答えを出しちゃうんだろうなとため息をついた。 耕晴は僕の数少ない友人では珍しく、我が強く、狡猾で傲慢な奴だ。 どうしてこんな奴が僕の友人なんだろうかと考えていると、ふと耕晴がしていた欲望の話を思い出した。 耕晴が仕事先の人と欲望について話をしていたらしく、耕晴は意外にも「人はさ、欲望だけで生きるってのは駄目なんだよ」と分不相応な発言をしたらしい。 耕晴は趣味友の年数回ある飲み会でも裏で小狡く立ち回って得をしようとするロクデナシだ。 しかし仕事先の人は「欲望があるから生きていける。阪神大震災で被災したからわかる。あの復興も、欲望があったから出来た訳で、僕は欲望は必要だと思います」と返され返す言葉が無かったと趣味友の飲み会の席で酔っぱらって話だし「そうじゃないんだよな」「ゼッテーちげーし」と子供のように駄々をこねる耕晴をなだめるのは大変だったし、面倒くさかった。 でも、耕晴と仕事先の人の話から察するに、絶望に打ちひしがれた人は欲望で立ち上がり困難と苦悩を克服するという。 ならば、日々変化ない日常に晒され、乾ききった心に欲望と言う名のオアシスは必要なのではないかと、いや、絶対必要なのだ。 たかだか、美人の店員さんがいる弁当屋で弁当を買うだけの事にどうしてこんなに馬鹿げた事に考えにいたるのかと辟易しつつ、自分の行動が世間一般的に見ても正しいとお墨付きをもらったように感じて、胸を躍らせならが僕は弁当屋に向かった。 それが、社会に潜む闇と悪意に翻弄される事になるとも知らずに。 自分の行為に対する劣等感から解放された僕の心の中には世界がお花畑のように感じた。 背後から不快にも鳴らされる自転車のベルが、妖精達が僕の周りを飛んでベルを鳴らして祝福しているかのように聞こえ、車線を走る不快な自動車のエンジン音と、タイヤの摩擦音は僕の英断と行動を称賛する楽団のファンファーレのように心に響いた。 期待に胸を躍らせながら僕は弁当屋さんに辿り着く。 ここからは戦いだ!! 先程のようなな幸せ気分に溺れている場合ではない。 ここからはもはやバトルなのだ。 支払いを抑えたい客とより多くのお金を得たい店舗側の頭脳と心理のバトル。 例をあげるならば、アパレルショップだ。 数少ない友人が、ショッピングモールで気になった服を見つけたのか。 「ちょっと見ていい」 とか言い出すと注意しなければならい。 そこには販売員という肩書を持った捕食者がいるかもしれないのだ。 そして、獲物を発見し「お困りですか?」と声をかけ、獲物を狩場へと誘い込む。 ここで捕食者に迷っているか判断を任せるような発言をすれば終わりだ。 僕は友人に向かって「ご愁傷様」と心の中で呟き合掌する。 その後捕食者は友人が購入しようと考えている服よりも似合う服があると言い出し、売れ残っている服をあてがい「こっちの方が似合いますよ」とか「私は今の感じのほうがいいですね」と言葉巧みに誘導する。 誘導に乗ったが最後、捕食者に操られるまま、コーディネート一式からガジェットまで買わされる羽目になる。 そしてよせばいいのに友人は、趣味友の集まりなどでコーディネート一式を披露し、自慢して数少ない女性陣から「似合って無いよね?」と告げられた後に、女性陣からファッションチェックと指導を賜り、友人は以後集まりにその服を着てくる事はなく、最悪はタンスの肥やしになり果てるのだ。 因みに僕はユ●クロが殆どで、たまにしま●らを利用する程度だ。 僕含め友人のこのような経験を知っている為か、ショッピングモールに入っている店舗の販売員は全て捕食者に見えて恐ろしい。 特に、可愛い店員や、美人には注意すべきだ。 好みでないタイプに言われても心は抵抗は出来ても、美人や可愛い店員に嘘でも似合っていると言われれば錯覚は増幅するものである。 女性と接点の少ない男性、もてない男性等は特に注意すべきだ。 話はそれたが、所詮店員と言えども店の側の人間であり、極論では経営者の犬とも言える。 隙を見せれば食い物にされるのだ。 しかしそこは資本主義という弱肉強食がまかり通ってしまう社会の掟でもあり、必要なのは、世の中の流れを理解しいかに自己を防衛するかなのである。 「いらっしゃいませ。ご注文は?」 声を掛けられ、ショーケースのサンプルを見回しオーダーを考える事、数秒。 「チキンカツ弁当で」 「かしこまりました」 オーダーは通った。 ここまでは既定路線。 実はもうすでにオーダーは決めていた。 店員に声を掛けられる前にチキンカツ弁当を注文すると。 当然だ。 何故なら、店頭にて声を掛けられてからオーダーを考えるなど愚の骨頂! オーダーをすんなり決めれる人間ならばそれも良し。 だが、決められず迷い続ける事は墓穴を折るも同じ。 何故ならオーダーを待つスタンスだった店員が待ちから攻めのスタンスチェンジをするチャンスを与えるからだ。 店員に「おすすめは○○ですよ」とか「今日は○○が売れてます」などと言われてしまえばもはやオーダーは確定されてしまう。 加えて矢次早に「私は、唐揚げ弁当が好きですね」とか言われたら唐揚げ弁当を注文せざるをえなくなってしまう。 あまつさえ拒否して別の物を注文してしまえば店員さんに(この人、唐揚げは嫌いなのかな?)位で済めばいいが、(私が言ったから嫌だったのかな?)とか(私の好きな物は食べたくないのかな?)とか思われるとか考えたら僕には耐えられる筈がない! ただ、この場合のみ、店員さんが好きな唐揚げ弁当を食べる、どんなふうに食べるんだろう?今僕は君の好きな唐揚げ弁当を手べているよ等々妄想できる楽しみももれなくついてくるのだが。 いや、妄想とかの話をしだすと危ない人になってしまう。 話題を変えよう。 僕が何故、チキンカツ弁当を注文したか? 実はトンカツ弁当を注文したかった。 だが、初めて利用する店で味も解らない。 危険な橋を渡るのに、大金は当時にくい。 それならば安価でお試しで頼める弁当がいいし、自炊をしているとどうしてもフライ系は手間と労力を考えるとおかずの献立候補からは消去される。 でも本当は・・・。 「お待たせしました」 どうやらできたようだ。 「トンカツ弁当○○円になります」 (え?)と出かった声を喉に引っ込めて、僕はトンカツ弁当の代金を支払った。 弁当を受け取る僕。 「またのご利用、お待ちしております」 店員さんの言葉で帰り道もお花畑の妄想が浮かんだ。 その後、家に帰って食べたトンカツ弁当は思っていたよりもおいしく、これなら今後も利用する選択はありだと思った。 チキンカツとトンカツの違いについては、人間にはまれに自分が考えていた事と、言った言葉が違うという事がまれにある。 僕自身も経験したし、同僚や上司、友人達でも同様のケースはある。 今回も僕がトンカツと言ったのに、チキンカツと伝えたと思い込んでいただけだろうと、余り気にはしていなかったし、万が一、店員さんが間違えたとしても、人間は誰しも間違える事はあるのだ。 それにトンカツ弁当を食べたかったのは事実なので幸運なサプライズがおこったのだと考えるほうが余り日常生活に変化のない僕は嬉しかった。 お弁当屋さんの初利用から数日たったある日。 珍しく2時間ほどの残業になった為、流石に自炊はしたくないと思った僕は、弁当屋を利用する事にした。 今回もトンカツ弁当でも良かったが、色々食べ比べてみたいと思い、エビフライ弁当を注文する事にした。 「いらっしゃいませ」 「エビフライ弁当一つ」 今度は即注文。 まぁ、残業で疲れているし当然と言えば当然の選択。 でもエビフライをチョイスしたのは・・・ 「おまたせしました」 早いな、やけに。 「ミックスフライ弁当○○円になりま~す」 「え?」 「どうかなさいましたか?」 店員は笑顔だ。 「いえ、早かったのでつい」 僕にしては上手く誤魔化せた。 「そうなんです。もうすぐ閉店なので」 得替えで答えながら、僕は支払いそそくさと店を後にした。 「ありがとうございました」 店員の言葉に手を振るのだけは忘れずに。 家に帰って僕はミックスフライ弁当を食べながら考えていた。 一部のフライが微妙に温い。 違う。 何故、エビフライ弁当を注文したのにミックスフライ弁当に変わっていたのかだ。 もはや限りなく黒に近い疑惑。 それは弁当にも表れているかのようだ。 付け合わせのキャベツの倍近くあるスパゲッティの惣菜もそう。 あきらかに店の良心を疑いたくなる。 でも僕は信じたかった。 店員さんを。 あの人はそんな事する人ではないと思いたい。 それにまだ黒と断定する確証は無いし、偶然が重なった可能性は否定できない。 たまたま。 そうたまたまが重なっただけだと考える事もできる。 だから僕は、確かめる為に行動した。 数日後、僕は弁当屋さんに行き注文した。 「いらっしゃいませ」 「のり弁当一つ」 注文後、何も考えず審判の時を待った。 「おまたせしました。デラックスのり弁当○○円になりま~す」 僕は微笑んで、用意したデラックスのり弁当の代金、○○円を即座に支払い笑顔のままで帰宅した。 家に戻ってきた後、のたうち回り、声を抑えて叫びをあげた。 悔しかった。 怒り以上にここまでされて、何もできず引き下がる自分が情けなかった。 ただ、冷静さを取り戻すのには時間はかからなかった。 何故なら、今回の件は僕は既に読み切っていたからだ。 弁当屋のメニューは既に入手しており、のり弁当と名の付く物は、のり弁当、のりシャケ弁当、デラックスのり弁当しかない。 ただ、もし、今迄の経緯から、僕が誤オーダーを甘んじて受け入れる事に味を占めているなら、のりシャケ弁当なんてけち臭い誤オーダーを出さず、堂々とデラックスのり弁当を出してくるに違いない。 だから僕は店に行く前に、デラックスのり弁当の代金と、のり弁当の代金を用意して弁当を買いに行ったのだ。 僕はデラックスのり弁当を食べながら考えた。 このまま引き下がるのは嫌だと。 こんな僕でも、怒る事はある。 感情をぶつけたい時だってある。 実際、相手を前にすると思ったように言えなかったり、できないのが殆どだけれども・・・。 そして僕は一計を案じ、行動に移す事にした。 その為に、次の給料日を待った。 給料日が過ぎ、その日はやって来た。 「いらっしゃいませ」 笑顔で答える店員。 僕は、何も答えずサンプルの入ったケースを確認し、弁当の料金表を丹念に確認した。 「本日のおすすめは・・・」 「デラックス幕の内弁当一つ」 店員の声を遮り、一言、言い放った。 店員の顔が一瞬引きつったのを見て、目線を外しいつもの通り弁当の出来上がりを待った。 僕は本当は幕の内弁当はあまり好きではない。 でも注文した。 何故なら、デラックス幕の内弁当こそ、この弁当屋の最高額メニューであり、それ以上高額なメニューは存在しない。 そう、もはや誤オーダーで料金を上乗せする事は出来ない。 逆に、誤オーダーの弁当を出した時点で、僕が支払うべき料金は下がるのだ。 普通にオーダー通り弁当を出したとしても、僕はこの店で初めてオーダー通りの弁当を手にする事が出来る。 オーダー通りにすれば、誤オーダーを諦める他なく、誤オーダーを通せば、注文より安い代金しか店は手にできない。 勝つ事は無くとも、負ける事は無い。 いや、相手にとっていつも通りの結末にはならない時点で、僕は勝ったと言える。 弁当が出来上がる迄、いつもより長く感じたが、僕は別段、気にならなかった。 これが最後なのだから、この弁当屋を利用する。 「おまたせしました」 店員さんの声が聞こえ僕は振り向いた。 「特上デラックス幕の内弁当○○○円になりま~す」 「特上!?」 「はい。特上デラックス幕の内弁当です」 店員さんは笑顔で再度答えた。 僕は思わず弁当料金表を確認する。 すると白い紙が貼りつけられており手書きで「特上デラックス幕の内○○○円」と書かれていた。 驚いてショーケースも確認したがのり弁当の料金にも同じ手書きの白い紙が貼られていた。 当然、のり弁当のサンプルは取り除かれて。 僕は黙って料金を支払った。 特上デラックス幕の内弁当を受け取り、僕は力なく歩き出した。 「ありがとうございました」 背後で店員さんの声が聞こえた瞬間に僕は走り出し逃げ帰った。 僕は敗北したのだ。 完全敗北。 そして悟った。 僕は、攻めてはいけなかった。 守るべきだったんだと。 これまでの人生で物事を収める時や、トラブル時には、僕はじっくり腰を据えて時間をかけて対処した方が上手くいった。 逆に行動的に動いた場合には思惑とは違った事態に身動きが取れなくなったり、想定外の問題が発生してあたふたして失敗する事の方が多かった。 上司にも同僚にも脇が甘いといつもたしなめられていた気がする。 今回はまさにそうだった。 暫く考えて、落ち着いて弁当を食べたが弁当は今迄で最悪の出来だった。 あんな小細工を考え実行してしまう位だから、弁当作りがおざなりになるのも解る気がする。 ただ値段の分だけ、おかずの量はバカみたいに多かったので、ラップで撒いて種類を選別しそれぞれ冷凍庫、冷蔵庫に分けて保管した。 そうだこれこそ僕らしい。 その後、弁当屋は数か月もせずに閉店した。 あの一件以来、弁当屋の近くに用事が有る時は、店の前を通るのを避け信号を渡って向かいの道を利用して迂回する癖がついた。 時折、閉店する前に信号待ちや向かいの道を通った時に、店前で言い争う声が聞こえたりしたので、僕以外にもあんな真似をしていると知る事が出来て僕は少し安堵した。 僕だけが被害者ではなかったのだ。 だが、さらに数か月後に僕は驚愕する事になる。 閉店後も迂回はしていたのだが、新しい入居者が決まったのか慌ただしく店舗を改装していた。 改装を始めてから何度か、道を通るたびに見ていたが、怪しい電装が取り付けられ、色も塗り替えられたりして以前の弁当屋の面影はなくなっていた。 そして、ある日、改装された店が営業している事に気がついた。 店名なのか「おにくやさん」と平仮名で一文字一文字貼り付けられ、縁取るように電飾が光っていた。 しかし「おにくやさん」と書かれている割には、店には低いカウンターはあるものの、ガラスのショーケースは無く、カウンターの周りにはペンキの文字が書かれたり、文字の書かれた紙が幾枚も貼りつけられていた。 店員は見るからに露出の多いボディラインの強調された服を着て、それに合わせたセクシーなメイクをしていた。 暇なのか頬杖をついてあくびをしていた。 僕は何気に、いったい何が張り付けられているのか見ようとして店員と目があって、驚愕した。 弁当屋の店員だ! 服装とメイクの違いで気がつかなかったが、目があって気がついた。 そして彼女は僕にウィンクしてくすくすと笑った。 僕はその妖艶な美しさに一瞬ドキリとして、顔が赤くなったが一目散で逃げ出した。 それから一か月後、未だに迂回し続けて用事を済ませているが、あの店を反対車線から見る事は無い。 ただ信号待ちの際に店の前を見ると、客がいない日は無かった。 全て男性客だったが。 だが何の店なのかは今だ知らない。 いや知りたくもない。 だってきっとあの悪徳な弁当屋の経営者が店を営業しているに違いないし、以前の通り、悪質なやり方で営業しているのは目に見えている。
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