名古屋城二の丸庭園

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名古屋城二の丸庭園

 次の日、私は市右衛門から延々と説教される破目になった。自業自得だから仕方ないし、これで下男や女中さん達が叱られなくて済むなら、甘んじて受けるしかない。帰った直後、市右衛門は私ではなく、使用人達を問い詰めた。彼女達には、私を止める義務があるのだという。でも、私が勝手にやったことなんだから納得できない、そう言ったら、今回限りだと言って私に説教を始めたのだ。  数日が過ぎた。その間市右衛門は、来客があったり自分が出掛けたり文を書いたりと、忙しそうにしていた。私は女中さんにお伴をお願いして、町を歩いた。自分が知っているようで、全く知らない名古屋の町。時々知っている名前に出会うと嬉しくなったり、でも、知っているものと全然違っていて淋しくなったり、そんなことの繰り返しだった。  ある日、私が目を覚ますと市右衛門は既に出掛けた後だった。都から「ご老公様」がお帰りになられて、そのご祝儀に登城したのだという。ご老公と言えば水戸黄門くらいしか思いつかないが、ここは名古屋。隠居した前のお殿様らしい。市右衛門くらい若いと、登城日は特に朝が早いのだという。「午後にはお戻りになられます」と聞いていたのに、市右衛門が戻ったのは、夕方を過ぎた頃だった。しかも、ひどく憔悴している。 「そなたを、巻き込むつもりはなかった。申し訳ない」  突然市右衛門が、両手をついて頭を下げた。改まってそんなことをされると、なんだかきまりが悪い。それに、言っていることの意味がわからない。料亭の件だろうか。 「こないだのことなら、むしろ、首突っ込んだの私だし。謝るのは私じゃない」 「いや、榊原様が……」  何かを言いかけた市右衛門は、しかしそれ以上何も言わず、力なく首を振るばかりだった。  翌日。まだ、夜の明け切らない時刻。門を激しく叩く音で目が覚めた。女中さんが来て襖を開ける。 「お休みのところ、申し訳ありません。ご公儀の宅番がいらっしゃって……」 「宅番って、何。こんな時間に……」 「監視のお役目のお方です。とにかく、お召し替え下さい」  一体何を監視するのだと、疑問を抱えながら手伝ってもらって着替えを済ませる。座敷には、既に裃を着た市右衛門が座っていた。声を掛けようとしたが、ただならぬ雰囲気に、言葉が出てこない。  結局その日は、宅番とかいう役人達に囲まれて、窮屈な一日を過ごすことになった。夕方、お城からの遣いが来た。物々しい人数に、駕籠付き。市右衛門は彼らに労いの言葉を掛けて、駕籠に乗った。 「市右衛門っ」  嫌な予感がして慌てて追いかけた私に、彼は窓を開け、穏やかな笑顔を見せた。 「美菜殿と巡り会えたこと、嬉しく思う。できることなら、一四〇年先に転生したいものだ」  彼が行って、どのくらい経っただろうか。役人に見張られ続け、正座をしている足が痺れてきた。だけど、とても動けるような雰囲気ではない。張り詰めた空気の中で、ただ、時間だけが過ぎる。嫌な予感が、不安と焦燥を伴って次第に大きくなり、手足が細かく震える。  カタン  静寂の中に、音が響いた。それは、市右衛門の湯呑。誰も触れていないのに、真っ二つに割れた。そうして、彼に何が起こったのかを悟った瞬間、私の視界がぐらりと揺れた。  現代に戻ったら、髪も振袖も元通りだった。日付さえも同じで、ほんの数時間だけ、進んでいた。自分が遭遇したものが、一体何だったのかを知りたくて、数日かけて図書館に通った。  あの料亭で伊予守殿と呼ばれていたのは、尾張の家老、竹腰家の当主であった正舊(まさもと)らしい。ちなみに同じく家老に成瀬家があって、犬山城主だった家だそうだ。一橋様というのは、多分先代の尾張家当主茂徳(もちなが)公。尾張の当主を退(しりぞ)いた後、一橋家を継いでいる。あの時、京都から帰還したご老公様は、茂徳公の実兄でご当主の実父、先々代の尾張家当主だった慶勝(よしかつ)公。どうやら、吉田知行という人が京都から連れ戻してきたらしい。その結果、市右衛門が朝早くに登城した日、その上役にあたる「榊原様」が斬首されたのだ。そして翌日には市右衛門が……。当時の尾張は、家臣団が二つの派閥に割れていた。慶勝公寄りで成瀬家寄り、尊皇攘夷の金鉄組と、茂徳公寄りで竹腰寄り、佐幕派の鞴(ふいご)党。榊原様や市右衛門は鞴党、吉田知行は金鉄組だったのだ。そして京都では、鳥羽・伏見の戦いがあって、幕府軍が敗北している。その対処を巡り、尾張では、二つの派閥の対立が深まった。だから慶勝公は、吉田知行の訴えもあって、尾張を守るために、榊原様や市右衛門達に命令を下したのかもしれない。そんなことを考えていると、幕末の尾張藩について、少しだけ詳しくなった気がした。  私は今、名古屋城二の丸庭園にいる。現代(いま)では、一般に公開された名古屋城。この場所は、かつて市右衛門が勤めていたはずの空間。そして今日はちょうど、旧暦一月二一日。私が、一四一年前からこの二〇〇九年(げんだい)に戻った日だ。 『尾張勤王 青松葉事件之遺跡』  東門から入ってすぐ、売店の裏にひっそりと立つその石碑に、私はただ、黙って手を合わせた。
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